「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦時中にあった日本語の「スマトラ新聞」(1)再録  平成11年に発見

2016-09-09 09:44:11 | 2012・1・1
戦時中、日本軍の占領各地で日本語新聞が発行されていた、インドネシアのジャワとボルネオ(蘭領)では朝日新聞が「ジャワ新聞」と「ボルネオ新聞」を、毎日新聞がフィリッピンとセレベスで「マニラ新聞」と「セレベス新聞}をまた読売新聞がビルマで「ラングーン」新聞。また同盟通信(共同通信)が昭南(シンガポール)とスマトラで「昭南新聞」と「スマトラ新聞」をそれぞれ傘下の地方新聞の協力で発行していた。
幸い、「ジャワ新聞」「昭南新聞」「セレベス新聞」などは実物が残っているが、「スマトラ新聞」については平成10年頃まで判からなかったが、横浜市立大学の鈴木正夫教授(当時)がジャカルタの国立図書館で新聞が残っていることを見つけ、戦時中「スマトラ新聞」の記者だった菊池秀広氏(故人)に知らせてきた。そこで、僕が中に立ち、知り合いの共同通信のジャカルタ現地支局員の協力でマイクロフィルムをコピーし、一部を現物で頂戴した。菊池氏は、同じころ戦時中の体験をもとに「ムルデカ(独立)に喝采を!(講談社出版サービス)を本にした。本は菊池氏の戦中戦後のインドネシアでの体験を書いた貴重なものだが、「スマトラ新聞」一本に絞って書いたものではないので、生前、菊池氏から聞いた話をつけたして「スマトラ新聞」について書いてみた。(2012年1月ブログ1000都物語記述)

菊池氏は大正9年生まれ、16年北海道の小樽新聞に入社、翌17年新聞統合で北海道新聞に転社、18年、シンガポールにあった「昭南新聞」に派遣され、さらに「スマトラ新聞」に出向となり18年9月、西スマトラの州都パダンに赴任した。

朝日新聞記者の勉強不足「幻のスマトラ新聞」

2016-09-09 07:50:31 | 2012・1・1
知人から朝日新聞が「幻のスマトラ新聞」の”第二弾”を書いたと連絡があった。朝日新聞は8月15日付けジャカルタ発記事の中で、戦時中スマトラで発行されていた邦字紙「スマトラ新聞」約4か月分がインドネシア国立図書館で発見された、と報じた。そして、この発見について慶応大学倉沢愛子名誉教授にコメントを求めている。しかし、この発見は別に新しいものではない。元スマトラ新聞記者だった菊池秀広氏(故人)、すでに平成12年出版された「ムルデカに喝采」(講談社出版サービス)のまえがきの中で「昨年春(平成11年)私の勤務していたスマトラ新聞の一部(100日分)がジャカルタの国立図書館で発見され、そのマイクロフィルムは現存し私の手元にあり、鈴木正夫横浜市立大学教授のご努力により学問的資料でもあるので、しかるべき公的機関に寄贈したい」と記している。その通り菊池氏は平成12年3月7日、東京で開かれた日蘭戦時資料保存委員会の席上、同席した日本新聞協会の春原公彦上智大学教授に一部を手渡し寄贈している。

朝日新聞のジャカルタ駐在記者は記事を書くに当たって、菊池秀広氏の著書を読んんでいたのであろうか。新聞協会の春原教授を取材したとは思えない。ブログで「スマトラ新聞」について書いている僕のところにも取材がない。それより何よりも倉沢教授がスマトラの第25軍防空壕の虐殺虚妄を流布している人物なのを知らないのだろうか。スマトラの虐殺虚妄について倉沢教授が書いたとき、”俺たちが死んだら何を書きだすか、わからない”と従軍世代の人たちが口をそろえて怒っていたのを想い出す。

スマトラ新聞の菊池秀広氏は、かって北海道の民放に勤務していた時の上司であり、戦後二人で一緒に2週間スマトラ旅行をした仲であり、ブキテインギの防空壕虐殺の虚妄を撤回する運動を共にした戦友である。「スマトラ新聞」が幻にならないように、高い自費を払って出版されている。僕も先輩の遺志を組んんで2012年に、僕の別のブログ”1000都物語”にスマトラ新聞について書いたが、朝日新聞が”第二弾”まで追い打ちをかけて自分の勉強不足をカバーしようとしているので、改めて「老人タイムス」でもスマトラ新聞を連載で再録し,真実を後世に伝えたいと思う。

出来秋なのに一個180円50銭のジャガイモ

2016-09-09 05:07:34 | 2012・1・1
昨日想い出したように季節のトーガンが食べたくなり、自宅近くの自由が丘の農家の無人スタンドに買いに出かけたら、店を閉じていた。閉店したのか、台風の余波で一日だけ店を閉じたのか分からないが、バスに乗ってきたのに残念だ。仕方がなく目黒通りに面した高級スーパーをのぞいいたら、言われている通り高い。トーモロコシが一本580円、玉ねぎも一個100円もする。このブログを書くために、清水の舞台から飛び降りるつもりでジャガイモを買ったら二個で361円の表示がついていた。一個にすれば180円50銭である。

新聞の社会面トップで、あいつぐ台風の襲来で北海道産の野菜が大被害を受け、玉ねぎの卸売値段は5割高だという。新聞によると、玉ねぎの全国生産量の59.2%は北海道産、ジャガイモに至っては79.5%が北海道で生産されている。30年ほど前、勤務で札幌で生活したことがあるが、今回のような秋の台風で農産物が被害を受けた記憶はあまりない。東京での農産物の高騰は、この北海道の台風被害によるもののようだ。しかし、僕の買ったジャガイモの表示には千葉県産有機栽培とあった。

真夏日の残暑が続く東京だが、心なしか風の動きに秋の気配を感じとれるようになった。夏も終わりと店が見切ったのだろうかスーパーの特売コーナーから娘が大きなスイカを390円也で買ってきた。二個361円のジャガイモと比べて大違いだ。野菜果物は値段があってないようなものとよく言われるが、物流や風評によって値段が左右されるみたいだが、出来秋ぐらい豊富に味覚を味わいたいものだ。