「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日本にはない性的暴言罵言

2016-09-11 09:10:39 | 2012・1・1
先日のアセアン会議でフィリピンのロドリゴ.ドゥテルテ大統領が、オバマ米大統領に対して暴言を吐いたのが原因でせっかくの米比首脳会談がお流れになったという。そのドゥテルテ大統領が、今度は藩基文国連事務総長に対してタカログ語で”売春婦の息子”を意味する言葉”プータン.イナ”と口ぎたなく批判した。二人が今フィリピンで行われている、麻薬患者に対する人権侵害を批判したことに対したものらしい。

ドゥテルテ大統領が使った”プータン.イセ”みたいな言葉は世界によくある。例えば僕らが子供だった日支事変中、シナ人を侮蔑して”マ―ラカピー”とよく言ったが、後年、この言葉は、相手の母親を強姦するといった最低の侮蔑語であることを知った。戦後占領下、”ハバハバ”(急げ急げといった進駐軍英語が全盛時代、僕ら中学生は進駐軍キャンプでアルバイトする友人から”サナダビッチ”(son of bitch)という言葉を教わったが、これも売春婦の息子という相手への暴言罵言だと後で知った。

あらぬ”従軍慰安婦”の造語が国連文書にまで出回っているが、日本語の暴言罵言には、上記したような言葉はない。せいぜい、”お前のかあさん出ベソ”ぐらいなものだ。米国の共和党大統領候補、トランプ氏も”歯に衣をきせぬ”政治家だが、まさか相手のことを”サナダビッチ”呼ばわりはしないだろう。ドゥテルテ大統領は”庶民的な”一面もあり、彼のやっている麻薬退治は理解できるが、国際社会ではどうなのか。




戦時下にあった「スマトラ新聞」(3) 再録 軍の統制

2016-09-11 07:49:07 | 2012・1・1
菊池秀広記者がパダンに赴任したのは、昭和18年9月だった.すでに政府は5月31日、天皇陛下出座の午前会議で「大東亜政略指導大綱」を決定、マライ、スマトラを含む旧蘭領地域は帝国(日本)とする旨決めていた。全く、そのこと知らずパダンに赴任した菊池記者は、軍当局が現地人の独立運動に敏感になっているのを感じ取った。

菊池記者は赴任直後、西海岸(スマトラ)州知事だった矢野兼二知事を表敬取材している。矢野知事は富山県知事から転任したばかりの少壮内務官僚で、着任早々から、積極的に現地の指導者と会い、意見を求めなど評判がよく いつも知事室には住民が押しかけていた。しかし、あとで菊池記者が知ったのだが、この時、すでに矢野知事は、御前会議の決定をめぐって現地の軍当局と意見があわず、辞表を提出していた。

現地の独立を希求する空気は、御前会議にも拘らず強くなる一方であった。これに対して現地の第25軍司令部は意識的に規制した。そんな中で、菊池記者はある日、パダン市内で開かれたイスラム教関係者の独立決起大会を取材した。菊池記者は当然、次の日の新聞はにはトップ記事で扱われると思っていたが、二面に小さな二段記事で、同時に取材した現地紙「Padan Nippo」は小さなベタ記事であった。こんな中、矢野知事は辞任が認められ、19年4月帰国の途につぃた。その日の事につぃて、菊池記者はこう書いている。”パダン市内は日の丸の小旗を持った人々であふれた。州庁前では涙を流す婦人、女学生、正装したイスラム教徒、スマトラ義勇軍も整列して式典に参加した”。