「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

牧水も父もこよなく愛した沼津

2017-10-09 05:24:20 | 2012・1・1

沼津牧水会(林茂樹理事長)から昨日、新刊の「牧水揮毫旅行記」(写真)の寄贈を受けた。旅と酒の歌人,若山牧水が生前全国を旅した記録である。その中で何故、牧水が沼津の地を愛し、永住するに至ったかを書いた「半折短冊会趣意書」が所載されていた。「一、二年間、休憩の目的で当地に移住以来いつのまにか満二年の日が過ぎました。予定に従えば、今、東京の方に引き上ぐべき時期にに当たりますが。、暫らくこの田舎の静けさに親しんでみますと、どうも再び彼の喧噪裡に入って行く心になりません、いっそ此処に永住して、見馴れた富士を一生仰ぎ暮らすことにしたいと思いたちました」(大正11年7月10日)

僕の父が、牧水が沼津に移住してきたこの時期に半年間(大正10年8月―11年2月)だが、新聞社の記者として沼津に滞在、交流があった。11年前、僕は父の遺品を整理していて、父が沼津を去るに当たって、牧水が父に贈ってくれた自筆の即興の歌「わが友を見送るけふの別れ酒いざいざ酌むめな別れゆかぬとに」が書かれた扇子(写真)を沼津牧水会に寄贈した。

父の遺筆の中には、残念ながら牧水との交流について触れていないが、何回か盃を交わしている。生前、父は僕に牧水は駅弁で酒を飲むのが好きだったと語っている。当時はカネに恵まれていない歌人と新聞記者、記者クラブの一室で一升ビンと駅弁を買ってきて酌を交わしたのであろうか。牧水と父はほぼ同年齢、大学も同窓であった。

その父も沼津がこよなく好きだった。想いでの記には「沼津は明るい街だった。人口が少ない割に寂しいような感じがしなかった。人情が厚く、滞在半年間他郷にいるような気がしなかった。魚は美味しく、酒もよく、それよりも一番嬉しかったのは友人たちに恵まれたことだ」と書いている。

(「牧水揮毫旅行記」は頒価 一千円 連絡先 〒410-0849 沼津市千本郷村1907 若山牧水記念館)

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