「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       57年前のかけ出し記者の想い出

2010-08-24 05:16:31 | Weblog
老妻が小学校の同期会に出席するというので、57年前、初めて二人が知り合った
想い出の地、長野へ1泊2日の旅行へ出かける。今は東京から新幹線で1時間半で
行けるが、昔は大変だった。僕が昭和28年4月、学校を出て長野に赴任した時は確
か上野から夜行で6時間もかかった気がする。

僕はかけ出し記者として約1年間長野に滞在した。当時の長野は町村合併前で、善
光寺の門前町の色彩が強く、人口も10万人ぐらいではなかったか。僕の担当は、い
わゆる”サツまわり”司法担当だったが、当時長野の地検、地裁は善光寺よりも高台
にあり、一日一回、自転車のペダルをこいで登るのは一苦労であった。

新聞社の支局は県庁近くの木造二階建ての古い鉄道の寮を改造したアパートの二階
の一室であった。僕は10畳ぐらいの事務所に宿直をかねて寝泊りした。朝夜二食の食
事代は月3000円だった。確か初任給は1万円ぐらいだったから、まあまあの生活だった。
当時は当然IT器機などなく、その日の原稿は夕方電話で東京へ送り”閑ダネ”原稿は
駅から鉄道便で送った。

1年間の勤務中、これといった大きな事件はなかったが、僕の唯一の特種は刑務所の受
刑者が集団で工業用メチルアルコールを飲み中毒死した事件であった。僕は偶然の機会
でこの特種をものにしたが、偶然とは重なるもので、この原稿を送稿した直後、市内にサイ
レンが鳴り響いた。受刑者の一人が刑務所を脱走したのだ。ニュース価値から言えば、脱
走の方が大きく、せっかくの僕の特種も扱いが小さくなってしまった。半世紀以上前の想い
出である。

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2 コメント

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キャーキャー (chobimame)
2010-08-24 17:04:28
すみません。つい冷やかしてしまいました。二人の出会いの地に旅行されるなんて素敵ですね!そういうご夫婦って素晴らしいです。しかし囚人がメチルアルコールを飲んだとか、脱走だとかすごいニュースですね。なんだかドラマみたいです。記者は大変だと思いますが、ドラマチックな仕事ですね。
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気づかれてしまって! (kakek)
2010-08-26 11:15:48
chobimame さん
金婚式を終えて5年、さーっと”ながした”つもりだったのですが、気づかれてしまって!
若かったせいもありましたが、よく長野市内を記事を求めて歩きました。囚人が一人逃げただけでもサイレンが市内に鳴り響きました。長野市も小さい町でした。昭和30年代初めまで警視庁でさえ、殺人事件の発生を記者クラブに発表しませんでした。僕らは鑑識課の出動で事件を知るわけで、完全な秘密主義でした。今では信じられません。
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