「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          夢は戦前の房州の夏の海をかけめぐる

2012-07-15 06:31:46 | Weblog
昨夕、晩酌用の安焼酎を買いに駅前商店街へ出かけたら浴衣姿の少女が歩いている。東京はまだ梅雨明け宣言は出ていないが、早や新盆による盆踊りの季節なのである。後期高齢者になると季節感まで感度が鈍くなってくる。外出する機会も少なくなり、ただただ熱中症にかからないよう願って日中は家でじっとしていることが多い。そんな生活の中で、僕は戦前子供だった頃、毎年、親に連れらて出かけた房州(千葉県)の白砂の海水浴場が楽しく想い出される。

戦前、僕の父親は新聞社勤務のサラリーマンだったが、夏休み期間中の数日休暇をとって東京の中学(旧制)の臨海学校の水泳の監督をした。臨海学校は1週間程度だった記憶だが、海岸近くの学校の施設に宿泊して水の事故が起きないようライフガード兼水泳の指導に当たった。そんな関係で僕ら家族も当時すでにあった近くの漁師の家に民宿してお世話になった。

民宿という言葉はまだなかったが、長期の海水浴用に特別に造られた家があって、数家族が宿泊できた。僕が戦前最後にお世話になったのは昭和16年の夏で、この時は亡くなった姉と友人と僕の三人だけだった。当時、この民宿では寝具の用意はなく、東京の自宅から”チッキ”と呼ばれた国鉄(JR)のサービス制度を使って送った。子供だったので記憶が薄いが、食事も自炊だったのかもしれない。姉の作った”目玉焼き”が美味しかったことをまだ覚えている。

あれから70年、当時は岩井町と呼ばれていた海岸だが、今では南房総市と地名が変わった。ネットで調べると、僕がお世話になった民宿の名前がある。再訪するなら足腰がたつ今年あたりが最後かもしれない。しかし、あの白砂できれいだった遠浅の海はそのまま残っているのだろうか。キリギリスや鈴虫を追いかけた草むらはまだあるのだろうか。谷内六郎の絵に出てくるような葭簀かけの氷屋は健在なのだろうか。そう考えると、夢の中で楽しく想像していたほうがよいのかもしれない。

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2 コメント

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思い出 (chobimame)
2012-07-16 16:11:22
千葉の海岸はどう変わっているのでしょうね。今なら電車でもわけないですが、戦前なら旅行気分になれる距離かもしれません。移り変わりは時として期待外れもありますが、昔を思い出してみるのも楽しい作業かもしれません。ご旅行されるのも良いと思います。
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想い出の世界 (kakek)
2012-07-16 17:27:15
chobimame さん
小学校唱歌に出てくるような”松原遠く”の世界はもう期待できません。三保の松原はの浜は海岸浸食で消滅する危機にありそうです。どこの海も寝食防止の工作物があって汚くなりましたね。海に流れ込む川の上流にダムが出来て砂が運搬されてこなくなったのが原因のようです。想い出の世界のほうがよいのかもしれません。
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