「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      もう聞きたくない あの空襲警報のサイレン

2010-03-10 07:13:30 | Weblog
毎年「3月10日」がくると65年前の昭和20年3月10日の東京大空襲を想い出す。
当時、僕は東京の山の手に住んでおり、直接体験していないが、下町の夜空
に業火が燃えさかっているのを、この目で見ている。金曜日から土曜にかけての
週末、風の強い寒い夜だった。

記録によると、この日、B-29,329機が東京へ飛来し38万発の焼夷弾を落下さ
せた。この結果27万戸の家屋が焼失し、10万人の民間人が犠牲になっている。
が、この大空襲の犠牲の大きさの陰に隠れてしまった形だが、4月15日の京浜地
区、5月24日の山の手空襲でも数千人もの犠牲者が出ている。山の手空襲では僕
の町にも焼夷弾が落ち、火叩きに水をつけ僕も消火活動をした。

東京の空襲が本格化したのは昭和19年11月からで、大晦日には当時上野に住ん
でいた伯母の家が焼けている。20年になると、ほとんど毎日のように敵機の襲来を
告げる警戒警報のサイレンが東京の街に鳴りわたった。そして、空襲になると、サイ
レンの音は、急を告げるように、けたたましい音に変わった。

当時、中学2年生だった僕は、学校の近くに住んでいたため防空要員に指名され、警
戒警報が発令されると、防空頭巾をかぶり、ゲートルを脚にまいて学校へ急行した。
幸い、僕ら一家は空襲の被害にはあわなかったが、強制疎開で長年住んでいた家を
壊された。

あの空襲警報のけたたましいサイレンの音は二度と聞きたくない。空襲で犠牲になった
方々の霊に改めて合掌する。

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2 コメント

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今日は何の日 (chobimame)
2010-03-10 15:40:36
今日が東京大空襲だったと知っている人が何人いるでしょうか?学校でもこういう教育はしませんし、現政権に関しては日本は加害者であらればならないので、国内の被害について記憶を埋めても掘り起こすことはしないでしょう。
今年80歳に叔母が、昔話していましたが、終戦からかなり経ってもお昼のサイレンがなると暫くビクッとなり空を見上げたそうです。それくらい戦争の恐怖は心と体に刻み込まれているのですよね。こういう体験を風化させずにしたいものです。
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断末魔 (kakek)
2010-03-10 16:54:47
chobimame さんの
空襲警報のサイレンは断末魔のような息せきったような音でした。焼夷弾の落ちてくる”ザワザワ”という音は今でも耳に残っています。思えばよく犠牲にならなかったものです。
東京だけでなく、全国主要都市のほとんどが空襲や艦砲射撃を受けています。広島、長崎の原爆だけでなく、こういった戦争についてもきちんと後世に伝えなければいけませんね。
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