8泊9日のシンガポールとインドネシアの駆け足旅行から昨夜無事帰国した。81歳と10か月の老人にとって杖をついての海外独り旅は思っていた以上に厳しかった。ボケからであろうか想定外の出来事も起き、改めて”歳”を感じさせられた。しかし、旅行前計画していた事は一応達成できた。これはひとえに周りの人々のやさしい支えがあったからである。このブログを借りてお礼も申し上げる。
今回のシンガポールへの旅の目的の一つは、前から僕が気になっていた同国政府公文館(National Heritage Board)発行の「Japanese Occupation 1942-1945」(日本の占領1942-45年)所載のシンガポール作戦時の日本の松井太久郎第五師団長と西村琢磨近衛師団長の写真誤載の訂正申し入れであった。松井師団長の写真は南京作戦の松井石根大将の写真が誤載され、西村師団長の写真も別人と思われる人物のものが載せられていた。出発前から僕は公文館担当者とメールで10数回もやり取りしたが、やっと一日前に会見okの返事をもらった。
市内の中心部の旧植民地時代の色彩が残る公文館で会った責任者はNoor Fadilah Yusofさんという若い女性であった。Noorさんによれば、これらの写真は英国戦争博物館(Imperial War Museum)とオーストラリア戦争博物館(Australian War Museum)からそれぞれ借用したものだという。しかし、前記の本は今、絶版となっており市場には出回っていないはづだという。そして再版のさいは訂正したいと約束した。
この小さなシンガポールには僕の知っている限りでも、国立博物館を始め観光地のセント―サにある記念館、それに数年前できたブキティマ博物館と戦争時の記念館が三つもある。ブキテイマは、シンガポール攻略戦の激戦地で、ここにあったフォード工場では、英国のパーシバル将軍が白旗をあげて降伏し、山下将奉文第二十五軍との間に降伏式が行われた。その時の模様は、山下将軍が”イエスかノーか”とパーシバル将軍に迫ったという話で話題になった。初めて僕はこの工場跡に建てられた記念館を訪れた。担当者が僕らのために30分ほどにまとめた政府公文館監修の映画を見せてくれた。たしかに展示物のな中には日本人として見るに堪えがたいものもあるが、戦争であって仕方がないのかもしれない。
今回のシンガポールの旅で僕がお世話になった陳秋水さん(70)は日本軍の占領直後の虐殺事件で、お父さんが犠牲になった方だが、僕のシンガポール到着時空港まで迎えにきてくれ、帰国の際も早朝からホテルに送りにきてくれた。恩讐をこえた陳秋水さんの献身的な友情に改めて僕は戦争について考えさせられた。(写真はブキティマ博物館の入口)
今回のシンガポールへの旅の目的の一つは、前から僕が気になっていた同国政府公文館(National Heritage Board)発行の「Japanese Occupation 1942-1945」(日本の占領1942-45年)所載のシンガポール作戦時の日本の松井太久郎第五師団長と西村琢磨近衛師団長の写真誤載の訂正申し入れであった。松井師団長の写真は南京作戦の松井石根大将の写真が誤載され、西村師団長の写真も別人と思われる人物のものが載せられていた。出発前から僕は公文館担当者とメールで10数回もやり取りしたが、やっと一日前に会見okの返事をもらった。
市内の中心部の旧植民地時代の色彩が残る公文館で会った責任者はNoor Fadilah Yusofさんという若い女性であった。Noorさんによれば、これらの写真は英国戦争博物館(Imperial War Museum)とオーストラリア戦争博物館(Australian War Museum)からそれぞれ借用したものだという。しかし、前記の本は今、絶版となっており市場には出回っていないはづだという。そして再版のさいは訂正したいと約束した。
この小さなシンガポールには僕の知っている限りでも、国立博物館を始め観光地のセント―サにある記念館、それに数年前できたブキティマ博物館と戦争時の記念館が三つもある。ブキテイマは、シンガポール攻略戦の激戦地で、ここにあったフォード工場では、英国のパーシバル将軍が白旗をあげて降伏し、山下将奉文第二十五軍との間に降伏式が行われた。その時の模様は、山下将軍が”イエスかノーか”とパーシバル将軍に迫ったという話で話題になった。初めて僕はこの工場跡に建てられた記念館を訪れた。担当者が僕らのために30分ほどにまとめた政府公文館監修の映画を見せてくれた。たしかに展示物のな中には日本人として見るに堪えがたいものもあるが、戦争であって仕方がないのかもしれない。
今回のシンガポールの旅で僕がお世話になった陳秋水さん(70)は日本軍の占領直後の虐殺事件で、お父さんが犠牲になった方だが、僕のシンガポール到着時空港まで迎えにきてくれ、帰国の際も早朝からホテルに送りにきてくれた。恩讐をこえた陳秋水さんの献身的な友情に改めて僕は戦争について考えさせられた。(写真はブキティマ博物館の入口)
お写真、大変若々しいですよ!
杖を持参したのは正解でした。シンガポールは一部の高級ホテルを除いてバリアフリーではありません。杖なしではとても危険で歩けませんでした。
陳秋水さんは若い時。東京のキリスト教団体の留学資金で東京芸術大学で商業美術を学んだ方です。過去の自分の体験を超越して家族ぐるみで面倒を見てくれました。
ブキティマの博物館は、南京みたいなことはなく、日本の
開戦時の勝利もきちんと整理しして展示しています。タイの日本人学校の生徒も修学旅行に見学にくるそうですが、開戦直後の惨殺事件など先生がきちんと教えれば子どもたちも理解できるとおもいます。少なくとも教えないよりは良いです。被害者の数など問題はありますが、
南京と違って事実はきちんと整理しています。