「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        イタリア豪華客船船長と軍神広瀬武夫中佐

2012-01-20 07:20:25 | Weblog
イタリア中部ジリオ島沖で大型豪華客船が座礁沈没した事故でイタリア人船長が乗客への避難指示もろくにせず逃げ出したので問題になっている。この話を聞いて僕ら昭和1ケタ生まれの世代は、戦争中の軍神広瀬武夫中佐を思い出したに違いない。日露戦争の旅順港閉塞作戦中、部下の杉野孫七兵曹長が行方不明となり、最後まで兵曹長を捜索中に敵弾に当たり戦死した武将の話である。

                   ◇ 小学校唱歌「広瀬中佐」
       轟く砲音(つつおと)飛びくる弾丸  荒波洗うデッキの上に闇をつらぬく中佐の叫び
       杉野はいずこ 杉野は居ずや

部下を思い最後まで艦を離れず勇敢に戦った広瀬中佐は、時の政府によって軍神と讃えられ、上記のように小学校唱歌にもなった。戦前東京の省電(JR)秋葉原と御茶ノ水駅の間にあった「万世橋」駅前には、この広瀬中佐と杉野兵曹長の話をモデルにした銅像があった。銃後の小国民だった僕らは、これも「万世橋」駅ガード下にあった鉄道博物館に行くと必ず、この軍神の銅像を仰いだものだった。が、残念ながら戦後の昭和22年”進駐軍の命により”銅像は撤去されてしまった。

銅像だけではない。実は行方不明になった杉野兵曹長は生きていて敵の捕虜になっていたという話もある。杉野兵曹長は艦が沈没したあと海中を遊泳中、中国の漁船に助けられ戦後も生存していたというのである。当時の海軍もそれを承知していたが、広瀬中佐が軍神に奉賛されたあとなので、公表しなかったとのことだ。真偽は判らないが、広瀬中佐が部下を思い、勇敢に最後まで艦を離れなかったのは事実である。この話は永遠に残したいものだ。

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2 コメント

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イタリア人 (chobimame)
2012-01-20 15:47:58
イタリア人は快楽主義者なので、厳しい場面に耐えられないそうです。第二次世界対戦のときも銃を持つのに耐えられず、戦線離脱をして恋人や家族の元に帰る兵士がいて成り立たない部隊もあり早々と降参したとの話を読んだ事があり、今回の客船の船長の話もイタリア人らしいと思いました。究明ボートにも客よりクルーが先に乗り込んでいたようです。しかし命を預かる仕事ですから快楽主義者では通りません。
広瀬中尉の話は日本人らしい話ですね。本当に生きておられたなら軍神となったばかりに隠れなくてはならないとすれば悲しいですね。その後の消息が知りたい話です。
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軍神 (kakek)
2012-01-20 17:57:43
chobimame さん
真珠湾攻撃でも特殊潜航艇の乗組員9人が軍神になりましたが、攻撃に参加したが、海上で発見され捕虜になった方が一人おられ、戦後、日本に帰国した方がいます。
おそらく、杉野兵曹長も艦から脱出に失敗し捕虜になったものと思います。この話は海軍のかなり信頼できる方から聞いた話です。「岸壁の母」も母親がなくなった後、息子さんが復員してきたという話もあります。戦争は無情です。
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