「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        強制疎開とビル街の馬頭観音

2008-03-11 06:59:26 | Weblog
戦争による強制疎開で家を壊されるまで住んでいた”生れ故郷”を久しぶりに訪ねた。
昭和20年3月10日の後、東京では駅前や軍需工場の周囲の住宅は1週間以内に立
ち退けとの命令が出て、わが家も強制的に退去させられた。ここには母親の実家が
あって、その敷地内の別棟にに僕は生まれて14歳まで住んでいた。

母の実家は、まだ東京の区部が農村当時からあった旧家で、今も僕の歳の離れた従
弟の嫁(95)が子供夫婦と生活している。僕の子供の頃は、実家は広い庭があって昔
ながらの家であったが、今は高層ビルが立ち並ぶ中に8階建てのマンションを建てそ
の最上階で暮している。

マンションの入口に元禄11年(1699)と刻まれた馬頭観音が立っている。300年前の忠
臣蔵の時代に祖先が建てたものだ。僕が子供の頃、庭の一角に小さな塚があり、そこ
にあったのを記憶している。幸い戦火にもあわず、強制疎開でも破壊されないで済み
マンションの建設後今の所に安住できた。花受けには春の花が供えられていた。

この日、僕は74年前の従弟達の結婚式の写真を持参した。実家は疎開先で空襲にあい
家財を焼失、昔の写真を持っていない。僕はこの結婚式で雄蝶雌蝶役(お酌取)を勤めて
おり、SPレコードをプレイバックさせて彼女と昔を語りたかった。しかし、残念ながら時期
が遅かった。

帰途、僕は馬頭観音にもう一度頭を下げ手をあわせた。ご先祖崇拝は日本人の心で
ある。それによって一家の繁栄もあるような気がした。

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4 コメント

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ののさん (kakek)
2008-03-12 14:13:39
sakura さん
東京では”ののさん”でした。やはり一粒でも残すと怒られたものでした。
やはり、節約を旨とした時代でしたのですね。
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神様と仏様 (sakura)
2008-03-12 11:32:13
ご先祖崇拝…かどうかわかりませんが、祖母がよく言ってたのは「コメ一粒に神様7人いるんだから、一粒も残してはいけない」でした。
そして、仏様のことを方言で「のんのちゃん」と子供用に言ってました。ですから、うちの子には「のんのちゃんが見てるよ~」といいます。でも友達には通じませんでした(笑)
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馬頭観音 (kakek)
2008-03-11 13:41:20
chobimame さん
いわゆる家柄ではないのですが、東京の庶民の家としてはよく残っていたと思います。
驚いたのは、誰か通行人が花を供えるのだそうです。chobimameさんの意見とは若干、違うのですが、一時に比べて神社仏閣へ参拝する人も多くなっています。
この現象はなにを意味しているのでしょうか。
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Unknown (chobimame)
2008-03-11 11:58:11
kakekさんのお家は、しっかり歴史がわかっていて素晴らしいですね!
元禄時代の馬頭観音を拝見したいです!
最近は、こういう街角やお寺などにある石仏が壊される被害が全国的に増えているのだそうです。
昔の人は、道端の小さな石仏にも敬意を払い、愛したものですが、最近の若い子には「ただの石」にしか見えないそうで、年々存続が危ぶまれているのだそうです。
石仏にイタズラをしたら罰が当たるという発想はとうになくなったのだという、宗教道徳がなくなった日本のなんとも急速な荒廃が恐ろしいです
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