「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

コタコタ.インドネシア(10)ブキテインギ「日本の穴」

2020-06-23 06:23:47 | 2012・1・1

西スマトラの風光明媚なミナンカ―ボゥ住区の高原の町である。町の中心部近くに断崖絶壁の断層が走っていて先の戦争末期、駐屯していた第25軍司令部ががこれを利用して防空壕を造成した。1966年、僕もここを訪れているが、30年後の96年再訪したところ、インドネシア政府が防空壕を観光資源として売り出し、壕造成後、秘密守秘のため、工事に参加した労務者3000人を殺害したという話を観光ガイドがしていた。僕と同行した戦時中、現地で「スマトラ新聞」記者をしていた先輩は”そんなバカな”と一笑に付したが、帰国後調べると、日本国内でも学者(複数)が虐殺の虚妄を新聞に書いたり自著に書いたりして独り歩きし始めていた。

この虚妄の話は98年、第25軍関係者の働きかけで日イ政府を動かし、インドネシア政府は壕の入口にあった残虐をほのめかす壁画は撤去した。わが国でも友好ボランテイアが真実を伝えるパンフを日本語、英語、インドネシア語で作成関係先に配布したが、残念ながら最近同地を訪れた日本人学生の話では展示説明に誤りがあるようだ。

町の中心部の広場には和蘭植民地時代に建てられた時計台があり、その頂にはミナンカバう独特の家屋が載っている。なぜか日本軍政時代の写真を見るとこれがない。西70キロのボンジョルノという町には赤道がっ走っているが暑さを感じさせない高原の町である。


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