
今日、4月8日はお釈迦さんの誕生日の灌仏会。今年は桜満開の中、しかも日曜日とあって、普段は人影もない近所のお寺の境内には屋台のお店まで出る賑わいだ。本堂の前の仏像では灌仏の儀式が行われていたが、参詣人への甘茶のサービスはなかった。戦前昭和の時代には甘茶につられて大勢子供が集まったものだったが、時代は変わったものだ。
甘茶は甘茶蔓の茎を乾燥させ煎じた飲み物だ。正直言って今飲めばたいしたことはないが、戦前砂糖がまだ希少で高級品、甘味に飢えていた時代には、とても美味しく感じたものだ。”甘茶でかっぽれ、塩茶(渋茶)でかっぽれ”という言葉がある。江戸時代末期から明治時代初期にかけて上方で流行した俗謡だそうだが、アルコール抜きの宴会などで”今日は甘茶でかっぽれだ”と転用されたりしていた。
灌仏会で甘茶が使われるのは、仏教の甘露になぞらえてのものだそうだ。甘露はすでに死語に近いが、天子が仁政を施すと天がそれに感じて降らす甘い露だと辞書にある。転じて至福の意味もあるようだ。明治17年生まれの父は、美酒にしたたか飲んだ時など”甘露、甘露”といっていたのを覚えている。
最近は政治が混乱していて仁政にはほど遠い。だから天もそれに応じないのかもしれない。甘露に代わって天災の苦汁を降らしてきた。昔からのしきたりである。そんなに高価なものとは思えない。せめて、お寺さんでも参詣客に甘茶のサービスぐらいしたらどうだろうか。それでなくともお寺さん離れの昨今のことである。
甘茶は甘茶蔓の茎を乾燥させ煎じた飲み物だ。正直言って今飲めばたいしたことはないが、戦前砂糖がまだ希少で高級品、甘味に飢えていた時代には、とても美味しく感じたものだ。”甘茶でかっぽれ、塩茶(渋茶)でかっぽれ”という言葉がある。江戸時代末期から明治時代初期にかけて上方で流行した俗謡だそうだが、アルコール抜きの宴会などで”今日は甘茶でかっぽれだ”と転用されたりしていた。
灌仏会で甘茶が使われるのは、仏教の甘露になぞらえてのものだそうだ。甘露はすでに死語に近いが、天子が仁政を施すと天がそれに感じて降らす甘い露だと辞書にある。転じて至福の意味もあるようだ。明治17年生まれの父は、美酒にしたたか飲んだ時など”甘露、甘露”といっていたのを覚えている。
最近は政治が混乱していて仁政にはほど遠い。だから天もそれに応じないのかもしれない。甘露に代わって天災の苦汁を降らしてきた。昔からのしきたりである。そんなに高価なものとは思えない。せめて、お寺さんでも参詣客に甘茶のサービスぐらいしたらどうだろうか。それでなくともお寺さん離れの昨今のことである。
一般的な日本人は外国で宗教は何かと聞かれると”仏教”と答えるそうです。でも仏教とのかかわり合いは葬式だけででいた。その葬儀も最近は直葬が増えてきて無関係になってきているそうですね。お寺さんには危機感はないのでしょうか。宗教は無税だそうだから甘えがあるのでしょうね。