UAE(アラブ首長国連邦)のドバイに30年以上にわたって住む日本人女性の槇島公さんから電話を頂戴した。槇島さんは先年、僕らが1962年、新聞社の移動特派員としてUAEを取材したさい同行のKカメラんがが撮影した写真を「Dubai 1962」として現地で出版された方だ。2009年、Kカメラマンの撮影した写真の展示会が開かれ、僕らも招かれたが大変な盛況だった。今、その写真はドバイの博物館に寄贈されている。
槇島さんの話は僕が58年前の取材で、現地で知り合った日本の個人貿易商が手漕ぎの渡し船で行く姿のスナップ写真(上)を博物館に寄贈してもよいかということであった。(下)の写真は2009年、再訪した際写したものだが、今は手こぎボートなどなくモーター付きの舟がひっきりなしに桟橋を往き来していた。
ドバイの海は奥まった湾である。北九州市の洞海湾に似ている。58年前、僕らは一夜ダウ船(伝統的なアラブの舟)を雇って湾の奥部の首長の王女別邸の夜景を撮影したが、トビウオがが撮影の邪魔になったのを今でも覚えている。ドバイといえば今や超高層の五つ星のホテルが林立する近代的な観光都市だが、半世紀前には二階建て12室しかないホテルが一つしかなかった。僕の撮った1枚の写真がドバイの歴史を語る一助になれば光栄の限りだ。
地球が始まってから、こんなに早いスピードで世の中が変わっていったのはこの100年でしょうか。
1962年(昭和37年)といえば、前回の東京五輪前です。わが国でも新宿副都心の超高層ビルも新幹線ありません。世界的にもこの50年の変容ぶりは目を見張るものがあります。しかし、ドバイは当時でも日本からみれば秘境の地でした。ドバイ博物館の昔の庶民の生活ぶりのパノラマなどはKカメラマンの写真が参考になったと聞きます。
海底油田の発見という発展を支えるラッキーな面もありましたね。