「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和の遺産 自由が丘のバス停待合室

2017-10-05 05:53:19 | 2012・1・1

昨日、近所に住む70年来の”竹馬の友”二人と自由が丘で5か月ぶりに会食した。これまで季節のよい春秋二回、まだ自然が残る近くの駒沢公園、砧公園などへ弁当持参で散策の集まりをしていたのだが、昨日はお互いに足が弱り、初めて街中のカフェで昼食を共にした。

自由が丘へは東横線で一駅、乗れば数分の距離だが、昨日は友人の勧めで初めてバスを乗りついで行ってみた。バス停は電車の駅より近いし、乗換えのバス停も同じ場所、それに事実上無料(年1千円)のパス券を持っている。時間が余るほどある、老人にとっては、いいことづくめだ。

自由が丘は、ここ数年、東京では住みたい場所、行きたい場所の上位にランクされているが、戦前、駅前に藁葺の農家があった時代から、この町を知っている僕らにとっては驚きである。しかし、よく探すと、まだ昭和初の遺産を目にする。例えばバス停だが、地方の町でよく目にする待合室がまだ残っていた(写真)。地元の「広小路会」がおそらく無料で場所を提供しているものだろう。お世辞にも立派なものではないが、土一升金一升の地である。バス停で座る場所がなくいつも難儀をしている老人にとってはまさに極楽だ。

2020年の東京五輪に向かって都市整備が進んでいるが、おそらく東京のバス停は、世界でも下から数えたほうがよいのではないだろうか。世界では交通安全のためバス停前に”Bus Bey"という空間が設けられているが、東京ではほとんどない。自由が丘の屋根付き待合室のあるバス停など23区内ではほとんどないに違いない。希望の党が政策の一つにあげれば、僕は喜んで一票投じるのだが、

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4 コメント

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座席 (chobimame)
2017-10-05 09:03:57
バスの停留所は、かなり田舎に行かねば、椅子や屋根が設置されている場所は、まったく見かけなくなりました。
都内は、狭い歩道に停留所があるので、椅子まで配慮がないのでしょうね。
自由ヶ丘は、なかなか面白い街ですね。
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大正ロマン (kakek)
2017-10-05 16:23:47
chobimame さん
自由が丘は昭和のはじめ、東横線開通とともに開発されました。当初は古刹九品仏の名が駅名でしたが、不動産会社が街の開発にネーミングした自由が丘が地名の碑衾に代わってきました。大正ロマンの匂いがします。当初の住民は作家や芸術家のたまごが多かったみたいです。今はメーン通りになっている緑道よりは環七に近い高台のほうが昔が残っています。バス停の待合室は、黒柳徹子さんが通ったトットちゃんの学校に近いところです。
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敗戦直後に、道路拡幅しなかった都市計画が失敗だった (lordyupa)
2017-10-16 01:18:33
米国と違って、馬車交通が普及しなかったために、都市圏の道路幅が、明治維新以降も、狭いままだった。敗戦後の高度経済成長期になって、車社会が到来したが、道路インフラの方は、農道が基盤となった道路幅が狭いため、1m~2m程度の歩道を車道の両側に設置できなかった。この狭い道路幅を前提とした都市計画が、バス停留所に椅子やら屋根やらを設置できない最大の理由だと思います。
・・・・
私も、東急バス(渋11路線)は愛用しておりました。渋谷~駒沢大学~八雲~自由が丘~田園調布の全線乗っても220円です。渋谷行きの場合、朝の通勤時間帯であっても、八雲あたりまでで乗車すれば、かろうじて、座席が空いていますので、渋谷につくまで、本を読みながら、ゆったりと座れます。一方で、自由が丘~渋谷間で、東急電車のラッシュアワーの殺人的な混み具合とくらべて、雲泥の差があります。また、痴漢の冤罪の濡れ衣を、きせられる虞もなくなりますし・・
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名古屋の100m道路 (kakek)
2017-10-16 11:42:46
lordyupa さん
確かに東京の場合、戦後の都市計画がありませんでしたね。関東大震災後、昭和通が出来たよ本格的なインフラ整備がありませんでした。敗戦のショックでそれどころではなかったのでしょうか。名古屋では3か月後の12月に100メートル幅公園道路を中心にした復興構想が出され、実施に移されています。
JICAの研修でマレーシアから研修員を呼び、都市交通を勉強しましたが、バス交通に関してはマレーシアの方が進んでいます。道幅が狭く、自慢の銀座通りでさえ、バスベイがとれず、いわんや屋根つきのバス停など造れません。五輪までに最低限度整備すべきですね。
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