桜木町は横浜発展の原点である。明治5年、日本で初めての鉄道が新橋と横浜との間に開通したが、駅舎のあたりは「姥ケ岩」と呼ばれた海岸でこれを埋め立てて鉄道用地ができた。大正4年、東海道線が延伸され、駅舎が現在の地に移転するまで「横浜駅」であったが、以後、平成16年、みなと未来鉄道開通で閉鎖になるまで「桜木町駅」として親しまれた。特に東急東横線沿線に住む者にとっては横浜の終着駅であり横浜の代名詞であった。
桜木町は戦前生れの筆者世代には野毛の入れ口としても知られている。戦争中、軍歌ではないが筆者,銃後の小国民は「野毛の山から、のーえ、野毛の山からのーえ」で始まる野毛山節をよく歌ったものだ。幕末外国人居留地の鉄砲担いだ兵隊の演習姿を歌ったものだ。
その野毛の山は高さ50mの丘陵地帯、広さ9.1haだが、今は市の総合公園になっており、動物園もある。戦後一時進駐軍に接収されていたが、桜の木が380本も植樹され、季節には人出で賑わう。
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