
先日埼玉県でザリガニ(えびがに)を不法に捕獲したという理由からペット業者が逮捕され話題になったが、昨日たまたま昔の資料を整理していたら”アメリカ渡来の害虫ザリガニ殲滅(せんめつ)戦”という「写真週報」(昭和17年8月5日号)を見つけた。「写真週報」は戦時中銃後の国民生活の団結と戦意昂揚を目的に政府情報局が発行していた写真による週刊誌である。当時の時局を反映して面白いので原文で紹介してみる。
写真は東京市(都)葛飾区小松国民学校(小学校)の少年団400人が学校近くの青田に蟠踞(ばんきょ)する害虫ザリガニを捕りに進撃する様子を掲載”赫々(赫々)たる戦果をあげたと紹介している。写真を見ると、子供たちは手に手にたもやバケツを持って殲滅戦に参加している。葛飾区小松といえば今は多分、住宅地になっていると思うがが、70年前には写真のように一面田んぼが広がっていたのだ。
この記事によると、ザリガニは大正11年頃、アメリカから観賞用に一好事家が輸入したものだが、気候風土が適していたのか東京近郊の水田にまたたく間に繁殖。苗代や水田に潜って稲の根を切ったり畦に大穴を開け始めた。昭和16年には葛飾区だけ駆除作戦で600貫(1500㌔)を捕獲したとある。単位が違うようにも思えるが、ザリガニの蟠踞が問題になっていたのは事実のようだ。
戦時下、東京の国民学校では生徒は「少年団」に入るか「柔道」「剣道」のどちらかの武道をやるのが必修だった。この記事を読んで僕は当時を懐かしく想い出した。子供ながらに銃後の生活は厳しかった。それに比して今の子どもたちは幸せである。
写真は東京市(都)葛飾区小松国民学校(小学校)の少年団400人が学校近くの青田に蟠踞(ばんきょ)する害虫ザリガニを捕りに進撃する様子を掲載”赫々(赫々)たる戦果をあげたと紹介している。写真を見ると、子供たちは手に手にたもやバケツを持って殲滅戦に参加している。葛飾区小松といえば今は多分、住宅地になっていると思うがが、70年前には写真のように一面田んぼが広がっていたのだ。
この記事によると、ザリガニは大正11年頃、アメリカから観賞用に一好事家が輸入したものだが、気候風土が適していたのか東京近郊の水田にまたたく間に繁殖。苗代や水田に潜って稲の根を切ったり畦に大穴を開け始めた。昭和16年には葛飾区だけ駆除作戦で600貫(1500㌔)を捕獲したとある。単位が違うようにも思えるが、ザリガニの蟠踞が問題になっていたのは事実のようだ。
戦時下、東京の国民学校では生徒は「少年団」に入るか「柔道」「剣道」のどちらかの武道をやるのが必修だった。この記事を読んで僕は当時を懐かしく想い出した。子供ながらに銃後の生活は厳しかった。それに比して今の子どもたちは幸せである。