今日は暦の上では春分。わが家では昨日、昔からの習慣に従い豆まきの真似事をした。夕刻、近くのスーパーから節分行事の小道具一式(豆、柊、鰯、鬼の面)=写真=を買い求め、”鬼は外”を三回”福は内”も三回、ご近所に迷惑にならないよう、小声で豆の量もすこしだけ撒いた。僕が子供だった戦前昭和の頃の東京では、節分の夕刻になると、各家ごとに”福は内”の声がこだました記憶があるのだが。
娘が作ってくれた「恵方巻」を食べながら老妻と昔の節分行事の話しをした。もちろん、東京で「恵方巻」を食べる習慣が今のように一般に根づいてきたのは、せいぜい平成の御世になってからだ。その話の中で、結婚60年にもなるのに老妻から生まれ故郷の長野市では豆まきに大豆だけではなく、殻つきの落花生も撒くと聞いた。ネットで調べてみたら、落花生の豆まきは、北海道、東北を中心に各地にあり、成田山新勝寺では昨日の豆まきには大豆豆860キロ、落花生400キロを使用したとあった。新勝寺で落花生をまくようになったのが何時ごろか知らないが、千葉県は日本一落花生産地であり、その影響だろうが、そんなに昔からではない。
玄関先に柊の小枝に鰯の頭を指す習慣はわが家にはない。僕の記憶にもないが、地方によっては依然としてあるらしい、家の近くのスーパーでも写真のようにセットにして売っているのだから。しかし、年々、この習慣は、廃ってきた。若い世代にとっては”鰯の頭”より「恵方巻」のグルメが好まれる。
節分行事はもともとは中国から伝わったもので、奈良時代には宮中で追儺(ついな)式として行われていたが、吉田兼好の徒然草によれば、鎌倉時代には大晦日の行事として庶民の間で行われていた。徒然草の第19段には、庶民が大晦日から四方拝(新年)にかけて夜通し、松明をかかげて他人の家の門を叩いてまわる行事が書かれているが、江戸時代にはなくなっている。すべて、このような行事は時代とともに変遷があるみたいだ。「恵方巻」に代わってデパートでは、ロールケーキが登場してきたとのことだ。
パン屋までがパンで恵方巻きを作って売っていました。
最近のイベントは、全て商業的ですね。
豆まきをしなくても恵方巻きだけ食べる家庭も多いのではないでしょうか。
ネット情報によれば、北海道の豆まきで殻つき落花生を使用するようになったのは北海道落花生生産団体の仕掛けみたいです。しかし、10年間札幌にいタ体験では、わが家では昔通りの大豆豆でした。成田山新勝寺で落花生500キロも撒くと聞いて驚きましたが、これも日本一の生産量を誇る地元の生産者の働き賭けで最近のものです。恵方巻も同じ商業が優先しますね、、
中国の節分行事がどうなのか知りたいです。