先日、老妻が参加した目黒区老人会の芸能大会で「お山の杉の子」の童謡が歌われ見事入賞した。この歌は僕も歌ったことがり、僕は戦時中の造林奨励の歌と記憶していたが、調べてみると、昭和19年発表の戦争遺児を励ます歌で、元歌の六番は「さあ負けるな杉の木に 勇士の遺児なら、なお強い 頑張って頑張って 今に立派な兵隊さん 忠義孝行ひとすじに お日様出る国 神の国」であったが、戦後時代に会わぬと歌われなくなった。
2008年文化庁から「日本の歌百選」の一つに選ばれた「汽車ポッポ」も、もともとは「兵隊さんと汽車」(昭和13年 富原薫作詞)で、御殿場出身の富原さんが富士の裾野の演習所へ行く兵隊さんを乗せた列車を歌ったものだったというが、戦後「汽車ポッポ」とタイトルごと歌詞も変更された。
「お山の杉の子」と同じ昭和19年11月「比島決戦の歌」というレコードが発売されている。歌詞のリフレンを紹介すると「出てこいミニッツ、マッカ―サー 出てくりゃ地獄へ逆落とし」であった。比島決戦は、米国軍の再上陸で悲惨な結果に終わった。大変な時代だったが、童謡のメロデイはそれを思わせない。元歌の歌詞も、時代を反映するものとして、歌わないまでも記録として残したいものだ。
今の歌は、愛だ恋だと歌っているものが多い。
ということは、いかに平和だということですよね。
戦前から戦後の歌は、歴史資料として残した方が良いですね。
歴史資料として元歌を保存したいですね。例えば童謡に焚火があります。戦前は落ち葉焚きなど東京の冬の登戸風物詩でしたが、今は消防署に届けないとできないそうですね。これでは、せっかくの良い歌も意味がわからなくなり歌いませんね。
また、敵愾心を煽るために敵国を鬼畜と罵ったのは日本だけではない。アメリカの子供たちが日本人を残酷な鬼と思っていたことが、エレン・ギルクライストの小説「日本に勝つ」にも書かれている。わが国の鬼畜米英の思想を裏返しにしたような思想が、敵国のアメリカにもあったのだ。
さて、昭和20年12月15日に出されたGHQのいわゆる神道指令によって「大東亜戦争」「八紘一宇」とともに「神国」の語も使用禁止となった。『お山の杉の子』の歌詞に「神の国」とあったので、歌詞が変更されたのであろう。だが抑々、「大東亜戦争」「八紘一宇」「神の国」といった言葉が軍国主義を表す言葉と言えるのであろうか。
戦時下、アメリカでどんな歌が歌われたのか興味があります。戦後すぐに封切られた戦時中の映画を見る限りでは日本の軍歌みたいな歌はありませんでした。占領政策ですから当然ですが。ご紹介の小説、読んでみたいですね。
緒戦時のNHLの小国民のニュースは占領したインドネシアの民謡二つをアレンジしたメロデイで始まっています。時代を反映しますね。