雨で順延されていた母校の野球応援へ昨日、バスに乗り近くの球場へ杖をつきつつ出かけた。ここ数日の梅雨空とはうって変わった雲一つない青空の下、、照りつける太陽で、その昔、赤道直下のカリマンタンで求めたダヤク族の木皮の帽子も役だたないほどだ。夕刻帰宅して両腕を見たら、時計のバンド跡を残して真赤に陽焼けしていた。
残念ながら試合は10対1,7回コールド負けだったが、80歳半ばの老人にとっては、熱中症を怖れず、水分を補給しながら若い人に混じって、声を上げて応援するだけで幸せであった。僕らの高校(旧制中学)時代は、高校野球は戦争で中止されていて、戦後昭和21年に復活した第一回大会が、僕が応援に参加した初めてであったが、やはり、この時も1回戦でこの年東京大会優勝の東京高師付属中学にコールド負けしている。試合は小石川(文京区)の高師付属中学の砂利まじりの校庭であった。観客席はなく、選手の中にはユニホームがなく、ゲートルを巻いた地下足袋姿もいた。
昨日の野球は試合では大敗したが、応援では相手校を圧倒していた。さすが150年の伝統校である。平日にもかかわらず、応援席はほぼ満員。これに対して相手は都立の新設校であり、球場が学校から遠いせいあってか、あるいは最初から勝を信じていたからか、コールド勝ちなのに応援席はガラガラでほとんど応援の声も上がっていなかった。
母校の応援には、生徒のお母さんたちを中心に至りつくりのサービスだった。僕ら超OBには冷たい水を補給してくれ、凍ったおしぼりまで応援席に届けてくれた。母校の応援歌の一節に”歴史は古き○○年”とあり、僕らの時には”80年”と歌ったが、今は”150年”である。残念ながら、球場では応援歌は歌えなかったが、母校の伝統と歴史に感謝した一日であった。
残念ながら試合は10対1,7回コールド負けだったが、80歳半ばの老人にとっては、熱中症を怖れず、水分を補給しながら若い人に混じって、声を上げて応援するだけで幸せであった。僕らの高校(旧制中学)時代は、高校野球は戦争で中止されていて、戦後昭和21年に復活した第一回大会が、僕が応援に参加した初めてであったが、やはり、この時も1回戦でこの年東京大会優勝の東京高師付属中学にコールド負けしている。試合は小石川(文京区)の高師付属中学の砂利まじりの校庭であった。観客席はなく、選手の中にはユニホームがなく、ゲートルを巻いた地下足袋姿もいた。
昨日の野球は試合では大敗したが、応援では相手校を圧倒していた。さすが150年の伝統校である。平日にもかかわらず、応援席はほぼ満員。これに対して相手は都立の新設校であり、球場が学校から遠いせいあってか、あるいは最初から勝を信じていたからか、コールド勝ちなのに応援席はガラガラでほとんど応援の声も上がっていなかった。
母校の応援には、生徒のお母さんたちを中心に至りつくりのサービスだった。僕ら超OBには冷たい水を補給してくれ、凍ったおしぼりまで応援席に届けてくれた。母校の応援歌の一節に”歴史は古き○○年”とあり、僕らの時には”80年”と歌ったが、今は”150年”である。残念ながら、球場では応援歌は歌えなかったが、母校の伝統と歴史に感謝した一日であった。
2日前にすごい目眩と吐き気におそわれ、病院にいきましたら脱水と、それに伴う低血圧と言われました。
室内にいると梅雨時期は、大して暑くないことから水分を取らないので、脱水になるのだそうです。
2日間も寝込んでしまいました。
なのでKakekさんも気をつけてください。
それにしてもすごい歴史ですね。
そんな歴史ある野球部でプレー出来るのは誇りですね。
先輩たちの応援は、野球部員も嬉しいですね。
生徒のお母さんたちが気を使って冷たいボトルとおしぼり応援席に配ってくれていました。僕らの時代はバンカラ校でしたが、今は有数の進学校になり、お母さんも上品な人たちが多くなりました。しかし、逆に野球の方は ̄です。猛暑が続きそうです。気を付けます。感謝。