日本の新聞はどれも同じだという時代は終わった。昨日(6月21日)付け「産経新聞」(首都圏版)と「東京新聞」との報道ぶりは、まさに”月とすっぽん”である。「産経」は「河野談話」についての有識者会議の検証報告を一面トップで扱い、平成5年(1991年)河野洋平官房長官が発表した慰安婦強制連行を認めた談話は、河野氏の独断によるもので、後世に禍根を残した、と糾弾している。そして有識者検証報告を全ページニ面を使って全文掲載している。
一方「東京」の一面トップは、目下、与党自公両党間で協議中の集団自衛権の問題で、自民党の主張は安倍総理の見解と相違しており、公明党がこの案を拒否したと、と報道、別面でその相違点を紹介、さらに26面の特集面では”「海外の戦争」可能に、憲法九条を空文化”という識者の意見を紹介、さらに29面の社会面トップでは”戦争に巻き込まれるのは僕らだ”という集団自衛権、反対の大学生の声を記事にしている。まるで安倍政権が憲法を無視して、ひたすら戦争への道を突き進んでいる印象を与える記事だ。
「河野談話」をめぐる報道は「産経」が他紙より先行しており、大きく報道するのは理解できるし、それだけの価値がある。しかし、「東京」が二面で”日韓が文面調査”という小さな見出しの報道はどんなものであろうか。多少揚げ足とりになるが、見出しに従軍慰安婦という言葉を使っていた。従軍慰安婦という言葉は戦時中なかった言葉で、マスコミでは普通、いわゆるの字を頭につけている。社説のトーンもおかしい。”互いに譲歩して解決をはかれ”とあるが、そもそも「河野談話」は、日本側の最大譲歩の産物であり、安倍内閣がこの継承を表明しているのもさらなる譲歩だ。
「東京」の社説はさらに”もう一度人道的立場に立って被害女性の救済策を考えろ”と言っているが、まるで日本側が人道的的な立場で救済策を考えなかったのようである。本来は日韓基本条約で解決済みの問題だが、人権の見地から「アジアのための女性基金」を創設し、日本の総理の謝罪文まで添えて基金から謝罪金を支払っている。現に何人かの女性はこれを受け取っている。戦後70年近く経ち、戦争中の事はおろか、戦後の歴史さえ理解できなくなってきた若い世代が出てきたのであろうか。
一方「東京」の一面トップは、目下、与党自公両党間で協議中の集団自衛権の問題で、自民党の主張は安倍総理の見解と相違しており、公明党がこの案を拒否したと、と報道、別面でその相違点を紹介、さらに26面の特集面では”「海外の戦争」可能に、憲法九条を空文化”という識者の意見を紹介、さらに29面の社会面トップでは”戦争に巻き込まれるのは僕らだ”という集団自衛権、反対の大学生の声を記事にしている。まるで安倍政権が憲法を無視して、ひたすら戦争への道を突き進んでいる印象を与える記事だ。
「河野談話」をめぐる報道は「産経」が他紙より先行しており、大きく報道するのは理解できるし、それだけの価値がある。しかし、「東京」が二面で”日韓が文面調査”という小さな見出しの報道はどんなものであろうか。多少揚げ足とりになるが、見出しに従軍慰安婦という言葉を使っていた。従軍慰安婦という言葉は戦時中なかった言葉で、マスコミでは普通、いわゆるの字を頭につけている。社説のトーンもおかしい。”互いに譲歩して解決をはかれ”とあるが、そもそも「河野談話」は、日本側の最大譲歩の産物であり、安倍内閣がこの継承を表明しているのもさらなる譲歩だ。
「東京」の社説はさらに”もう一度人道的立場に立って被害女性の救済策を考えろ”と言っているが、まるで日本側が人道的的な立場で救済策を考えなかったのようである。本来は日韓基本条約で解決済みの問題だが、人権の見地から「アジアのための女性基金」を創設し、日本の総理の謝罪文まで添えて基金から謝罪金を支払っている。現に何人かの女性はこれを受け取っている。戦後70年近く経ち、戦争中の事はおろか、戦後の歴史さえ理解できなくなってきた若い世代が出てきたのであろうか。
日本のように「慰安婦の証拠はないが、史実を隠蔽捏造してでも、謝れば相手も許してくれるだろう」と期待して一方的に譲歩するお人好し国家は、世界では唯一だと思います。外交とは戦争によらずに国益の確保そのものであり、他国と友好や善隣となることではありません。
話には聞いていましたが、「東京新聞」は”めちゃくちゃ”ですね。「河野談話」を一方的に検証し、一方的にマスコミに流すのは両国の間で結ばれた協定違反だというのです。
共同の配信記事ではなくて、独自の記事ですね。「中日」本紙はどうなのでしょうか。
お説の通り、文科省も肝心の外務省も、戦後一貫して、変な近隣諸国配慮、事なかれ主義です。2000年の日蘭400年戦争展の際、当時の河野外務大臣のあまりにも腰のひけた外交に対して、当時の林田日イ会長の後について河野外相に抗議したのが思い出されます。
戦後70年です。旧来の事なかれ外交から脱皮する時期に来ていますね。