「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

瀋陽博物館の旧満鉄の蒸気機関車

2017-10-16 05:30:08 | 2012・1・1
戦前、中国大陸を走っていた満鉄(南満州鉄道)の特急「あじあ」を牽引していたパシナ型蒸気機関車2両が瀋陽市の博物館に保存されており、その写真が産経新聞(10月14日付首都圏版1面)に掲載されていた。”帝都をあとに颯爽と東海道は特急の流線一路 富士、桜、燕”で始まる新鉄道唱歌を歌った僕らの世代には懐かしい。

1964年(昭和39年)10月、東海道新幹線が開業するまで東京ー大阪間はなんと8時間20分もかかっていたのだ。一部しか電化されず、C-51のSL(蒸気機関車)が特急列車を牽引して走っていた。満鉄の流線型「あじあ」のパシナ機関車は、当時の子供たち憧れの的だった。

SLによる最後の旅客列車が現役を終えたのは昭和50年、すでに半世紀近く立っているが、今でも鉄道ファンには根強い人気があるようだが、残念ながら瀋陽博物館のパシナ型SLは一般には公開されていないようだ。産経新聞によると、理由は”日本帝国主義の中国侵略の象徴”だからだそうである。南京虐殺博物館が無料で一般公開されているのと好対照だ。

SLといえば、戦争中、日本軍が建設した泰緬鉄道を走っていたC56が靖国神社境内の遊就館に展示されている。映画「戦場にかける橋」で、日本兵の捕虜に対する残虐行為だけが強調されているが、鉄道連隊が短期間に難工事を完成した路線を走っていた記念のSLである。

平和の時代の鉄道ファンにとっては戦争は関係ない。その時代の歴史の証人として、瀋陽博物館の「あじあ」牽引したパシナ型SLも一般公開すれば、日本からも大勢訪れると思うのだが。

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2 コメント

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なんでも侵略 (chobimame)
2017-10-16 09:19:32
もうSLが日常に走る事はありませんが、観光目的で、確か秩父鉄道が月に数回走らせていた記憶があります。
満州は、侵略とも違うような気がします。
満州建国に担ぎ出さなくても、どのみち紫禁城は倒されていましたし、当時の中国とも既に隔たりがあったように思います。
そこに付け行ったと言えば、そうなんでしょうが、中国の作り上げた歴史とは、全く異なると思います。
満鉄がどのようなものだったのか知りたいですが、
日本を侵略国家だと印象づけると、得をする国や人がいるので、なかなか歴史として冷静に知る事が難しくなってきています。
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国の心性 (kakek)
2017-10-16 11:01:54
chobimame さん
台湾の旧日本時代の建物が観光資源として再び人気を呼んでいるそうですが、歴史認識の問題によって随分違うようですね。インドネシアはオランダに対して一切、殖民地時代の補償を求めていませんが、同地内には植民地時代のインフラがまだ残って利用されています。日本は僅か3年少しの軍政でしたが、莫大な賠償を支払いました。韓国は、賠償をもらっ田植え、まだ架空の従軍慰霊婦問題を持ち出し、まだ騒いでいます。国の心性の問題ですね。
満鉄について調べたいと思っていましたが、齢を取りすぎました。
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