「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

歌は世につれ、世は歌につれ 「軍歌」が聞ける編年体コンサート

2014-03-12 06:12:21 | Weblog
新聞の片隅に小さな記事で「日本の歌編年体コンサート」(3月30日東京文化会館)という紹介があった。編年体とは聞きなれない言葉だが、”年を追って”という意味で、各年代ごとの歌のコンサート。2009年の第1回「明治維新 日清戦争」から始まって今年は12回目で、そのタイトルは「文部省日本国民歌(昭和14年(NHK国民歌謡(昭和11年―16年)とある。

その曲目を見ると、昔僕らが毎日のように歌っていた歌が沢山ある。「太平洋行進曲」「出征兵士を送る歌」「暁に祈る」「燃ゆる大空」「紀元二千六百年」etc。どれも今は「軍歌」という理由からかが歌われなくなったが、僕らにとっては懐かしいものばかりだ。口ずさむと、その時代が目に浮かんでくる。「軍歌」を歌ってはいけないという法律があるのだろうかー。80の老人が「軍歌」を歌ったからといって、今さら軍国主義者でもあるまいがー。

どの「軍歌」にも想い出がある。なかでも「出征兵士の歌」が懐かしい。小学校3年の時、級友の一人のお父さんが応召され、これを先生が劇に演出して学芸会に出し、この歌を皆で合唱した。戦争が激化しない、このころまでは街の人の誰かが召集されると、僕ら小学生が「日の丸」と「祝出征」ののぼりをたてて駅まで送ったものだ。級友の父親は床屋さんだったが、出征後店は閉鎖され、その後、お父さんは中国大陸で戦死された。

「紀元二千六百年」は昭和15年、小学校4年の時開催された式典の祝賛歌である。”金鵄(きんし)輝く日本の”で始まる、この歌は安倍総理の口癖を借りれば、日本中津々浦々で歌われたものだ。僕の住んでいた町にも、きれいに着飾った花電車がやってきた。この歌など直接、戦争に関係ないのだが、昔からあった「皇紀」という年号とともに、忘れさられた。俗に”歌は世につれ、世は歌につれ”というが、編年体という形でも、後世にその時代を映す鏡として残して貰いたい。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
残して欲しい (chobimame)
2014-03-12 15:39:15
そのようコンサートがあるなら、是非聞いてみたいです。今では軍国主義が台頭していた時代の歌は聞けません。一部の国や人に関する無用な配慮から、戦争を連想させるものは、タブー視しているのが現状です。本当に残念な事です。
昔の歌は歌詞がキレイですから、ずっと残して欲しいと思います。
返信する
軍歌の落語 (kakek)
2014-03-13 08:05:21
chobimame さん
僕も機会があれば、この音楽会に行ってみたいです。落語の真打の一人に川柳川柳という芸人がいて、軍歌を本格的に歌って落語にしています。数年前、浅草の演芸所で聞いたことがありましたが、すばらしい芸でした。いたずらに軍歌を避けるのではなくて、あの時代を知るうえで保存すべきでしょうね。
返信する

コメントを投稿