ウクライナ戦争は異常である。ロシアの侵攻で危険を避け国内外へ逃れた人は332万人に上るという(国連難民高等弁務所)。時も折、3月20日、老生は77年前東京無差別大空襲の戦火から逃れ、強制疎開によって2台の荷馬車で、当時はまだ郊外であった今の地に移った。亡父の日記によると、東京では3月10日の下町大空襲の後、鉄道の駅前や軍需工場周辺の強制疎開計画が一挙にはやまった。1週間もたたない16日には計画が具体化し、隣近所は戦場のような取り壊し作業が始まった、わが家でも引っ越し先がなく困っていたが、貸していた家の家作人に無理をいい同居を乞うた。そして、荷馬車屋にやっと頼みこみ、亡父と14歳の老生が乗り込んだ。
東京大空襲はこの後4月から5月にかけて激化し、取り壊されたわが家の周辺は戦火から逃れたが、駅や母校などは消失した。疎開から免れた学友の家はすべて焼け、5月の空襲では飼い主をなくした馬が狂ったように深夜の大通りを走りまわっていたと親友が語っていた、その親友もすでに数年前物故してしまった。戦争は異常でむごたらしいだけだ。
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