GINO BECHI SINGS " DICITINCELLO VUJE "
なつかしいマエストロ、ジーノ・ベーキ。
私はベーキの最晩年の教え子だった。
デル・モナコのレッスンとはまた違って、具体的なものだった。
デル・モナコは歌とドラマのせめぎあいを説いて下さったけれど。
若い私には、それよりもベルカント唱法を究めたかった。
日本で学んだ「ベルカント」はイタリアでは「違う」、日本はまだまだドイツ発声が混じっていた。
ベーキは私にヴェルディの伝統的な歌いかた、ベルカントを教えて下さった。
日本では知られていないけれど、戦後イタリアオペラの復興は、ジーノ・ベーキの歌うヴェルディ「ナブッコ」だった。
私は、その時のライヴレコード、マリア・カラスとの共演のものを偶然もっていた。
当時はバスティアニーニもベルゴンツイもベーキの歌に学んだ。
「発声の神様」とも呼ばれ、ベルカントの権威、文字通りイタリアオペラ最高の名歌手だった。
私は、彼がそんなに偉い人とも知らず、レッスンを受けた。
若い時は怖いものなしで、今思うと冷や汗が出てくる。
フィレンツェの標準語で話す声は美しく響く。
彼は晩年でも第一線で歌えるような偉大な声を持っていた。
「声はBまで出るんだけど、息が続かなくなった」って。
若い歌手はもっと息が続かないんですけど・・・。
「マエストロ」というよりは、偉大な芸術家であった。
なつかしいマエストロ、ジーノ・ベーキ。
私はベーキの最晩年の教え子だった。
デル・モナコのレッスンとはまた違って、具体的なものだった。
デル・モナコは歌とドラマのせめぎあいを説いて下さったけれど。
若い私には、それよりもベルカント唱法を究めたかった。
日本で学んだ「ベルカント」はイタリアでは「違う」、日本はまだまだドイツ発声が混じっていた。
ベーキは私にヴェルディの伝統的な歌いかた、ベルカントを教えて下さった。
日本では知られていないけれど、戦後イタリアオペラの復興は、ジーノ・ベーキの歌うヴェルディ「ナブッコ」だった。
私は、その時のライヴレコード、マリア・カラスとの共演のものを偶然もっていた。
当時はバスティアニーニもベルゴンツイもベーキの歌に学んだ。
「発声の神様」とも呼ばれ、ベルカントの権威、文字通りイタリアオペラ最高の名歌手だった。
私は、彼がそんなに偉い人とも知らず、レッスンを受けた。
若い時は怖いものなしで、今思うと冷や汗が出てくる。
フィレンツェの標準語で話す声は美しく響く。
彼は晩年でも第一線で歌えるような偉大な声を持っていた。
「声はBまで出るんだけど、息が続かなくなった」って。
若い歌手はもっと息が続かないんですけど・・・。
「マエストロ」というよりは、偉大な芸術家であった。