Mario del Monaco-Musica proibita
世界最高のドラマティック・テノール、マリオ・デル・モナコをはじめて聴いたのは、子供時代テレビでだった。
今まで聴いた「歌」とは根本的に違う、気高く情熱的、そして魅力的な素晴らしい美声、私はピアノよりも声楽、特にイタリアオペラが好きになった。
やがて晩年のデル・モナコのレッスンを受けるためのオーディションに合格し、カタラーニ「ワリー」、プッチーニ「トゥーランドット」「マノン・レスコー」「トスカ」などの曲を持っていった。
その頃のデル・モナコは、健康上の理由で引退し、レコードの録音だけにしていた。
しかし、あの偉大な声は全く衰えていない。
あの情熱のかたまりのようなデル・モナコは、ひとつのフレーズを歌っても慎重で、賢明、冷静そのものだった。
溢れる様な声量でラクラク歌うデル・モナコ、しかし実際は工夫し考え抜かれた演奏だった。
それを全く表に出さないだけである。
デル・モナコの前で歌えるなんて・・・なぜか歌ってはいけないような敬虔な気持ちになったりもした。
彼の歌を称賛するだけの立場であるべきな気がした。
彼は、透析患者だった。この時、はじめて知ったのだ。
「もし、もとの健康が戻ったら、どれほど嬉しいだろう、歌えるためなら、どんな苦労でもする」と言った。
レコード録音は室内でできるが、オペラ公演は時間も夜、しかも練習や打ち合わせ、舞台稽古など、大変な労力で完全主義のデル・モナコにとって、いいかげんなことでは舞台にたてなかったと思う。
昔、軍隊から帰って、茹で卵一個であちこちのオーディションに自転車で走り回ったと言う。
でもオーディションの審査員たちは私語をしたり、食べたり飲んだりしていいかげんな態度だった、そこで若きデル・モナコはおもいきり長く声を最強音で伸ばした。
「君は誰だ!」びっくりした審査員は尋ねた。
デル・モナコは言った。
「さっきから歌っている者です」・・・・・ここで爆笑だった。なつかしい思い出話である。
☆ 学生時代、箱根駅伝を目指し、長距離走者だったhou23様、突然襲った病魔に苦悩され、やがて「方丈記」で世の無常を感じ取られ「悔いのない人生を」と。
「禁じられし長距離走者」・・・でも「人生の長距離走者」では勝利者です。『心の月桂冠』をお持ちです。
そして、この美しい曲をどうぞ
世界最高のドラマティック・テノール、マリオ・デル・モナコをはじめて聴いたのは、子供時代テレビでだった。
今まで聴いた「歌」とは根本的に違う、気高く情熱的、そして魅力的な素晴らしい美声、私はピアノよりも声楽、特にイタリアオペラが好きになった。
やがて晩年のデル・モナコのレッスンを受けるためのオーディションに合格し、カタラーニ「ワリー」、プッチーニ「トゥーランドット」「マノン・レスコー」「トスカ」などの曲を持っていった。
その頃のデル・モナコは、健康上の理由で引退し、レコードの録音だけにしていた。
しかし、あの偉大な声は全く衰えていない。
あの情熱のかたまりのようなデル・モナコは、ひとつのフレーズを歌っても慎重で、賢明、冷静そのものだった。
溢れる様な声量でラクラク歌うデル・モナコ、しかし実際は工夫し考え抜かれた演奏だった。
それを全く表に出さないだけである。
デル・モナコの前で歌えるなんて・・・なぜか歌ってはいけないような敬虔な気持ちになったりもした。
彼の歌を称賛するだけの立場であるべきな気がした。
彼は、透析患者だった。この時、はじめて知ったのだ。
「もし、もとの健康が戻ったら、どれほど嬉しいだろう、歌えるためなら、どんな苦労でもする」と言った。
レコード録音は室内でできるが、オペラ公演は時間も夜、しかも練習や打ち合わせ、舞台稽古など、大変な労力で完全主義のデル・モナコにとって、いいかげんなことでは舞台にたてなかったと思う。
昔、軍隊から帰って、茹で卵一個であちこちのオーディションに自転車で走り回ったと言う。
でもオーディションの審査員たちは私語をしたり、食べたり飲んだりしていいかげんな態度だった、そこで若きデル・モナコはおもいきり長く声を最強音で伸ばした。
「君は誰だ!」びっくりした審査員は尋ねた。
デル・モナコは言った。
「さっきから歌っている者です」・・・・・ここで爆笑だった。なつかしい思い出話である。
☆ 学生時代、箱根駅伝を目指し、長距離走者だったhou23様、突然襲った病魔に苦悩され、やがて「方丈記」で世の無常を感じ取られ「悔いのない人生を」と。
「禁じられし長距離走者」・・・でも「人生の長距離走者」では勝利者です。『心の月桂冠』をお持ちです。
そして、この美しい曲をどうぞ