ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

ヴェルディ「運命の力」~カップッチッリとサルターリンによる2重唱

2011年05月27日 | オペラ
Duetto Invano Alvaro La Forza del destino Piero Cappuccilli Maurizio Saltarin


大歌手カップッチッリと新人テノールのサルターリンのヴェルディ「運命の力」からコンサートで歌われた2重唱。

高齢のカップッチッリの歌は「いぶし銀の魅力」の凄さを感じる。
優秀な新人であるサルターリンは「トロヴァトーレ」の高音のアタックなど威力たっぷりに聴かせていたが、このように大歌手と並ぶとまだまだ、あんなに声があるのにカップッチッリの存在にかすまされる。

日本の誇る若手バリトン、Ken様にエールを贈ります。



<この曲をお聴きになる方々にご説明>

父親を殺されたうらみで友人だったアルヴァーロに決闘を挑むカルロ(カップッチッリ)、事件は事故だったが、今は修道僧となり贖罪の日々をおくっていたアルヴァーロは心から詫びるが、カルロは許さず決闘を迫る。
そしてついに二人は剣をとる・・・。
ドラマティックな声の勝負でもあり、ヴェルディ歌手の喉のきかせどころであった。


<伴奏者のピアノが・・・>

イタリアでは時々驚くようなレベルのピアニストがいる。
日本公演でカップッチッリが連れてきたピアノ伴奏者は前奏で必ず一度間違える、これにはビックリしたが、カップッチッリは驚かない。ブレスやフレージングでうまくタイミングを合わせるので納得しているようだ。

この女性ピアニストもひどいものだ。左手の和音では♯をはずしたり、とんでもないところで間違ったり、また最後のところなどベーキが弾けば必ず左手の和音はオクターブ低くし、オーケストラの威力を彷彿させる、ところがこの女流ピアニストはオーケストラ効果など意に介せず、弾くことでよしとしている。
ただ、ブレスやフレージングの間の具合が歌い手にとっては歌いやすいのだろう。
せっかく歌がいいのに、ちょっとなあ・・・と思うのだけど。
これ、本当にピアニスト?伴奏はイタリアでは指揮者や音楽学者が担当することもあるし・・・。
ピアノ譜はあくまで基準であって、イタリアの名伴奏者はそれをオーケストラ効果を加えて弾くのだけど。ちょっと気になった。
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衆院内閣委員会・小泉進次郎「辻元清美補佐官は」2011.05.25-1

2011年05月27日 | 東日本大震災
衆院内閣委員会・小泉進次郎「辻元清美補佐官は」2011.05.25-1


小泉進次郎氏をアップするのは久しぶりのことだ。
昨年前半は、進次郎氏の演説を楽しんでいたが、彼のブログにがっかりしてあまり期待しなくなってしまった。
不器用だけれど熱意あふれる江藤議員など、他にも注目したい演説もあった。

しかし、やはり小泉進次郎氏の演説や質問は「華」がある。
縦横自在、柔軟さ、そしてポイントを絞ったらここぞとばかりに攻勢をかける、いつのまにか「そうだそうだ、よく言ってくれた」と声援している私。

彼はガチガチの保守のような、または左翼によく見られる「スローガン主義」や「建前主義」がない。
いつも自由なところにいるような気がする。

よく「~であるべきではないか」と強い調子で<一人称単数>的な表現で、「正義」を語るのはよく耳にし、目にする。
これは危険だ。自分と違う考えをはねのけ、異端呼ばわり?するように決めつける、このような人のブログを読んだりすると決して間違っているとは言えないのだけれど、息苦しいのだ。

この動画で進次郎氏が「ボランティア」について、「辻元氏が何をしているのか国民みんながわからない」と言うところなど、その通りだ。
自分自身がずっとそう思っていたのだけれど、進次郎氏が声をあげることによって、ホッとするのだ。


ここから別の話になるが・・・

毎日接するニュースが「気持ちを逆なで」するようなものが多く、見たり聞いたりするたびに心が荒れた。
マスコミ奪還!と叫んでみても、マスコミは日本の立場にはない、空しさが広がる。

原発で、青山さんの「アンカー」にも名前が出ていた吉田所長が、東電トップの命令によらず、注水し続けるという英断をしたことも、彼を「指示に従っていない」などと東電副社長が「何らかの処分をする」と言っている。

私はあのsengoku38氏のことと重ね合わせた。
正常に政府が機能していないのに、「全体主義よろしく」≪指示に従っていない≫とひとこと言う。
指示系統はいいかげん、官邸はあわててしまって冷静な判断ができない・・・それを言うべきだが、必ず、「従わなかった」と堂々と責める。

イエスマンだったらこうして「非難」されないのだ。
首をすくめて殻の中に閉じこもっていれば、何もいわれない。
事なかれ主義の「底辺」は広い。

誰かが斬りこんでいって、正義をつらぬこうとすると必ずそうしたことがある。
「史記」でも刺客はそうだ。風しょうしょう易水寒し、か・・・。
それが「侠」なのだ・・・あ、っとまたまた歴女節、自分を恃むという魅力にゾクゾクしてしまう。
おっと、それは「美学」であって「政治」ではない。

政治が変というのを理解しながらも、きれいごとを言う庶民、また叩きやすいところを叩くマスコミ、政府。
勇気あるジャーナリスト司馬遷は「アンカー」だけか・・・。
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