時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。
Vadim Repin Plays Tchaikovsky : Sentimental Waltz
★ レーピンが弾くチャイコフスキー「感傷的なワルツ」
現代最高峰のヴァイオリニスト、レーピンは「オイストラッフの再来」と絶賛され、そのおおらかなスケールと絶妙なフレージング、底なしと思えるほどのドラマティックな表現力で魅了する。
これは演奏会のプログラム終了後のアンコールで、短い曲だが、レーピンが弾くと忘れ得ぬ感動、もはやレーピンは20世紀前半から中葉のハイフェッツ、オイストラッフに並ぶ名ヴァイオリニストになったのではないかと思う。
使用楽器はハイフェッツと同じグアルネリ・デル・ジェス。(華麗なストラディバリに比べ、グアルネリ・デル・ジェスは強靭な響きを持つ)
現代の多くのヴァイオリニストは緻密で完璧な演奏、ある意味で機械的な演奏をする人が多いが、レーピンは
聴き手の心をとらえ、かつての巨匠だけが持っていたような鷹揚さがある。
顔が横綱の白鵬に似ているように思う。
鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
第153号(7月10日)
*北朝鮮の礼砲
昨日早朝、北朝鮮は弾道ミサイル「スカッド」を2発、発射し日本海に着弾させた。
先月29日にもスカッド2発を発射しており、この時は7月3日の習近平・中国主席の訪韓を牽制したとの見方がもっぱらだった。
では今回の発射は何を牽制したのか?様々な憶測が飛び交う中、朝鮮中央通信は北朝鮮の核開発担当幹部だったチョンビョンホ88歳の死去を伝えた。つまり発射は葬送の礼砲だったのだ。
だがこの礼砲は前回の牽制よりも重大な決意を示しているのかも知れない。何故なら核ミサイル開発は成功だったと老幹部の功績を讃えている訳であり、従ってその成果である核ミサイルを放棄する意思がないことを示しているからだ。
7月3日の中韓首脳会談で、北朝鮮の核放棄に向けて中韓の連携が明言されているから、これに対する反発であることは明らかだ。
実は同日、日本政府は北朝鮮への制裁の一部解除を決定しており、度重なるスカッド発射にもかかわらず、この方針に変更はない。
米国が無言であることを考え合わせれば、日米は北の核を容認し中韓は否認するという構図が見えてくる。
北の核ミサイルが中韓には届くが日米には届かないという技術的理由だけではない、戦略的状況がそこには存在する。
1960年代、中国は孤立した貧乏大国に過ぎなかったが、毛沢東は核開発に邁進し、成功した段階で、ソ連との国境紛争に及んだ。
これを見た米国は、敵の敵は味方とばかりに中国に接近し、国連の常任理事国に据えて国交を樹立した。
つまり中国は共産主義国家でありながら、日米欧による対ソ包囲網に参加し、ソ連を裏切って世界の大国に成りおおせたのである。
さて、もし北朝鮮が中国のかつての道筋を見習って核開発に邁進しているとするなら、北の核ミサイルはどこに向けられているのか?
中国の核ミサイルがソ連に向けられていたからこそ、日米欧の対ソ包囲網への仲間入りが出来た。
同様の論理で北の核ミサイルが中国に向けられているのであれば、日米豪印の対中包囲網への仲間入りが出来る筈であろう。
日朝間の最大の懸案は拉致問題である。
日本に北朝鮮大使館が出来て、かつての拉致工作員たちが外交官特権を帯びて日本に赴任して来るなどという状況を、日本国民が容認できる訳はない。
一方北朝鮮にとって、拉致の首謀者であった金正日亡き後、拉致問題は妥協可能な問題である。北朝鮮の今回の礼砲は、核問題では譲らないが拉致問題では譲歩する、そんな姿勢を示唆していよう。
★ 東京の朝鮮総連本部ビルはどうするつもりか? まだ朝鮮総連が出はいりしていると言う話をきくが、事実なのか?
そこが将来北朝鮮の「大使館」にするとでも?
かつての日本政府の拉致問題への無関心さ、ことを荒立てたくない「事なかれ主義」は、今も形を変えて出てきているのではないのか?
「北朝鮮と早く国交を開きたい」というあせりも聴くが、それは「北朝鮮の資源を買いたい」がためであり、拉致問題はその次という
姿勢がみえかくれしているように思えてならない。(グローバル新自由主義者の考えることかも知れない)
日本国民を拉致したまま、いまだに帰国させず、難題をもちかける北朝鮮、
また北朝鮮では「帰国」の順番が「拉致・特定失踪者」が一番最後になっているというではないか。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/51be2ee6f691c5e90146deadb3cfc521
また、安倍総理が自衛隊が強固に反対するに関わらず「潜水艦」の技術をオーストラリアに渡すというのは、
オーストラリアだけの望みではなく、アメリカが背後に糸を引いているとしか思えない。日本の「体力」を削ぐためだ。
北朝鮮は日本人妻を帰国させるというが、日本人妻以外に工作員も来るのではないか? またその子孫についてもどうするのか?
北朝鮮が崩壊するのも思ったよりもはやいのではないか?
その時に出てくる「難民」だが日本はどうするのか? そのことは何も討議されていない。
こんな時ほど、地道できめ細かいことを考える必要がある。パフォーマンスはもう結構だ。
「安保」担当相というのを指示したのも、よくわからない。
★ 昨年、12月に京都で開催された『国際経済フォーラム』(国際会議場)が本になりました。
私も買って読み、思い出しています。その時の講師のひとり、柴山佳太先生がその時のことをメルマガで書かれています。
From 柴山桂太@滋賀大学准教授
昨年12月に行われた、京都国際シンポジウムの記録が本になりました。
「グローバリズムが世界を滅ぼす」(文春新書)
http://www.amazon.co.jp/dp/4166609742
http://honto.jp/netstore/pd-book_26207450.html
びっくりするようなタイトルですが、中味はいたってまじめです。
収録されているのは、シンポジウムにおける各氏(トッド、チャン、藤井、中野、柴山)の報告の要旨と、翌日に同じメンバーで行われた座談会の記録、そして別日に行われたトッド・中野対談(司会は堀茂樹先生)の記録の三本です。
このうち、強く印象に残ったのは座談会でしょうか。字数の関係で活字になった部分は少ないのですが、実際には昼前から夕方遅くまで、ずっと議論が続きました。途中の休憩を除いても、5~6時間は話したのではないかと思います。
座談会後は遅くまで楽しい宴が続き、そこでもう少し踏み込んだ会話がなされたりと、今思い返しても忘れがたい一日となったわけです。
活字にならなかった部分を書くのは控えますが、活字となった部分だけを見ても、たとえばチャン氏の「アメリカが実は世界でもっとも強力な産業政策を行っている」という発言や、トッド氏の「20世紀初頭までのグローバリゼーションの時代と今日が著しく異なると思うのは、教育の効果です」という発言など、実に興味深いものがあります。
両氏とも、国際的に見れば日本はうまく行っているという趣旨のことを繰り返し述べていたのが印象的でした。
特にトッド氏はアベノミクスをずいぶん評価しており、本書でもアベノミクスは「国際的に見れば左派的な政策だ」と述べています。
これは、特に拡張的な金融・財政政策を念頭に置いての発言です。
国民の連帯を強めるから、というのがその理由です。
ここからも明らかなように、右派/左派の区別は再定義が必要です。
国民の連帯、という言葉のうち「国民」の方に力点をおけば右派的に、「連帯」の方に力点をおけば左派的になりますが、どちらにせよ同じコインの裏表です。共通の敵は、国民の連帯をばらばらにしかねない政策やイデオロギーです。
この点、アベノミクスの第一、第二の矢は国民の連帯を強めうる方向に、第三の矢はそれを壊しかねない方向に向かっています。
ユーロの場合は、通貨主権を放棄してしまったために機動的な金融・財政政策がとれないわけですから、国民の連帯を維持するのが難しい。
議論を単純化しすぎかもしれませんが、今の日欧が抱えている問題をそのように理解することができると思います。
アメリカについては、見方が微妙に分かれたりしたのですが、詳しくは本書でご確認いただくとしましょう。
私にとっては、グローバリゼーションの今後を考える上で、人口動態に注目すべきだというトッド氏の指摘は得心のいくものでした。
たとえばトッド氏は、高齢化が進むと、人々は現状を大きく変えようとはしなくなるので、社会的な分断(たとえば所得格差)を放置しがちになる、という仮説を出しています。今の先進国で格差是正の動きが生じにくい理由も、ここにあるのではないかと。
逆に、人口構成の上で若者の比率が大きい国では、現状に対する不満が社会変革につながりやすいということで、新興国の抱える政治リスクもこうした人口学的な視点から説明できるでしょう。
またトッド氏は、教育水準の上昇が一方で「ナルシズム的自己」を生み出すと同時に、他方で教育格差が潜在的な不平等の意識を強めるとも発言しています。このあたりは、もう少し時間をかけて考えてみたい問題ですが、教育水準の向上が社会統合を強めるのではなく、弱める可能性があるという指摘は重要です。
などと重々しいことを書きましたが、実際のシンポジウムや座談会で行われた会話はもっと軽妙で、話があちこちに飛びながら話題と笑いが次第に広がっていくというものでした。
特に中野さんのジョークは冴え渡っていて、何度も笑いをとっていました。(氏のジョークは国際競争力があるようです。)
そういえばシンポジウムの語源は、酒宴とか一緒に酒を飲む、という意味だそうで、酒精の力を借りて話を政治経済から文化まで、重々しいものから軽いものまで、自在に広げていくというイメージなのでしょう。その意味でのシンポジウムは別に知識人の専売特許ではありません。
日本の各地で宴が開かれて、楽しくもまじめな議論があちこちで花開くとしたら、連日の暗いニュースも吹き飛ぶというものです。
本書もまたそうしたシンポジウムの産物です。読後に明るい気分になるかと言えばならないと思いますが、暗い話題を語るなかにも軽妙の精神が息づいると感じ取ってもらえるとしたら、参加者の一人としてうれしく思います。(以上、柴山佳太先生)
★ あの日は自然豊かな京都の国際会議場で、朝から夜までずっとでした。
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/bgc/
(・・・これはその時の「お知らせ」で、これを見て参加を申し込みました。)
メモをするにも疲れ果てて断念し、講師の方々のお話を聴くことに専念、藤井聡先生が中心になってお世話されていました。
それがこの本一冊になっていることを思えば、メモなどとんでもないことでしょう。
この時のことは当ブログに書いています。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/5884f0faafd39080e07a0c6467b95fe6
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/bb03c98e99f2be9b35faee4557186092
★ あの時の講師の先生方のお話が動画になっているのを発見!!
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/bgc/presentation/index.html
・・・ここをクリックして各先生方の講演をお聴きください。下記にもyoutubeを貼り付けています。トッド先生の日本語訳がないので残念。
藤井聡先生の開会の挨拶と講演
国際シンポジウム「グローバル資本主義を超えて」:藤井聡(京都大学大学院教授・京都大学レジリエンス研究ユニット長・内閣官房参与):「トータリズム(全体主義)としてのグローバリズム」
国際シンポジウム「グローバル資本主義を超えて」:ハジュン・チャン(経済学者):「新自由主義の失敗と資本主義の未来」
国際シンポジウム「グローバル資本主義を超えて」:柴山桂太(滋賀大学経済学部准教授):「歴史は繰り返す?第二次グローバル化の未来」
エマニュエル・トッド氏(日本語訳を製作中)
International symposium "Beyond Global Capitalism", Emmanuel Todd
国際シンポジウム「グローバル資本主義を超えて」:中野剛志(評論家・元京都大学大学院准教授):「新自由主義と保守主義」