西田昌司×脇雅史 正論対談 VOL.1「法治国家とは何か」
脇議員は西田昌司議員が尊敬する先輩議員です。
もう次は出馬しないと言っていました。
「国会議員としての職業意識・倫理観」について。
★ 以前、西部ゼミナールでは、西部・脇・西田昌司氏のこんな対談があった。
正道を進め、日本国家西部ゼミ2014年10月19日放送
西部邁
地域が成り立つためには、人々がそこになにほどか【定住】するというね。
ラテン語系のあれはうまくできていて、住民のことを「Inhabitant」と言うでしょう。「habit」というのは慣習でしょう。これに『in-habit』で、『慣習の中に入る』、つまり『慣習というのは定住性がないとできない』、そこに長期に渡って子々孫々ね。まぁまぁ『あまり動かない』というね。
ところが、日本人は「高度成長」以来、人口移動を褒め称え得て、「効率を目指して」みんな東京に集まって、大規模なんとかの利益とか称してね。『この定住するということは、これが地域の根本条件』なんですよね。
西田昌司
不便なんですよね、実は。
僕はあれで言うと、僕もずーっと歩いていると思うんですけど、田舎というのは定住で、インハビタント(住民:Inhabitant)じゃないですけど「習慣・風習」で縛られてですね、本当に大変でしょう?
都会へ行くとそういうのは無いし、便利なんですけども、しかし、やっぱり人間というのはやっぱり程度もので、『まったく何も縛りが無くなってしまうと、やっぱり人間として生きられない』んですね。
脇雅史
そう。
江戸時代、それ以前も前からですけども、『日本という国は、そこで生まれた人は、そこで死ぬ』と、だいたい。
そういう世界なんですね。やたらと(外へ)出ていけない。「移住の自由」というのは、ほとんど与えられていなくて。
そうするとね、そこに生まれてそこで死ぬという運命になったら、人はどう思うかといえば、【そこを良くしよう】と思うという以外にないわけですね。
だから、それが、【日本文化を生んできた】わけで。
これが、戦後はですね、「東京はいいぞ」と。「どこでも外国でもいいし、行きたいとこ行きゃいいんだ」と、「個人が生まれていちばん楽な人生を送ればいいんだ」と、『お金だけ考えて動く』ようになってしまったら、やっぱり国は潰れるんですよ。
西部邁
全ての問題は、なんかその点に帰着して、『グローバル』なんて言うけど、グローバルのあれはね、人も物も自由勝手に移動できるという。
でも、見てたら確かに、資源とか金とか情報は移動するけどね、「人間」というのは、本当に移動しているのはほんのわずかですよ。
これ、主として知識人系統は、(人が)移動しやすいとか、簡単に「下級労働者」ね、それも移動しますけどもね、
国民の大半はね、そこにとどまる。実は留まるから国家ってものが成り立つんですよね。
国家、国家なんて言っているけどね、やっぱり、国民はだいたい日本人は日本列島に立ち止まるものたちだと。
だから、人間は何処かに、もちろん、あちこちふらつくんだけど、【何処かに立ち止まって定住する】というね。それがあるから【地域】のみならず、【国家】だってそれがないとね、日本国家なんて意味が無い。
「国家を解体せよ!」これ実は、左翼が言ったことですよね。
左翼が「国家解体」「国家廃絶」を言って、これをマルクスやレーニンが言って。
西田昌司
そうですよね。だからこのごろね、『女性の社会進出』・・・
あの確かなんでしたっけ?『人形の家』か、イプセン(※ヘンリック・ヨーハン・イプセン)の・・・
あそこなんかもヒドイ話でしたね。女性の(家族からの)解放をやっていると何になるかという話なんですけど・・・
まぁ、かつてソビエトができた時なんかも、子供を家庭から取り上げて、子供を教育して、『家庭から解放する』というか、『女性を家庭の縛りから解放する』『子供を親から家から門地から解放する』ということをやって、全部、大失敗をしているんですけどもねぇ。
西部邁
本当に不思議なことと言うか、もともと左翼の空理空論としてね、「国境なきなんとか〜」とか、「国家の廃絶」とか言う。
これは、今は左翼じゃなくてね、ビジネスマンだろうが、エコノミストだろうが、なんだろうがね、それでイデオロギー的には『反左翼』とか言ってる人たちが、【市場の論理として、国家廃絶】ね、この場合で言えば、【定住性の廃絶】を言って、【ぶっ壊している】わけね。
脇雅史
経済的なことしか頭にないですよ。「会社がうまくいく」とか「事業がうまくいく」とか。
そういう時には、「国境が無い方がいい」ということは、よくあるかもしれませんが、そこから離れられないんですね。
そのまさに『戦後の価値観』の最たるもので、そういう大資本家で、大資本がものをやった方が『効率的』に動きますから、小さいものは潰れていきますね。
大店法じゃありませんけども、どんどんどんどん中小というか、商店みたいなものが全部潰れていく。
でその商店というのは、八百屋さんにしたって、魚屋さんにしたってですね、
実は、店主というのはなかなかいい身分で、小さいながらも一国一城の主なんですね。
朝早く起きて市場(いちば)に仕入れに行って、自分で今日は何がいいかなと思って仕入れてきて、自分の好きなように並べて、あなたが来たら安くしてあげますよ、とか、なんでもその要するに、『商店主というのは自己決定権がある』わけですね。
西部邁
そうですよね。
脇雅史
そのいわゆる、『人間ってのは、自己決定権が大変に必要なこと』で、この人が「もう商店をやめなさい」と、「スーパーへ行きなさい」と言われてスーパーの店員をさせられてしまう。一見、楽になったようだけども、自己決定権は何も無いんです。
どんどんもう、シナリオ通りに動くしかないでしょう?みんな『サラリーマン化』するんですね。
日本人があまりにもサラリーマン化し過ぎて、自己決定権が無くなって、ですから、『地域のことについてでも、自己決定権なんか思いもよらない』んですよ。それこそ、【地域が衰退する】んですね。
一人一人が、『自分の生きる道も、地域の生きる道も、自分たちで決めるんだ』ということをもう一回取り戻さないとね、これは、まさに『地方創生』なんて言っていますけども、その辺がいちばん大事なことです。
西部邁
サラリーマンと仰ったけども、それまたきれいな表現で、実際上はね、やっぱり人間が、ロボットってね、もともと『労働機械』という意味ですけども、今は情報社会だからサイボーグ、というのは『情報制御人間』というのかな、ボタン一つで他人に決定されて動くのね。
それが実は、『マーケットの実像』なんですよね。それが「素晴らしい」ってわけだから、あたしゃね、ロボットになるのも嫌だし、サイボーグにされるのも嫌だしね。
なんでそういう常識に戻らないんでしょうね?
脇雅史
戦後の日本はね、個人の自己決定権を無くす。地域の自己決定権、さらに国家の自己決定権をもね、これも全く無いんですよね。
だから、全部そこからスタートしているんですよね。
西田昌司
そうですね。
西部邁
あのねぇ、テレビでたまにニュース番組をね、見ないと情報社会から取り残されるから。
見たらね、『女性の活用』、なんか、成長戦略の一つが『地方創生』だし、もう一つが『女性の活用』
『女性の活用』って言われてさ、なんか変な語感、感じがするでしょう?
僕そもそもね、この言葉も嫌いなの。
『人材』?、材料でしょう、木材とかなんかさ、材、マテリアル、材料ですよ
西田昌司
ビジネスマンが使う話なんですよね。これから「少子化」とか含めてね、「労働力不足」「女性を(社会に)出して使わないと足りない」とかですね。
彼女たちがお金を持ってくると、消費も増えるし、経済も大きくなるとかね。そういう、まぁ『経済的』にはそうなんでしょうけども、そもそも『家庭』とか、別に女性がでも家庭をやれっちゅーわけじゃないんですけども、いちばん問題はね、少子化のいちばん大きな実は、女性がですよ、20歳代で子供を産まない。先に家庭より仕事に行かれて、気がついたら30、40とかなっちゃって、さぁ〜どうしましょうと。「1人だから産めない」という話もありますよね。
だから、いま生殖医療もいろんな話があるんですけども、『女性の活用』というと、先週(の放送で)脇先生が仰いましたけども、母親と奥さん、これは絶対にですね、男にとっていちばん弱いのは、母親と奥さんの存在でございまして・・・
まさに、『間違ったそういう社会をつくってきた男性を叱り飛ばして頂く』と(笑)
西部邁
僕は、『女性論』を展開するほど女性に詳しくないけども、しかしね、昔から言われているでしょう?
女性の能力を活用する、結構な話だけども、じゃあ、「女性の性質とは何か?」と。
間違っているかもしれませんけども、やっぱり『直感力』とかね、あるいは、『物事を総合的に感じ取る力』とかね。
つまり、直感力とか総合力というそういう問題。
でもそれはね、今のビジネス社会というか産業社会、情報社会とね、そう簡単にマッチしないんですよ。
むしろ、そういうもの(=女性の直感力や総合力)を削ぎ落としてね、人々の感情をサイボーグ化してしまったりですよ、あるいは、非常にスペシャルな、特別なことに特化して、特殊な製品をイノベート、創り出すという形でね、『女性の本来の力にあんまり合わないものを近代社会は作り出している』のね。
『女性の活用』と言うのならば、大雑把に言えば、過剰な近代化ね。
『モダニズム』『モダニティー』(modernity:近代性)というのかな。これについて反省するならばね、反省材料として女性に参加してもらうと、『あんた方、男たち変よ!?』と。
『あんた方の勘が狂ってるんじゃない?』とかね。そういうことに活用しなければならないわけ。
西田昌司
ところが、その活用される人に限って、「男性化されている女性」なんですね(笑)
脇雅史
今の女性の一生は非常に長いですよね、80数年平均的に生きて。
それで、赤ちゃんを産むというのは、いちばん大事なことだと思うんですけども、それ意外と『教育がなされていない』くて、その20(歳代)前後で産むのがいちばん母胎にとってはいいし、楽なんですよよね。
それがなんかね、ずーっと結婚しないでおいて、ある程度キャリアを積んでからというのはね、これは女性にとって無理がある話で・・・
その人たちを本当に新規で採って、ちゃんとキャリアを(そこから)積ませるという方がね、途中でキャリアを中断させるよりね、よほど合理的だし、30から勤めたってね、男と同じぐらい長生きするし、女性の方がね、活発だしうまくやるんですよ。
だからね、少し見方を変えて、この社会の中で、女性が社会進出してもらう時にも、もうちょっと多様性を持たせるという雇い方もね。
脇雅史
あんまり産業をやってる側の、企業側の論理だけでいちばん都合のいいようにということでやり過ぎなんですよ!
西部邁
そうねぇ。『社会進出』という言葉だって考えたら、変な言葉ですよね。
だって、じゃあファミリー、家庭、ハウス・ホールドでもいいのだけど、『家庭』とか『家族』というのはね、じゃあ『社会』とどういう関係にあるんだ?むしろ、(家庭・家族は)社会の基本単位でしょう?一単位ですよね。
家族と社会、「家族は社会の基本なんだ」ということを押さえないから、社会進出ってね
西田昌司
そうですね、そうなんです。
ビジネス・ファーストの話で、まぁ「成長戦略」ということ自体がそうなんですけどね、今までかなりね、
デフレになってきたから、安倍総理は「経済成長させて、デフレから脱却しなくては、国民生活を支えられない」と、それはその通りですから、成長というのももちろん大事なんですけども、あまりね、
その時に、まわりに「ビジネスマンの方々」ばかりがたくさん重用されると、どうしてもその「ビジネス・ファースト」の話に引張られてしまうので、そこはやっぱり我々国会議員はですね、ビジネスマンではないですから、それぞれの地域やそれぞれの業界、いろんなところの代表ですから、そういうやっぱり声をですね、しっかり議会や党や国会の中で反映させなきゃならない。
脇雅史
そう。あの「なんとか会議」がね、予算を編成する権限を持つんだなんて言うけど・・・
なんとか会議のメンバーが、なんでその企業家ばっかりなんだと。それ変ですよね。
もうちょっとその、歴史家がいるとかね、教育者がいるとか、いろんな人がいて日本の予算が決まるのであって、ビジネスにだけ都合のよい予算であっていいわけがないんで、あの小泉さんの時から始まったあの委員会は「予算は俺たちが作る!」なんて思ってらっしゃるのかもしれませんが、少し違和感を感じますよね。
西田昌司
そうですね。
西部邁
これね、やっぱり男共が悪いのよ。サラリーマン、ビジネスマン、家に帰れば男だって家庭人だし、
地域でいえば、男だって地域の住民として。
だから、政治とか文化とかそういうものを全部、人間は持っているはずでしょう?
単に電車に乗って、月給取りに行くってね、そういうことじゃないハズなんだけど。
男たちが自分を非常に「特殊なサイボーグ」と化していくでしょう。
それでね、自分たちで、社会も文化も政治も責任持てなくなったから、「女性の活用」なんて言われたって、
やっぱりね、女性たちは怒らなきゃダメ!迷惑です!!と。
そんなね、私たちを「活用する」前に、あなた方少しは反省しなさい!と。
なんでもビジネス一辺倒の国家をつくって滅びますよということを女が言わないと・・・
素朴なところでね、『女性観』とか、転々と来て『国家観』に至るまで非常に素朴なところで歪んじゃっているというね。
それを正すのが、実は参議の【参】なんですよね。
参議院の中で、僕が目ぼしい人、調べたわけじゃないんだけども(笑)
この二人(脇・西田)しかいなかったんですよ。
『面白く、活力豊かに議論する人たちが参議院』
で、見渡したところね、なんか「衆議院になれそうもないから参議院になった」ってのがゴロゴロいるし。
本当にね、200人も300人もいらないの。2人か3人かおりゃあねぇ、そのほんの少数の人が断固として頑張っているとね、長期的に言うと『勝つ』んですよね。
瞬間的に計算すると、いつも『少数派』なんですけどもね、やっぱり残るものは、比較的正しいものが残るというぐらいの期待は持てるわけさ。
だから、少数派であることはむしろ、
[名誉だ]ぐらいに思って・・・