私は毎日、神社に参拝している。山の麓にあり静謐な場所だが昨日「ひなまつり」の日。いつものように拝殿に進もうとする私の前にイノシシが走ってきた。
境内には私一人だったがイノシシに敵意はなかった。
どなたかが通報なさったのだろう。
まもなく警官の方々が透明な盾と棍棒を持って追いかけてきた。
牙も写真で見た通りだなあって思った。(当たり前だが)
境内で警官の方に伺うと「はじめてです」と言っていた。多分どなたかが110番したのだろう。
イノシシの歌ってあるのかな?
ありましたよ



「和気清麻呂公とイノシシさんの歌」
敬老会で中津川小学校の児童が歌っています。霧島市長の作詞。
イノシシの歌「和気公とイノシシさん」(2014年11月18日放送)霧島市立 中津川小学校
弓削道鏡は、称徳天皇の寵愛を受け、太政大臣に、さらに法王にまでなったが、終には皇位を望むようになった。
そこへ「道鏡を皇位につければ國平らかにならん」と宇佐神宮の託宣があったと伝えられた(景雲3年-西暦769年)。
このことを耳にした称徳天皇は和気清麻呂に神託の真偽を確かめに宇佐神宮へ行くよう命じた。
宇佐から帰った清麻呂は、「皇室の血筋でない道鏡は掃(ハラ)い除くべし」とする宇佐神宮の神託を持ち帰って朝廷に直奏した。
猪が清麻呂を守る図
和気神社(岡山)の鳥居前の大絵馬の1コマ
すると、これに怒った道鏡は、清麻呂を大隈(鹿児島)に追放し、追っ手を出した。
清麻呂は、道鏡の追っ手に足の筋を切られたが、突如現れた三百頭の猪に助けられ、猪に警護されて宇佐神宮に再度到り、足を治癒することが出来た。
その後、光仁天皇が即位し、天皇家は安泰となり、道鏡は下野国に流され、清麻呂は平城京に呼び戻されて、平安遷都などに尽力した。

・・・和気清麻呂公とイノシシたち

・・・この絵はフィガロさまが作成してくださいました。クリックで拡大できます。
★ところで「希布の一諾」という言葉をご存知と思いますが、いつも私が敬愛する政治家、三宅博前衆議院議員を連想します。
三宅博先生を論じるにあたってこの言葉がぴったりです。
「希布の一諾」を地で生きるお方です。希布は項羽と劉邦の時代の義理堅い英雄で、こんな言葉があります。
・・・「一諾千金 <史記 季布伝> ”得黄金百斤不如得季布一諾” 一度承諾したことは、千金にもかえがたいものであり、必ず守らなければならないの意」

三宅博先生のWEBサイトが更新、「福沢諭吉と聖徳太子」です。三宅先生のお考えがよく伺えます。
いつもの「国士 三宅博」の生き方の基本を見るようです。
私など知らなかったことばかりです・・・

http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/91d451fc56e37923a2810bd7e9d48dc5
ホームページはこちら・・・
http://www.miyakehiroshi.com/
三宅先生って幅広い知識のお方です。政治はもちろん、文学・哲学・文楽や浪曲など日本の伝統芸術、もちろん音楽(エディット・ピアフが歌う本格的シャンソン・その他)も大変お詳しいですよ。私は勝手に「大ファン」になりました。