★ クライン孝子氏が書かれた文は今まで「ドイツを贔屓にして」という狭い受け取り方をする人がチャンネル桜のコメント欄にもよくありましたが、今、日本が周辺国、とりわけ北朝鮮の脅威を目の前にして、また「朝鮮総連」の日本敵視のもとに多くの工作員の跋扈、拉致被害者を救出できないのも、スッキリしない今までの政府の対応など、虚心坦懐に読むべきと思うのです。下記の文はクライン孝子氏のメールマガジンに転載されています。
◆◆ 表現者55号 第1回
=クライン孝子の情報戦略「あまりにも大きな日独間の隔たり」=
「 テロリストへのアメとムチ」
表現者55号 第1回
私がテロ活動に関心を持った最初のきっかけは「60年安保」もあった。
地方の片隅(岐阜県下)にいた私など知る由もなかったが、、実はこの時期、司令塔
賭して先頭に立って指揮をとっていたのが、日本共産党と袂を分った「共産主義者同盟」で、このグループが「全日本学生自治会総連合」に動員命令を掛け、最終的にはでも対の国会突入を指揮したとのことだった。
その後、1964年の東京オリンピック開催を機に、日本中がいっせいに五輪一色に染まり、はたまた、世界最初の試み、東海道新幹線運航開始で、高度成長のアクセルを踏み、経済と異国へのまっしぐらに突進しはじめるや、あれほど盛り上がったはずの「60年日米安保反対闘争」はまるで嘘のように収まり、静まりかえってしまった。
「全学連世代」の一人として、当時全学連中央執行委員を務め、逮捕去れた挙句、7年に及んで、法廷闘争に巻き込まれ孤軍奮闘されていたかの著名な評論家西部 邁氏は、その後、インタビューで、
「ぼくはマルクスなんて何一つ勉強しないで(=学生運動?)やっていた。
もちろん、斜め読みぐらいはしたが、本格的に読んだのは、逮捕されたあと拘置所の中です。そこで、資本論を読んでみて,改めてくだらないと思ったんですよ」(産経新聞「総括せよ! さらば革命的世代」)
私もその一人だった。 (というよりも、西部先生のようにマルクスの「資本論」を読破する気力などまるでなく、ほんの一部を斜め読みしただけで、本棚の片隅に追いやり,ホコリまみれにしてしまった。)
加えて、当時、幾人かの地方大学における赤軍闘士学生に接近し、その思想の一端を見聞きするにつれ、「なあんだ。これって単なる『テロごっこ』ではないの」という印象を持つに至ったからだ。
けれども、この「60年安保」闘争こそが、形を変えはしたものの、何とその後、国際社会をも驚愕させる「70年安保」に発展するテロ活動の起爆剤になったことは、ほぼ間違いあるまい(と私は観察している)
中でも、1969年8月に結成された革命組織「日本赤軍」の暗躍振りには,目を見張るものがあった。
何しろ、日本国内における革命運動はもとより、その延長線上において正々堂々と国際テロ組織とタイアップし、国際社会におけるその筋で、一躍衆目を集めることになったのだから。
ところがその成れの果てはいかなるものだったか。
結成後、約30年余経た2001年4月、、日本赤軍最高リーダ、と結うよりボスだった重信房子(大阪に潜伏中、逮捕され、その後懲役20年の懲役刑を言い渡され、現在服役中)が、2001年4月に、獄中から「日本赤軍としての解散宣言」を行ったことで、あっけな幕切れとなってしまった。
その点、「ドイツ赤軍」のテロ活動はしたたかだった。
「ドイツ赤軍」第一世代が、極左地下組織を結成したのは1970年5月半ばごろだった(といわれている)。
彼ら、「ドイツ赤軍』の攻撃のターゲットは、
1)西ドイツ政府公共施設や米軍駐留基地や軍施設。
それに
2)政府や財界、官界、アメリカ軍の要人
とりわけ、後者に関して、今日、明らかになっているだけでも、彼らの手に掛かって犠牲となった市民は34人、テログループは20人で、重軽傷者に至っては、おびただしい数に至っている。
だが、この残虐な「ドイツ赤軍」に対する西ドイツ政府と警察、さらには連邦軍という官憲による対処も、彼らの背後に東ドイツ政府並びに、かの名だたるシュタジーなる秘密警察が糸を引いているとキャッチしていたこともあって、情け容赦なく熾烈なものだった。
その典型的な一例が、1977年における日独赤軍の政府との戦いに見られたのだ。
日本で「日本赤軍」によるかのユウメイなダッカ日航機ハイジャック事件が発生し、その際、当時、福田 赳夫首相は、「人命は地球より重い」とのたまわり、超法規的措置により、テロリストの要求を全面的に呑み、身代金の支払いとメンバー引渡しにゴーサインを出したのは、忘れもしない。1977年9月28日のことだった。
ちょうどその頃、西ドイツでも、赤軍「第一世代」の中心的メンバーが次々と逮捕され、まさに世界一強固で、ねずみでさえ一度入ったら外に出られないといわれた南ドイツ在シュタムハイム刑務所に収監されていた。
そこで第二赤軍世代が、企んだのが彼らをいかに釈放するか。それには、その交渉手段として、西ドイツ経営者連盟会長シュライヤーを誘拐することにしたのだ。
シュライヤー会長が誘拐されたのは9月5日だったというから、例のダッカ事件発生約3週間前のことで、その際、「ドイツ赤軍」は日本同様、
その1)シュライヤーと引き換えに、シュタムハイム刑務所収監の第一赤軍世代幹部ら11人の釈放
次いで
その2 身代金1500万ドル(日本赤軍は600万ドル)要求したものだ。
彼らの念頭には、日本政府が、ダッカ事件で、「日本赤軍」に全面降伏して、要求全手を呑み、テロリストたちを解放したニュースがあり、同じ手口を使えば、西ドイツも降参するに違いないとタカをくくっていたのだ。
ところがさにあらん、当時の西ドイツ首相シュミットは、何と、社会民主党政権下の首長でありながら、
「国家がテロリストに降伏しては国家は成り立たぬ。したがって、テロリスト如きに屈服するなどもっての外。交渉など一切しない」と福田首相とは全く正反対の対応をし、彼らの脅迫を撥ね付けてしまった。、
逆上した彼ら赤軍テロリストたちは、次に打つ手段として、ドイツ政府により強烈なパンチを食らわすために次なる手段として、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の手を借り共闘することで、ハイジャック事件を起すプランを仕組むことにした。
ルフトハンザ航空181便がスペイン・、マヨルカ島出バカンスを満喫下休暇帰りの乗客86人と乗組員5人をのせ、帰路フランクフルトに向かって離陸したのは10月13日のことだった。
そのとたん、カップル2組を装って搭乗した4人組のテロリスト立ちによるハイジャックが発生したのである。
この事件を知った西ドイツ政府は、時間稼ぎをしながら、密かに特殊部隊GSG9を現地に派遣し、絶好のチャンスと判断するや、機内突入を実施、ハイジャック犯3人を射殺し(最後の日とり派、一命を取り止めた)。っ乗客乗員を無事救出した。
ちなみにこのハイジャック失敗の知らせに接した第二世代「ドイツ赤軍」は、その報復として、虜にしていたシュライヤー会長を直ちにに殺害した。
一方、政府側は、収監中の「第一位世代」に対して自殺を促している。
ここで何が言いたいのか。読者は、既に理解していただけたのではないかと思う。
つまり、平和ボケ日本と、そうでないドイツのテロ処理の仕方の相違にある。
ドイツは、何よりも、テロリストなる敵を摘発するテクニックに長けている。したがって、『アメとムチ』の使い分けなど朝飯前といっていい。
そう。当時の「ムチ」は「ドイツ赤軍」の核を徹底的に壊滅させることにあったのだ。具体的には、シュタムハイム刑務所に収監されていたテロの核細胞とも言うべき「第一世代」の生還を許さず、したがって、彼らを自殺に追い詰めることで抹殺し、のこりのテロリストにおいては国際テロリスト捜査チームを立ち上げテ、徹底的に追跡しお縄にするという。
一方「アメ」では、比較的温和なテロ活動家には、時間やカネ、地位を彼らの花にちらつかせ、社会への復帰を促し手を貸すことにしている。
そのノウハウだが
一つは、仲間を裏切る行為を奨励する。つまり、スパイになることなのだが、その成功報酬を約束すれば、政府の思いとおりになるというのだ。たとえ昔の仲間とペアになって、二重スパイになることがおきても、直ちに処分するようなマネはしない。逆二重スパイの得点=能力を生かして、知らぬふりをして泳がせ、敵側の貴重な情報を入手し、テロ活動退治戦略に役立てる。
体制側にとって何よりも拙いのは情報入手が途絶し、操作に支障を来たして動きが取れなくなってしまうこと。
今一つ特筆すべきは,ドイツではこのテロ活動が、あろうことか。その後の政党活動として議会政治の中に、巧みに組み込まれ生かされることになったことだ。
暴力では、民衆の理解を得られないと彼ら!
やがて、「環境問題」に目を付け、1979年に新党「緑の党」を立ち上げたからで、やがて、1983年には、連邦議会で議席を獲得したばかりか、1998年には、何と社会民主党と連立政権を組み、環境政策を進展させるなか、閣僚の中に外務大臣+副首相を兼ねるフイッシャーや赤軍裁判で、彼らテロリストの弁護士を引き受けたシリーが内務大臣に就任している。
ちなみにフイッシャーに至っては、1975年まで、左翼過激派団体「革命闘争」のメンバーの一人で、デモにあっては何度も警官と衝突し、火炎瓶を投げたり、警官の頭を殴るなどして、警官数名に怪我を負わせたものだ。
流石に、戦後、第二次世界大戦で敗戦国となり、戦争に負けたがゆえに、東西国家に分断され、冷戦の最前線で血みどろな情報戦を戦ってきたドイツであり、それだけに情報大国としての威厳がある(というのは単なる私の思い込みであろうか)。
一方、日本はいかばかりであったか。
せっかく日本でも、従来の日本の政治に飽きたらず、その不満をテロ活動に託し、日本社会の変革に一石を投じようと左翼をスプリングボードに立ち上がった彼ら! だったにも関わらず、その終焉たるや、内ゲバや海外逃亡、相次ぐ逮捕で,その後はなかず飛ばず、まるで火が消えたように、しぼんでしまった。何しろその大半はせいぜい、大学周辺で、過去のできごととして、学生相手に回想録を語るのが関の山になってしまった(らしい)からだ。
これには政府やマスコミ、それに取り締まる警官にも責任の一端があるように(私には思えてならない)。
真に日本国家のためを思い、強靭な国家を構築する意志があったならば、こうしたヒネクレタ若者をじつに巧妙な方策で利用することも出来たろうに・・・
かつての西ドイツがそうすることで、成功したように。
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◆◆ 表現者73号予告
号
ークライン孝子の情報戦略「あまりにも大きな日独間の隔たり」ー
=英国の近代史を彩る怜悧極まる外交策略=
★ 歴史的にも国境を他国と接し「危機」に慣れたドイツはこうしたことに慣れていない温和な日本とは大いに違う。
クライン孝子氏のこのような怜悧な考えは、満州から必死の逃避行のなかで信じられない光景(共に逃避行をする日本人の為に、泣く赤ん坊を殺さざるを得ない母親、それを非日常の世界の中で何もかも超えたもの、しかし未だにその光景を忘れるどころか深く傷ついたままの心は「涙」すら超越したもの。
これらがクライン孝子氏の心の底にあり、きれいごとでない世界を語るのでしょう。
★★ 宮崎正弘氏からのメールマガジン、「チャイナ」の動き、やはり「北朝鮮」に加担していたのでしょうね。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)5月26日(金曜日)
通算第5305号 <前日発行>
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GPS(衛星測位システム)を持たない北朝鮮がミサイルの命中精度をあげた?
背後に中国の衛星ガイドシステムの支援があるのではないのか?
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北朝鮮のミサイルの脅威が論じられているなかで、一つ重要な要素が話題になっていない。つまりミサイルの命中精度向上は、いかなる技術によるものなのか、である。
北が連続的に打ち上げているミサイルは標的にほぼ正確に命中させたとされる。この成功には宇宙に浮かぶ衛星の誘導が必要である。
北朝鮮はそうしたシステムを持っていない。
2014年に北朝鮮から中国に派遣された専門エンジニアは、宇宙衛星による測位と、誘導技術をいかに応用し、ミサイルに利用するかの訓練を受けている。
中国が独自に開発した誘導システムは「北斗1」と「北斗2」(コンパス)といわれる。
米国とEU、ならびにロシアのシステムは一般的に「GLONASS」と呼ばれ、北朝鮮がこのシステムに悪のりしている可能性は捨てきれないものの、消去法で考察すれば、やはり中国のシステムへの依拠であると専門家はみている(アジアタイムズ、2017年5月24日)
ロシアは北朝鮮の核実験以来、核とミサイル関連のシステムや部品、技術の輸出を禁止してきた。けれどもロシアの開発したGLONASSの関連装置、部品まで制裁の対象となっているかは不明である。
4月に米国はトマホーク・ミサイルをシリアへ撃ったが、これらはトマホークが内蔵する誘導装置と、宇宙に浮かぶGPSが地中海の洋上にあった駆逐艦からのミサイルを正確に標的に導いた。
さて中国は欧米ならびにロシアの測位システムとは異なった、独自開発の「北斗」シリーズを構築するため、これまでに20個の衛星を打ち上げており、2020年に合計35個の衛星を宇宙に浮かべると全地球をカバーできることになる。
「北斗1」は四個(うち一回は失敗)、すべては静止衛星で、長征ロケットによる打ち上げだった。
「北斗2」は現在までに16個(一回は失敗)、やはり長征ロケットによる打ち上げだが、静止衛星、中軌道のほか傾斜対地同期軌道のものがある。
北斗は商業用と軍事用に仕様が別れており、現在6億から8億の中国人が使っているスマホは、この北斗のGPSを利用できる。
▼西側の衛星誘導システムは、北斗の追い上げに直面
一方、GLONASSは、米国、ロシア、EUのGPSシステムの総称として使われるが、厳密に言えば、ロシアが開発したのがGLONASS(Global Navigation Satellite Systemの略)で、米国のそれはGPS(Global Positionning System)、EUはガレリオ計画という。
現在、ロシアはインド政府との協力を得て、24個の衛星、米国は35,EUは4個の衛星が軌道上にある。
しかし天体の電波障害によって、GLONASSは2014年4月1日に11時間、機能不全に陥り、世界中のユーザーに影響が出たこともある。
中国の北斗システムは、既存のGPSシステムとは隔たった独自の開発によるもので、軍の仕様はまったく明らかになっていない。しかし、その応用技術を北朝鮮に教えたことはほぼ確実であろう。
★ もうムチャクチャの世界です。日本の国内もおかしい。
ふと思ったのですが「スパイ防止法」がなくて「共謀罪」だけ、というのは「諸刃の剣」になる恐れはないのでしょうか。「スパイ防止法」は絶対に必要です。
ブログのティールーム
マリオ・デル・モナコの歌唱は厳しい大戦の中を生き抜いてきた聴衆に支持されてきた「ヒロイック」な声であり、その声は人間的魅力を持った表現で溢れるようだった。
Mario Del Monaco High C
・・・プッチーニ「西部の娘」から
三宅先生のファンとしてはじめてお会いした時、三宅博先生にマリオ・デル・モナコのCDを差し上げた。先生は車の中でいつも聴いている、と仰った。
そのCDの何番目の曲がどの曲、ということも覚えていらっしゃった。