★ 石井望長崎純心大学准教授が指摘されていた記事です。
「尖閣有事」への対応よりも「中国に忖度」が大切だったのか?
政治経済
激震! 中国「海警法」の尖閣圧力 VS アメリカ非公式連絡
複数の日米関係筋によれば、米国は昨春、日本政府に対して米沿岸警備隊が尖閣諸島周辺で、日本の海上機関と共に行動する準備があると非公式に打診していた。
米沿岸警備隊は治安機関であるとともに米軍の一部門という性格があるため、行動する相手については海上保安庁あるいは海上自衛隊と明示はしなかったという。
だが、日本政府はこの打診を受け入れなかった。当時の安倍政権が習近平中国国家主席の訪日を進めているなか、中国を不要に刺激したくないという思惑が働いたとみられる。日本側の関係者の1人は「海保のなかに、米軍の一部門でもある沿岸警備隊と一緒に行動することに慎重な意見もあったようだ」と語る。
全文は 激震! 中国「海警法」の尖閣圧力 VS アメリカ非公式連絡 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
★ youtubeもご覧ください。霞が関の官僚には静かなる革命か・・・それよりもこのお話は稲村氏の人生のドラマのように思えて心をうちます。すっかり感動して聴き入っていました。動画を聴く時間のない方の為にも「走り書き」を付けています。
「日本の官僚制度の失敗『内閣人事局』(前半)」稲村公望 AJER2021.2.17(5)
走り書き・・・コロナでの生活をお話された後からのことを書きます。(ブログ主)
先日、名前は言えないが「権力の右腕」と称された霞が関のOBと話をした。
何が一番安倍政権からスガ政権に替わるときの失敗だったのかと問うと、彼は「内閣人事局ではないのか、霞が関が沈滞し能力が全低下、その元凶である、コロナ危機があっても危機管理能力が不足して迷走、個人的資質でなく統治機構全体が崩するようなことになってきている、本物の危機に直面して脳が思考停止しているのではないか、或いは、思考停止させているのではないか?という厳しい指摘であった。急いで改善させるか旧態に復帰させるほうがまだマシなのではないかとその人は言っていた。かつての大蔵省支配の時代に接待事件があって、名称を言うのも嫌な○○しゃぶしゃぶ事件という破廉恥事件があり、その中で清濁併せ呑むと言うか世間の表裏を熟知した優秀な役人が出世街道を駆け上った。そうでなくて品行方正の人徳ある人物をとる必要があった。悪いことがあったのだから「内閣人事局」は「改革」だったのではないかという人もいる。
中選挙区から小選挙区になり派閥もなくなり政権与党に対する官邸の指導力が強化された。民間企業はニューヨークでIRなどで威風堂々と接待してもてはやされる。正規労働が停滞して会社の費用で飲み食いしたことになる。
酒池肉林の接待をする会社も出てきた。
かつての人情がらみの相関関係は戻ってこないのではないか。
霞が関の官僚人事は「静かなる革命」だったのではないかという人もある。
各省人事は後戻りするべきではない、官邸がすべてを統括する、ということだが反動があることは承知のうえで。世界情勢の激戦を見る中でそのOBは、まだ昔に戻したほうがまだマシと激しい意見を言った。
国家公務員の人事は憲法上も最終的にはすべて内閣の権限と責任の元で行われ、内閣総理大臣が国務大臣他各省大臣を任命、各省行政機関の末端にいたるまでの人事を実施してきたし、各省事務次官を頂点とする一般職の国家公務員は政治が介入することは控えられてきたが、縦割り行政の弊害があるとしてましてや局益・省益が国益をも優先するとして福田内閣の時に国家公務員 内閣内閣人事局を置くというのが決定した。
その時に町村官房長官は閣僚の人事権が弱まると発言していた。
その翌年、麻生内閣は工程表を作り発表する、当時の人事院総裁(郵政省出身)の谷氏は全体の奉仕ではなく自分の奉仕になると危惧した。
2008年8月に政権交代があって当時の仙谷官房長官などが従来の自民党政権と同様に内閣人事局構想を推進したが
農林省出身の篠原孝衆議院議員が強硬に反対し、一時的にとん挫した。
それから時間がたって第二次安倍政権になってから法案が可決されて2004年5月30日に「内閣人事局」が発足。
まだ6年もたたない。
当初は初代局長に元警察官僚だった人をということだったが直前に撤回されて加藤勝信衆議員が任命されるのは、当時のスガ官房長官が主導したとされる。
内閣人事局が稼働して被害を受けたのは憶測にすぎないが外務省と農水省(外務省では政権に擦り寄る横行が出て来たし、経産省から横やり人事があった、戦後の成功例といったものを一挙に反故にした)例えばTPP,農産物のこと。トランプ政権が成立してパッとそれを捨てて沈静化したのではないか。
TPPを切り捨てたために収まったようなもの。
外務省から待機ポストが、外交軍事に対する知識もなく歴史も勉強もした気配もない人が「全権大使」になった。
実は御商売の関係の「渉外官」ではないかという話。
私が多少関係した「郵政民営化」についてもある種のメポティズムの典型であって、内閣人事局はそれを制御もしないでお墨付きを与えた。一例をいうと日本郵政の社長人事など利益相反だと当時の経団連の会長も指摘していた。
戦後70年問題懇親会の座長をしていた経営者が元大蔵次官のポストの後釜になって、巨額の海外投資をはじめ、わずか二年後に4002億円の損失を確定したが、原因追及は一切なされなかった。
日本の国家公務員の制度では各省庁の幹部職員は一般職であれ、過剰な忖度は弊害が生じるのは予想できた。
森友加計学園問題では国有財産の売却に関する決算を巡って、財務省の担当職員が「官邸に忖度」したのはないかといわれたが当時の国税庁長官が国会に証人喚問されたが新たな事実は得られず、真相はすべて闇の中である。
安倍政権では特別職の学者や元総理秘書官などが参与の肩書で就任したとのは周知の事実だが、元官僚が官邸官僚となって各官僚の権力を誇示する意思伝達を決定して(言いたくないのだが)側用人(そばようにん)といえる集団が成立したのも特徴である。
側用人でも中国政策を巡って外務省出身と経産省出身という権力の争いがあって親書偽造事件に発展した、側用人として長すぎたのではないかという指摘。
権力の中枢にいた人が 側用人の任期が長すぎたのではないかといっている。
私事だが昭和47年に国家公務員の上級職で合格して郵政省に採用された。
当時の佐藤達夫さんという人事院総裁が代々木のオリンピック村での式典で「もはやあなた方は天皇の官吏ではない」と 言い、後に総理大臣となる竹下官房長官が陪席されたことを記憶している。
私はもはや天皇の官吏ではないが、政治権力に阿る人間ではないと考えている。
郵政民営化に反対して霞が関を出た時も友人は「家族もいるんだから」と言ってくれたが。
まだ国民の全体の奉仕者のほうが天皇の官吏につながっていると思う。
側用人の私兵であるというほうが間違っていると思っている。(以上)
注 側用人とは、5代将軍・徳川綱吉の時代に創設された、将軍と老中の取り次ぎをする役職である

稲村公望氏のプロフィール
昭和22(1947)年生まれ。奄美・徳之島出身。東京大学法学部卒。1972年、郵政省入省、フレッチャースクール修士、八女郵便局長、1980年、在タイ王国日本大使館一等書記官。通信政策局国際協力課長、郵務局国際課長、総務省政策統括官(情報通信担当)、日本郵政公社常務理事を歴任。2012年10月1日「日本郵便」副会長、2014年3月、同社を辞任。中央大学大学院公共政策研究科客員教授等を歴任。現在『月刊日本』客員編集委員、岡崎研究所特別研究員



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