★ 宇山氏のお話の大半は賛同、残り少しは納得できないところ・・・そこは私たちは臣下である、という私が全く考えていないところです。
『KK問題、皇室と国民⑤(前半)』宇山卓栄 AJER2021.12.17(5)
とてもよいお話でした。さすが「アジアのケーちゃん」のおすすめです。
そこで私の考えを書いてみました。
賛成のところ・・・「髪型など自由じゃないか、彼の勝手でしょ?同調圧力でしょ?」という意見に対して宇山氏はしっかりとお話されています。・・・皇族に御迷惑がかかっているではないか、そういうKK氏の思いの至らなさ、会見の時も車の中でも髪をいじっていた。他への配慮というのは人権がどうのというより以前の話。芸能人まがいの不適切な髪形をしたこと、皇族の人権がない、という人が「どんな髪型でも憲法違反にはならないではないか」。
「基本的人権がないんだ」というのが悪いのだという考えとは別に超然とした考えがあるのが皇室である。
などなど話が続きます。
反対・疑問のあるところ・・・ただ、私自身は「我々は臣下である」ということは1ミリも思っていません。
こういう点が「保守」の中で頑なに一方的に書いたり、それはまだいいのですが、他人に頭ごなしに強要、或いは教えようとしている傲慢さです。
それ以外は宇山氏のお話に賛同するところが多いと思います。
しかし残念に思うところがあります・・・
私は保守ですが、「押しつけホシュ」「思い込みホシュ」とは一線を引いています。
そしてどこにも所属していません。
人それぞれの考えがある。同じようにイデオロギーに凝り固まった左派の考えにも同調できません。
どちらも似たようなところがあり、「○○以外に誰がいる?」という押しつけも常に反対でした。
このことは時々書いてきたのでここでは新たに繰り返しませんが。
そして「臣下」とか「不敬」という言葉は私には馴染めません。この言葉にアレルギー気味です。
ブログのティールーム
わが畏友の作家・評論家である奥山篤信氏にバーンスタイン指揮のベートーヴェン「フィデリオ」のDVDをご紹介したら、次のようなメッセージを寄せていただいた。当時の名演がyoutubeにあったので貼りました。フロレスタンを歌ったジェームス・キングは40歳前でベルリンドイツオペラで脚光を浴びていたが、まだバイロイトにデビュー前であり、戦前最大のヘルデン・テノールであるマックス・ローレンツの指導を受けていました。世界的なヘルデン・テノールなのに。それほどバイロイトの道は険しいものであったようです(ただし昔の話)。
ルートヴィヒはマリア・カラスとベッリーニ「ノルマ」で共演の時に薫陶を受けたと感謝していました。
それから言葉の切れ味が鋭い。
卓越した名歌手たちの白熱の名唱ですね。
FIDELIO (16) "Er sterbe !" Ludwig King Berry Greindl
Christa Ludwig Leonore
James King Florestan
Walter Berry Don Pizarro・・・ピッツアロを歌ったのはルートヴィヒの夫君でヴァルター・ベリー。
William Dooley Don Fernando
Joseph Greindl Rocco
Lisa Otto Marzelline
Martin Vantin Jaquino
Arthur Rother Chor und Orchester der Deutschen Oper Berlin 1963
★ もうひとつ、20世紀にそびえるものすごい名唱があります。
これを聴くと、奥山氏の「エモーショナルな東京五輪観戦記」のレニ・リーフェンシュタールの項を思います。
80年前のメットでのベートーヴェン「フィデリオ」、レオノーレを歌うのは20世紀前半最大のソプラノ、キルステン・フラグスタート。
戦争でフラグスタートの夫君は無実の罪で捕らえられ、妻は戦火のベルリンをマックス・ローレンツ夫妻に護られながらノルウエーに帰国、しかし夫は獄中にて病気で亡くなる。
オペラ「フィデリオ」はハッピーエンドだったが、フラグスタートは悲劇だった。
戦後、フルトヴェングラー、フラグスタート、ローレンツは仕事がなく、この超豪華メンバーを出演させたのは何と、敗戦国のイタリアのミラノスカラだった。
トスカニーニの盟友であった名指揮者ヴィットリオ・デ・サバータが後押ししたという。
(この時の演目はヴァーグナーの「神々のたそがれ」であり、
フルトヴェングラー、フラグスタート、ローレンツの超豪華トリオが揃った。
フラグスタートの声はドラマティックでありながら女らしく甘い音色を感じる)
Kirsten Flagstad - Fidelio - Abscheulicher - 1941 (悪者よ、どこに急ぐのだ)