ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

深田萌絵女史【武蔵野市】外国籍住民投票条例案が委員会で可決!!保守派の勝ち戦略とは?(保守は精神論で限界か)/「岩田温」氏の優れた皇室論

2021年12月17日 | 政治

【武蔵野市】外国籍住民投票条例案が委員会で可決!!保守派の勝ち戦略とは?



武蔵野市で外国籍住民の投票を認めた結果になった。そういった条例がなぜ通るのか、
そろそろみんなで日本国民として国民の願いを政治の世界に反映させる必要がある。
なぜ「保守派」が勝てないのか?リベラルはゲームのルールをよく理解している。ゲームとは勝敗、ルールに従って他人とアクションをとることであり、政治活動は政治ゲームの一部になる。
保守派の運動は基本的に間違っていることが多い、リベラルはそれがわかっている。
日本人の曖昧文化の中で「みんなと連帯感・共感」で満足している。目的を達成(勝敗)する必要がある。
文化の違いから「道端で用を足す」ことにもいけないというルールを定めなければならない。
一般では解決できないことを政治がルールを決めるのだが、政治の世界のルール、社会生活で暗黙のルールがあるが、なぜそうなのかがわかっていない。暗黙をわからない人を「空気が読めない人」と社会ではいわれている。
政治では「ルール」が決定的で、法律がルール。議会で作る。ルール違反は司法機関が行う。
ルールを作るには代理人(政治家)を選挙で選び当選させるべきなのだが、自分の考えが近い代理人(代議士)を選び、法案を可決・否決がるーるとなっていく。リベラルは着々と条例を作り、ホシュ派は自分たちのゲームに有利になることで「精神論」にはまっている。
これでは有利な方向にならない。保守派の中で「憲法改正」をいうと総数の3分の2の国会議員を説得する必要があり、はじめて議員になった人にはルールが遠すぎる。左派は「憲法改正は無理、徒労に終わるだけ」といroーどいながら一番簡単な「条例」を作っている。
「条例を可決」にはどうしたらいいのか?武蔵野市では4名が賛成、自分たちの住んでいる地域から守るべきで、「たった4人」をなぜ説得できないのか?地道なことを重ねていくのがリベラルの強さで、ホシュは「憲法改正」と繰り返しているだけでモチベーションが低く、挫折感が強い。若い人は「やってできないこと」はロードマップということを作り、条例を作らせていく、向こうは「ヘイトスピーチ条例」を作るなら「日本人を救ってください」という逆の手を使う必要あり。拉致問題も「子供たちが誘拐されないように」と身近に予算を作って動く。
神社仏閣を大切にするだけでなく、「着物の日」も作っているところもある。他に一杯目は「地元のお酒を」と言うことは住民が喜ぶ。
こうした身近な動きをしないと保守派は疲弊していくと思う。なりすましを避け、日本の半導体を大切にするなどから世の中を変えていくための「スパイ防止」を決めること。一般の国民が出来ることから、楽しくやっていくと数が集まれば十分に勝てると思う。
あと本の紹介。(走り書き)




【岩田温】小室圭と皇族の自由・人権【WiLL増刊号】



皇室を心配する人たちを「不敬」と言う人がいるが、これはおかしい。
皇室を利用してやろうとする人物のこともあり、みんな心配だった。
国民に説明もせず、沈黙して渡米、28枚の文書で「これで解決」という上に「録音とっていた」「おカネは貰ったもので返す必要はない」
など、弁護士受かると言っておりながら結婚したいためにそのことを言わなかったKK.

「個人の自由」ということが今回よく出てきた。
「皇族と自由」「皇族の血」・・・ところが今の左派は「間違っている」とは言わない。「可哀想」と言う。
人権が制限されていることを言うのが左派で「皇室不要」と言う。
左派は「天皇は選挙で辞めないといけない」、という考えの人がいるようだが・・・誰も一般人を含めて「全く自由」ということはほとんどの人にはない。
どの人も自分の思い通りの人生は無理。(走り書き)


ブログのティールーム

大型書店「ジュンク堂」で奥山篤信氏の最新著作「エモーショナルな東京五輪観戦記」がありました。

Jose Carreras, Somewhere, by Leonard Bernstein



カレーラスの歌は大変抒情的で発音も独特と言われているが、困惑するバーンスタイン、この曲を作曲し自ら指揮する巨匠だが、バーンスタインとカレーラスは次の練習で爆発してしまう。

わかってもらないと脱力のバーンスタイン、カレーラスは怒りをそのままに本をバタン!!と大きな音をたて、出ていく。
それが次。これがジェームス・キングやルネ・コロだったら巨匠バーンスタインを理解するだろう。
カレーラスの歌は大変繊細で美しいのだが、バーンスタインは「音楽の美しさ」の感覚と理解がカレーラスとは違う。
ソ連の政治家たちやケネディとも対立した気性の激しいバーンスタインも、もはや老年だった。



怒りを隠さず出ていくカレーラスに無念の表情でバーンスタインは見送る。
José Carreras - Bestemmia durante le prove di West Side Story




この場面は生き方も考え方も、世代も違う芸術家二人の姿、どうにもならない寛容の壁。
ウクライナからアメリカに亡命したバーンスタインは、アメリカに身を置いて何を考え、この曲を書いたのであろうか。
カレーラスの憂愁とは違い、政治的にも言いたい放題だったバーンスタインを理解したのは、ドイツの音楽家たちではなかったのか。
あの大戦からボロボロになって音楽に心を捧げてきた戦前・戦中生まれのヴァーグナー歌手や包容力とユーモアのある女性歌手たち。バーンスタインと気が合ったのはそういう歌手たちだった。
ギリシャのマリア・カラスは全面的に彼を讃えた。カラヤンその他の大物指揮者にケンカを売ったカラスだがバーンスタインとはどちらも尊敬しあった。

これは「音楽」の世界というもの以外の包括的なとらえ方の違いなのだろうか。
いわば芸術という聖火を見上げる中で浄化され、勝者も敗者も超えたおおらかさというのでしょうか。
怒りも喜びも・・・そして尊敬もそれぞれの輪の中で調和しあうものを・・・。

   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする