そりゃ激怒するわけ、G7が団結して中国に突きつけたNOの中身 習vs岸田、世紀の合従連衡攻防戦
石 平
「合従連衡(がっしょうれんこう)」は、中国の戦国時代の同盟政策に由来しています。当時の中国には、強大な勢力の「秦」と「韓・魏・趙・斉・燕・楚」の6か国がありました。6か国は、秦の侵入に対して戦々恐々の日々を過ごしていました。
そんな中、戦国時代の政治家である蘇秦は、南北で連なる6か国で同盟する「合従」という外交政策を考え、6か国の王たちに説きました。その結果、この「合従」により6か国は同盟を結びました。
しかし、同盟政策を恐れた秦は、魏の張儀を各国に送りました。張儀は、各国がそれぞれ東西に単独で秦と同盟する「連衡」を提唱したのです。同盟国内で利害が異なっていたこともあり、「合従」は切り崩され、蘇秦は亡命の後に暗殺されました。
この「連衡」により、秦は中国の統一を果たすことができたのです。以来、「合従連衡」は、歴史のさまざまなシーンで外交政策として繰り返されてきました。
要するに「合従の策と連衡の策。転じて,時々の利害に応じて,団結したり離れたりする策」です。
ブログ主・・・はたしてこの策はどこまで有効なのか? 古代中国もそうであったようにそれぞれの国は一枚岩ではありません。しかし強大な「秦」は蘇秦がすすめた「合従の策」は失敗し、「連衡」によって秦の統一がなされたのです。これから先が重要なことは言うまでもありません。
この4月12日にドイツから一時帰国されていたクライン孝子氏が宿泊されている某ホテルに呼ばれて、1時間半ほど話し合ったことを思い出します。クラインさんの病状は厳しいもので、私は日本の医師に診てもらうことを強くお勧めしたのですが、来週は帰国するというので・・・帰国後まもなく亡くなられたことが悲しく、なかなかブログにも書けませんでした。
この時は「日本はシェルターすらない、今までの政府は有事の時のことを本気で考えてきていない。そして惨めな敗北の痛手を今も引きずる日本は戦争できる状態ではない。せめて周囲の危険な国が内部で崩壊するまで、日本の国を持たせなければならない」と申し上げて「同感だ」というお返事で、この策をお互いに話あったのですが、クラインさんはビシッと一言おっしゃいました。「日本は諜報活動をほとんどしていない、今こそそれを置かなければならない」と。そしてドイツにはじめて置かれた「慰安婦プレート」を取り除けたのはドイツの大使館や領事館を動かせたクラインさんだった。クラインさんは「私はドイツ各地の方言やロシア・東欧の人たちのドイツ語を聴いて出身地がわかる」と仰っていた。ドイツ語のほかに英語・フランス語をそれぞれ解された。
また従軍記者として危険な地域でも取材をされた。
では今、中国で拉致監禁されている「親中」といわれる方々の悲運は・・・。
あと中山恭子氏とお話したのですが「もう私はマスコミにも発表したように政治活動を完全に引退しているので」と・・・しかし本心はクラインさんと同じことをお考えだろう、とお察しした。
タリバンに日本人会社員数名が拘束され、「毎日一人ずつ殺す」と通達があった時に外務省や大使館は全く動かなかった、そこで中山恭子氏はたったひとりで女性の身でありながら、タリバンに乗り込み、日本人を無事に連れ帰られた。失敗すれば「バカな女がこんな大それたことをして・・・」とそれみたことか、となったことでしょう、と言われていた。
インテリの中のインテリである中山恭子氏は、三宅博先生とは最も話が通じ「同志」だった。
三宅博先生は私に「僕は無頼だ。たとえ八つ裂きにされてもひとりででも行く」と拉致問題や政治の汚職を追及の件で生命の危険の恐怖を何とも思わず、たったひとりで乗り込まれた。
「無頼」・・・私もそうよ、と中国の「東周列国」や「武狭もの」を夢中になって読んでいた私は、ここぞとばかりに「同感!」と思った。
だから天気の時も長い雨傘を武器に、先生のボディーガードを名乗って護っているつもりだった。(笑われて相手にされませんでしたが)
中山恭子先生や三宅博先生はそれぞれ、ひどい誹謗中傷を受けられた。左派からではない。
アタマのカチコチの「口先だけのホシュ」であり「天皇や過去の有名な軍人の言葉を自分のエッセイに入れ、尊皇派を装った卑怯な政治家たちやその下での烏合の衆たち」であった。
私は今は月刊誌の「WILL」「Hanada」「正論」も買わないし読まない。
それらの執筆者らがしゃべるyoutubeも問題にしない。そしてそれらをひとことで「アホッシュ」という見事な言葉に共鳴してそのように呼んでいる。また有名な中国研究のジャーナリストである宮崎氏のエッセイもほとんど信用しなくなった。私はそれらから大きく線を引いている。
そして今は「芸術・文化シェルター」と称して、読書やオペラ、歴史の本やドラマに埋もれている。
自分がわからないことは「わからない」とすべきだ、と思っている。
ブログのティールーム
ちょっと珍しいビール(日本産)を飲みながら・・・
モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(シエピ主演)とヴァーグナー「ローエングリン」(ジェームス・キング主演)の歴史的名盤。
★ ところで本日は・・・イタリアの作曲家、「ローマの松」で有名なレスピーギの歌曲「霧」をお聴きください。テノールはトッマーソです。これはドラマティックな声にしてはじめて味わえる名曲です。
Respighi: Nebbie (Orch. Respighi and Di Vittorio)
レスピーギはマスカーニや詩人ダンヌンツイオと同じく愛国者ですが、ファシストではありませんが、長らく誤解されていました。敗戦国はこのように芸術家も悲劇の運命を受けたのでした。
この曲は劇的な効果を持ち、トッマーソのような劇的で強い声にして歌えるのです。
エスプレッソ
ブログ主・・・はたしてこの策はどこまで有効なのか? 古代中国もそうであったようにそれぞれの国は一枚岩ではありません。しかし強大な「秦」は蘇秦がすすめた「合従の策」は失敗し、「連衡」によって秦の統一がなされたのです。これから先が重要なことは言うまでもありません。
この4月12日にドイツから一時帰国されていたクライン孝子氏が宿泊されている某ホテルに呼ばれて、1時間半ほど話し合ったことを思い出します。クラインさんの病状は厳しいもので、私は日本の医師に診てもらうことを強くお勧めしたのですが、来週は帰国するというので・・・帰国後まもなく亡くなられたことが悲しく、なかなかブログにも書けませんでした。
この時は「日本はシェルターすらない、今までの政府は有事の時のことを本気で考えてきていない。そして惨めな敗北の痛手を今も引きずる日本は戦争できる状態ではない。せめて周囲の危険な国が内部で崩壊するまで、日本の国を持たせなければならない」と申し上げて「同感だ」というお返事で、この策をお互いに話あったのですが、クラインさんはビシッと一言おっしゃいました。「日本は諜報活動をほとんどしていない、今こそそれを置かなければならない」と。そしてドイツにはじめて置かれた「慰安婦プレート」を取り除けたのはドイツの大使館や領事館を動かせたクラインさんだった。クラインさんは「私はドイツ各地の方言やロシア・東欧の人たちのドイツ語を聴いて出身地がわかる」と仰っていた。ドイツ語のほかに英語・フランス語をそれぞれ解された。
また従軍記者として危険な地域でも取材をされた。
では今、中国で拉致監禁されている「親中」といわれる方々の悲運は・・・。
あと中山恭子氏とお話したのですが「もう私はマスコミにも発表したように政治活動を完全に引退しているので」と・・・しかし本心はクラインさんと同じことをお考えだろう、とお察しした。
タリバンに日本人会社員数名が拘束され、「毎日一人ずつ殺す」と通達があった時に外務省や大使館は全く動かなかった、そこで中山恭子氏はたったひとりで女性の身でありながら、タリバンに乗り込み、日本人を無事に連れ帰られた。失敗すれば「バカな女がこんな大それたことをして・・・」とそれみたことか、となったことでしょう、と言われていた。
インテリの中のインテリである中山恭子氏は、三宅博先生とは最も話が通じ「同志」だった。
三宅博先生は私に「僕は無頼だ。たとえ八つ裂きにされてもひとりででも行く」と拉致問題や政治の汚職を追及の件で生命の危険の恐怖を何とも思わず、たったひとりで乗り込まれた。
「無頼」・・・私もそうよ、と中国の「東周列国」や「武狭もの」を夢中になって読んでいた私は、ここぞとばかりに「同感!」と思った。
だから天気の時も長い雨傘を武器に、先生のボディーガードを名乗って護っているつもりだった。(笑われて相手にされませんでしたが)
中山恭子先生や三宅博先生はそれぞれ、ひどい誹謗中傷を受けられた。左派からではない。
アタマのカチコチの「口先だけのホシュ」であり「天皇や過去の有名な軍人の言葉を自分のエッセイに入れ、尊皇派を装った卑怯な政治家たちやその下での烏合の衆たち」であった。
私は今は月刊誌の「WILL」「Hanada」「正論」も買わないし読まない。
それらの執筆者らがしゃべるyoutubeも問題にしない。そしてそれらをひとことで「アホッシュ」という見事な言葉に共鳴してそのように呼んでいる。また有名な中国研究のジャーナリストである宮崎氏のエッセイもほとんど信用しなくなった。私はそれらから大きく線を引いている。
そして今は「芸術・文化シェルター」と称して、読書やオペラ、歴史の本やドラマに埋もれている。
自分がわからないことは「わからない」とすべきだ、と思っている。
ブログのティールーム
ちょっと珍しいビール(日本産)を飲みながら・・・
モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(シエピ主演)とヴァーグナー「ローエングリン」(ジェームス・キング主演)の歴史的名盤。
★ ところで本日は・・・イタリアの作曲家、「ローマの松」で有名なレスピーギの歌曲「霧」をお聴きください。テノールはトッマーソです。これはドラマティックな声にしてはじめて味わえる名曲です。
Respighi: Nebbie (Orch. Respighi and Di Vittorio)
レスピーギはマスカーニや詩人ダンヌンツイオと同じく愛国者ですが、ファシストではありませんが、長らく誤解されていました。敗戦国はこのように芸術家も悲劇の運命を受けたのでした。
この曲は劇的な効果を持ち、トッマーソのような劇的で強い声にして歌えるのです。
エスプレッソ