先日テレビで視聴した「流光城市」のセリフとクライン孝子氏の「岸信介のしたこと」を思い出して。
この春にジャーナリストのクライン孝子さんがドイツから来られて電話で呼ばれ、宿泊先の東京のホテルの一室にお伺いし、1時間半ほどお話したが、(その一週間ほど後にドイツに帰国され亡くなられた)クラインさんは私と同じように「統一教会」の資金問題で、教祖の文鮮明が北朝鮮に日本人信者の6500億円(当時)を渡したことから始まり、自民党の「岸三代」へと引き継がれ、安倍元首相など「拉致問題解決」を大きく掲げながらも、だまし討ちの汚い手を使った。弁護団が不適切なことをしないでと全国会議員に宛てて文書を出しているにかかわらず、関連雑誌のグラヴィアに安倍さんが顔写真を出したり、統一教会に祝辞メッセージを出したり、「してはならないこと」「拉致問題をどのように考えているのか、バカにするにも程がある、と私は怒った。
この統一教会については1970年代に「壺売り」などで一部報道されたが、なぜかウヤムヤにされた。
クラインさんは「岸元首相は私の父が本当に嫌っていた、やってはいけないことを満州でやってきた」と仰った。
満州生まれのクラインさんは、終戦で命がけで帰国、その時の悲惨さは忘れられないと。
岸信介元首相のことはこのように書かれている。クライン孝子さんの解説と一致する。
>岸はどこからともなく政治資金を調達するようになった。
主にそれは満洲及び中国全土でのアヘン売買とされている。
その後、満洲から去る際に「政治資金は濾過機を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過機が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから関わり合いにならない。政治資金で汚職問題を起こすのは濾過が不十分だからです」という言葉を残している[34]。(WIKI)
私はほとんどテレビを見ないが、衛星放送の「流光城市」を見ていたら、先日、こんなセリフがあった。
だいたいこんなセリフだった。
「卑怯な日本人は東北(この場合は満州を指す)でアヘンを扱い、汚く儲けている」と青年が言うと、女性家庭教師は「同じことを上海財閥のあなたのお父さんがしているのよ」とつぶやくが声に出して言えない。
20世紀初頭の上海で財閥の御曹司は優秀な家庭教師に指導を受けていて、だんだん彼女に魅かれていく。
アヘン館や武器などを取り扱う上海随一の財閥は裏組織も牛耳っており、本当に恐ろしい。
そのセリフで「岸信介元首相」を思い出したのだった。
クライン孝子さんはドイツを中心に活躍された国際ジャーナリストだが、電話でも「岸三代」のことで何度も言われた。
これを安倍シンジャ・提灯政治評論家・安倍支持ユーチューバー・偏向政治月刊誌などが打ち消すのだ。
「野党もやっている」・・・この場合、共産党は無関係である。「統一教会は勝共連合」であり、共産党とハッキリ対立してきた。解同も社会党系であり、共産党とは対立、自民党は知らん顔だった。
だから三宅博先生(故人)がたったひとりで斬りこんでいったのは、私の心に響いた。
私はなぜ自民党に入党したり支持したりしないのか、というのは「都合の悪いことは、子供でもわかる稚拙な論理でごまかし、大勢で大騒ぎして否定しようとする」からである。
「保守」と名乗る人たちの組織にはいろいろ恐ろしいことがある。ツイッターでもすぐにわかる。
また「天皇」を盾にして自分のことを「臣」と言ったり、「天皇に側室を」とアホにも程があることをいう。
ああ、こんなアホと一緒にされたくない。
「中国には日本国内では啖呵を切る」くせに、ひそかにつながっていたりする。
だんだん薄絹をめくるようにわかってきたのがここ10年だ。
絶対に許せない。そしてこんな人たちは「保守」ではない。最も卑怯なやりかただ。
私の芸術観
あなたは中国の歴史本や漢詩、ドラマが好きではないか?三国志大好きだろう?
という人がいた。その通りである。
私は「芸術や文化」を尊重している。
私は昔、音楽という専門分野でヴァーグナーを否定したことがある。
あの「ナチス」のヒトラーなどが、生きている時代が違うオペラの作曲家ヴァーグナーの音楽をしつこく利用したことだ。
しかし私は「本当は大好きなのに、ヴァーグナーを歌いたいのに・・・」と好きなのに嫌いと言うのが苦しかった。
嫌いといえば言うほど好きになる。まるで好きな恋人を否定しているような苦しさだった。
中国の芸術や文化はそういうことはもはやなかった。
すべてが素晴らしいのではないが、歴史本をあさって読んだりして二度も中国に行った。
私の専門はイタリアオペラである。特にヴェルディ。洋の東西を問わず、それらは「共通点」があるのだ。
それから大勢が一斉に同じことを言うのは信じない。
「統一教会」ではいまだにかばっているアホッシュがいる。
まともな判断をできなくしているのは、その既製の集団に群れていること、
いつも情けないツイッターの「一斉決まり文句」を見て、学歴のあるないにかかわらず、目を背ける。
数年前に作家のクリス三宅氏を神戸舞子の「移情閣(舞子六角堂・孫文記念館) 」にご案内したことがある。
そこには戦前のいろんな資料があった。
資料・・・日本との関係
孫文は生前、日本人とも幅広い交遊関係を持っていた[28]。犬養毅の仲介を経て知り合った宮崎滔天[29] や頭山満・内田良平らとは思想上も交遊し、資金援助を受けてもいた[30]。また、実業家では、松方幸次郎、安川敬一郎や株式相場師の 鈴木久五郎、梅屋庄吉[11][12]からも資金援助を受けていた。また、滞日時の支援者の一人に、漫画家・柴田亜美の曽祖父もいた。
ほかにも日本陸軍の佐々木到一が軍事顧問にもなっている。ほか、南方熊楠とも友人で、ロンドン亡命中に知り合って以降親交を深めた[31]。
また孫の自伝『建国方略』の文書中では、犬養毅・平山周・大石正巳・尾崎行雄・副島種臣・頭山満・平岡浩太郎・秋山定輔・中野徳次郎・鈴木久三郎・安川敬一郎・犬塚信太郎・久原房之助・山田良政・宮崎寅蔵(滔天)・菊池良一・萱野長知・副島義一・寺尾亨の名前を列挙し、深く感謝の意を表している[32]。
孫文 - 日本との関係 - わかりやすく解説 Weblio辞書
神戸舞子にある1915年建設の「移情閣(舞子六角堂・孫文記念館)」内部の写真(一部)
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ヴァーグナー作曲「タンホイザー」序曲
フルトヴェングラー指揮の歴史的録音
Furtwangler Tannhauser overture 1949 studio