「自民党は多数決はしないのです。反対意見の人たちは黙っとれ」
バカ殿と太鼓持ちたち・・・これ必聴です!!凄すぎます・・・
ついに爆発した保守もゾクゾク、拉致問題で「ご活躍」だった古屋議員、
大勢自民党議員がいるが、本当は不要な議員ザックザクじゃないの?
唖然ライブ「古屋圭司自民党議員の呆れる発言『自民党は多数決をしない』「大事なことは執行部が決める』ええんか、これ?」 百田さん激怒
安倍昭恵さん「それなりに配慮を」新山口3区で夫後継の公認を党に要望、後援会長正式就任
別のニュースですが・・・
中国にサムスン半導体工場の「複製」建設画策 元役員ら起訴=韓国 (msn.com)
【水原聯合ニュース】韓国の水原地検は12日までに、サムスン電子の半導体工場を丸ごと複製した工場を中国に建設しようとしたとして、産業技術保護法や不正競争防止法違反の罪でサムスン電子の元常務を逮捕・起訴した。また、元常務が中国に設立した半導体製造会社の社員5人、設計図を持ち出したサムスン電子協力会社の社員1人の計6人を不正競争防止法違反などの罪で在宅起訴した。
番外編
孤城闭 幕后特辑:皇后带徽柔看朝堂纷争,公主心灰意冷被逼回府
諫官である司馬光の追及は熾烈をきわめ、正義を貫く強い言葉は誰もが黙って聞くだけだった。
過去に蘇軾は司馬光と意見の激突があり、今は左遷されている。(蘇軾を都に戻したのは仁宗の皇后、男勝りの曹皇后だった)
仁宗は司馬光の言葉をしっかり受け止めながら、そこにある破壊的な理論を論破した。
ここは一番の見どころで、仁宗を演じる名優王凱は抜群だった。
仁宗の治世は長い歴史の中で最も自由に意見をたたかわせた時代であった。
それだけに儒教の教えや過去の名君の事例などを持ち出し、政治を左右させようとする者もいたが、仁宗はそれでも阻止しなかった。仁宗はそれぞれ見事に解決していったのである。
>仁宗「私は聖君ではない。司馬は皇族に私情を許さぬことを民の為、と思っている。」
その言葉に激怒した司馬光はなおも大音声で朝堂を圧し、必死の形相で迫る。
「私は命をかけて申し上げているのです。この場で死んでもよい」
仁宗「諫言で誰が死ねと言った!!私はそうしたことは言っていない」
・・・この場の激しい司馬光と落ち着いた仁宗のやりとりは圧巻である。聴いていて思わず涙をこらえた。
司馬光に「死罪を」と要求された若い宦官の梁懐吉を仁宗は「私の横に来なさい」と自分の側に呼び寄せ、懐吉が娘に何の見返りもなく、危険を承知で彼が動いたからこそ娘は死なずに済んだ、また婚家先の姑の自殺未遂も命がけで救った。もともと梁家の没落は仕掛けられたものであり、一家は離散、または死亡、幼い懐吉は売り飛ばされ宦官になるしかなかった。彼は聡明で心から娘に仕え、危機を救った。もし懐吉がそうしなければ、娘は死んでいただろう。「民の為」と言うが私は世間にほとんど出ていない。上奏などで知るだけだ。
梁家が被った没落も、何も知らず何もできなかった私の政治のせいだ。
何かというと「民の為」というが、どこまで為政者の目が行き届いているか、ということが本当に大切だ・・・と。(以上、主なセリフの要約)
ブログのティールーム
忘れえぬ名バリトン、エットレ・バスティアニーニが歌うドニゼッティ「ファヴォリータ」~来たれ、レオノーラ
1955年の歴史的な録音。来日した時もこの曲を歌ったときいた。彼の声はまさに「黄金」の威力と輝きがあり、貴族のようなたたずまいでその美しい舞台姿は女性をとりこにしたという。彼の後に出てきた偉大なカップッチッリはバスティアニーニとは全く違った「いぶし銀」と称された深い解釈で魅了したが、このふたりが全盛期をともにして対決することはなかった。バスティアニーニは40歳代で病死してしまったのが惜しまれる。バスティアニーニは貧しい母子家庭で育ったが、この舞台姿はそのような苦労を一切感じさせなかった。私も彼はシエナの貴族出身と思い込んでいた。
Ettore Bastianini La Favorita 1955年録音