中露、日本付近で合同飛行 軍事協力強化
中国、NATOに対し「頭を冷静に」 日本事務所計画で
【北京=三塚聖平】中国外務省の汪文斌(おうぶんひん)報道官は6日の記者会見で、フランスのマクロン大統領が北大西洋条約機構(NATO)が検討している日本連絡事務所の開設計画に反対していると報じられたことに関し、「アジアは北大西洋の地理の範疇(はんちゅう)になく、アジア版のNATOの創設も必要ない」と表明した。
汪氏は、NATOに対し「この問題において頭を冷静に保つべきだ」と発言。日本側に対しても「地域の安定と発展の利益に合致する正しい判断を行うべきだ」とクギを刺した。
中国は、米国が主導する対中包囲網が自国周辺で影響力を増すことを強く警戒している。汪氏は「大部分の地域国は、同地域で各種の軍事集団が寄せ集められることに反対している」と述べ、NATOに対する警戒姿勢をあらわにした。
6日付英紙フィナンシャル・タイムズは、NATOが検討している日本連絡事務所の開設計画について、フランスのマクロン大統領が反対していると報じた。
中国、NATOに対し「頭を冷静に」 日本事務所計画で (msn.com)
中国船がベトナムEEZから退去、米中高官会談後に
[ハノイ/北京 6日 ロイター] - 南シナ海のベトナムの排他的経済水域(EEZ)で1カ月近く活動していた中国の調査船と護衛艦が5日に北京で行われた米中高官の会談後に退去し、中国の海南島に向かった。
船舶追跡データによると、中国船は5月7日にベトナムのEEZで活動を開始。ロシア企業が運営するガス田や油田の付近を繰り返し航行していた。
中国船と複数の護衛艦は米中高官会談後に海南島に向かい、5日深夜にベトナムのEEZを離れた。
船舶の動きについて中国外務省はコメントしなかった。声明で「中国の管轄下にある海域で中国の科学調査船が通常の調査活動を行うのは合法的で適切だ。他国のEEZに入るという問題は存在しない」とした。
中国は他国のEEZを含む南シナ海の大半で領有権を主張している。
スタンフォード大学で南シナ海に関するプロジェクトを率いるレイ・パウエル氏によると、6日0300GMT(日本時間同日午後0時)時点で、中国の調査船は海南島に近づいている。
非営利団体SCSCIを率いるベトナムの研究者、Van Pham氏は中国船がベトナムのEEZを離れたことを確認したが、海南島は調査船の母港ではないため、停泊した後に南シナ海で再び活動を開始する可能性があると警告した。
番外編 地味だが素晴らしい「孤城閉」王凱の魅力だけじゃない、総力だ!!
昨夜、中国ドラマ「孤城閉」を視聴、しばらくしてジーンとくる。得難い感動・・・名優の王凱をはじめ、若手の本格的な演技の実力はこれみよがしなところはなく、涙を誘った。動画は1分前後なのでご覧ください。北宋の仁宗の治世、仁宗のたったひとりの娘が功臣の李家に降嫁した。
しかし潔癖な皇女は結婚相手を嫌い、また威圧的で下品なその母親も嫌がった。
夫婦生活も拒否したために、姑は皇室の血を受けた孫が欲しいために、酒に薬を入れ、前後不覚にさせてバカ息子のもとに送った。皇女が幼い時から兄と慕った若き宦官はおかしな雰囲気を察し、必死で皇女を奪還するのだった。「皇女を殺す気か!!」と。仁宗は彼が宦官でなかったら「科挙」も楽々と合格していたはずに英才と惜しんだ。貧しいがために宦官にならざるを得なかった彼は皇女を補佐し、常にかばってきた。
[MV] 隔岸 - Opposite side | 清平乐 Serenade of Peaceful Joy
夫は皇女が自分の母親に反抗したと手をあげる。若き宦官に守られ、皇帝のところに逃げ帰る皇女。皇女を救った若き宦官は仁宗のもとに詫びに行く。仁宗はあまりのことに動揺するが決して彼を罰しようとせず、臣下たちの反感をかい「皇女のしつけはできているのか」と責められることになる。
清平乐(孤城闭)● 精彩看点:怀吉自请受罚,许愿公主不看着自己离开このドラマで「仁宗」の治世で心身をすり減らした苦悩がよく描かれている。
たとえば「科挙」を受けた青年たちが、ベテランの欧陽修を取り囲み、不満をぶつけ大変な騒ぎになった。
そこへ蘇軾が欧陽修をかばい、多くの青年たちを説得する。
青年たちは出題に「出典がない」と反発するが、蘇軾は「原文がそのまま使われるとは限らない。皆さんは聖人の品徳を学びもせず、噂話で人を嘲笑している。無知の極みではないのか?文字は道の為にある。しかし今の文壇は古文を引用し、民も理解できない。才子選択の弊害を一掃している欧陽殿に何の間違いが?
驕傲な秀才を試験官の欧殿が淘汰されたのだ」・・・これに誰も反論できなかった。
それを伝え聞いた仁宗は「世には必ず避けるべき2種類のものがある。ハチの巣と徒党を組んだ読書人だ」と言った。さらに「蘇軾は一番優秀だが奔放である。状元(科挙で第一位)は注目される。彼には向かない」と言う。蘇軾も科挙を受けていたのだが、状元の実力がありながら第二位の榜眼となった・・・のちに名裁判官の包拯(包公・包青天とも呼ばれる人望のある人物)を欧陽修は弾劾する。
包拯は三人の司徒を更迭すべきだと主張する。仁宗は「3人とも辞めさせよう。そのかわりそなたが代わってやるように」と言うとビックリ仰天して黙る。個性の強い者ばかりで仁宗も大変だ。 参考(WIKI)
欧陽修・・・散文においては韓愈の例に倣い、いわゆる古文復興運動をすすめた。滁州の自然や人々の生活を描写した「醉翁亭記」は、有名な作品のひとつであり、中国の紀行文の最高水準のひとつとして賞賛される。
蘇軾・・・嘉祐2年(1057年)22歳のときに弟の蘇轍とともに進士となる[3]。このときの科挙は、欧陽脩が試験委員長を務め、当時はやりの文体で書かれた答案は全て落とし、時流にとらわれない達意の文章のみ合格させるという大改革を断行した試験であり、蘇軾・蘇轍・曽鞏の3名のみ合格した[2]。
包拯・・・右司郎中として開封府尹代理を務めていた頃、極めて厳格で、権力があった宮中の貴族や宦官ですら恐れずに賄賂を摘発したので、非常に恐れられたという。民衆からは「包拯が笑う時は黄河が澄む時だ(めったにない)」とか、「関節(賄賂)到らず、閻魔包公有り」(閻魔の包さんがいる限り賄賂は通用しない)など、子供でも包拯のことを知っており、大変人気があったという。また、政府高官になっても庶民時代と同じ生活をしており、群れを作らず、賄賂を断じて取らなかったという。これらの話は歴史的事実として認められている。
★ 仁宗が「蘇軾は大変優秀だが状元には向かない。それは奔放だからである」なぜか、この言葉、親しくしていただいている超優秀な奥山篤信氏のことを思い浮かべた。(怒らないでください)
ブログのティールーム
本日は戦前の名チェリスト、ピアティゴルスキーが奏でるサンサーンス作曲「アレグロ アパッショナート」
をお聴きください。(今、この楽器はヨーヨーマが使用していると伝え聴きましたが・・・)
Piatigorsky plays Saint-Saens allegro appassionato