1,【都などが国に要望書】「地域住民から不安の声」“統一教会”が多摩市で大規模な土地取得
いわゆる”統一教会”が去年、東京・多摩市で大規模な土地を取得したことについて、東京都などは国に対し、教団の運営実態の把握などを求める要望書を提出しました。 世界平和統一家庭連合いわゆる“統一教会”は去年4月、多摩市内でおよそ6300平方メートルに及ぶ土地を取得していますが、この土地には、都立高校や大学が隣接しています。 これについて、東京都と多摩市は、「地域住民から不安の声が上がっている」などとして、国に要望書を提出しました。 都は要望書で、「国の質問権行使の状況も注視してきたが、事実関係やそれに基づく国としての対応・判断等が示されていない」などと指摘。その上で都民の安全な生活を確保するため、教団の運営実態の把握と、その状況に応じた適切な対応を行うこと。さらに、土地取得に関する状況について、情報提供を行うことなどを求めています。 (2023年6月8日放送「news every.」より)
★ 「統一教会」を選挙運動に長年利用してきた自民党がしっかりしないといくら地域や東京都が言っても効果なし。私はこの自民党のウヤムヤな態度でもわかるように「統一教会」を護っていると思われても仕方がないと思う。
騙しているつもりだろうけれど、そうはいかない。なぜ政府自民党が動かないんだ、動けないのか?
2,【緊急配信!】LGBT法案に急展開!党分裂の危機を招いた自民党大物議員の正体とは!?
3,トランスジェンダー女性を自称の男が女湯侵入で逮捕 自民・稲田朋美氏の過去発言に注目集まる
三重県の入浴施設にある女性用浴場に女装した男(54)が侵入して逮捕された事件を受け、LGBT理解増進法を推進した自民党・稲田朋美元防衛相へ、一部から〝批判〟が高まっている。
男は8日夜、三重県津市にある女性用浴場にスカートを身に着けて侵入。湯船につかっていたところを他の女性利用客が気づき、店員が通報して建造物侵入の疑いで現行犯逮捕された。男は自身を「女だ」と主張し、容疑を否認しているという。
果たして逮捕された男が性同一性障害を抱えていたのかはわかっていないが、LGBT理解増進法が成立すれば身体は男で心は女のトランスジェンダー女性が、女性用浴場に入ってくるのではないかと不安視する声が上がる中で起きた事件。同法案をまとめた議連会長代理の稲田氏の過去の発言がSNSでクローズアップされている。
稲田氏は4月2日にツイッターに投稿した「LGBT法案の懸念について vol.2」という動画で「公衆浴場における衛生等管理要領では浴場と脱衣所は男女を区別することになっています。厚労省によればこの男女は身体的特徴による区別を指します」と解説。その上で「心が女性で身体が男性の人が女湯に入るということは起きません」と断言しており、この発言についてSNSの一般ユーザーだけでなく、フリーのジャーナリストや識者たちからも批判の声が上がった。
仮に逮捕された男がトランスジェンダー女性を装っての行動なら、稲田氏の発言内容は否定されるものではないが…。各方面から「拙速」「不十分」との強い声が上がるLGBT理解増進法案は、9日に衆院で可決。
16日にも参院で成立すると見られている。
★ このようなことが起きるとは思っていた。公衆トイレの件もある。またスポーツ競技で身体は男性だが同様の考えで女性の試合に参加して上位を獲得することも問題。このような時はどうするのか?
稲田元防衛大臣の無責任な発言は、一般の人たちに決して支持されないだろう。
4,中国 キューバにスパイ施設か アメリカが警戒【モーサテ】(2023年6月9日)
これは極めて危険だ。ケネディ時代を思う。
5,カホフカ水力発電所のダム決壊の救助隊にロシア軍銃撃か(2023年6月8日)
被災者は「屋根の上にいる」という悲惨な状況、ここまで卑劣なことをするのか?
番外編 「孤城閉」より
★ これはタイのサイトから見つけた動画・・・宋の仁宗の一生を描いた中国ドラマ「孤城閉」から。
仁宗の皇后、曹氏のことをwikiで調べた。仁宗と曹皇后は「悲劇」であると思う。
美しく聡明な皇后は文武両道、しかし「女性」としては不幸だった。大地震で夫の仁宗が皇后を庇おうとして手を取ると皇后は「皆の者、陛下を護れ!!」とすくっと立ち上がって号令・・・仁宗はおもわず引く、
皇后の立派さは理解できても女性としてもっと夫に頼ってほしい、という不満と戸惑いが仁宗には常にあった。
"Nếu Đan Thù là nam nhi?" || Thanh Bình Nhạc (Cô Thành Bế) 21秒
曹皇后(WIKI)より
建国の元勲曹彬の五男の曹玘の娘として生まれる。
明道2年(1033年)、郭皇后が廃されたため皇后として招聘され、景祐元年(1034年)に冊立される。慈悲深く質実な人柄で、禁苑に畑を作って種々の穀物を育て、また養蚕を好み、布帛を作ることに巧みであった。
慶暦8年(1048年)正月3日、宮中の衛兵が乱を起こし、寝殿へ侵入した。このとき、皇后はまさに仁宗の側にいたが、いちはやく異変を察して扉を封じ、都知事の王守忠に命じて軍隊を派遣させた。また、賊が火を放つことを懸念して、密かに人をやって水を撒かせておいたところ、はたして賊は松明を簾へ投げてきたが、全て水に浸かって消えた。夕方になると、皇后は待機していた侍臣らのもとへ赴き、手ずからその髪を切り「明日の論功行賞で、あなた方がここにいたことを、この切られた髪で示しなさい。」と言った。これによって彼らは大いに奮起し、死力を尽くして戦ったので、反乱はたちまち鎮圧された。
嘉祐8年(1063年)、仁宗が急死すると、曹皇后は皇太后として英宗を補佐し、朝政に臨んだ。後に英宗が病にかかると、皇太后に対して国事に関する権限を同じくするよう請い、太后は後宮ではなく、朝廷で政治を司った。しかし、決して我意を通すようなことはせず、未決の奏事があるときは「皆さんでもう一度、審議なさい」と言い渡すのが常であった。よく経書や史書をひもといて決済の助けとし、自分の仕事は人任せにせず寸暇を惜しんで務めたため、官省の勤務態度も粛然とした。慈聖光献曹皇后 - Wikipedia
ブログのティールーム
フランコ・コレッリがフランス語で歌った「もし、私を愛しているなら」
作曲はイタリアのルイージ・デンツァです。
Franco Corelli; "Si tu m'amais"; Luigi Denza