ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

わが畏友、奥山篤信氏が語るスビャストスラフ・リヒテル(1)/中国、中東緊迫でも動けず/中国の近代ドラマ、中国共産党には触れることができないジレンマ?

2023年10月12日 | 政治

作家「奥山篤信氏、リヒテルを語る」
1970年初来日、日本の聴衆よりもはやく巨匠と会ったのはナホトカ発の船上、奥山氏はリヒテルの部屋をノック!!
私(ブログ主)はそれを伺って飛び上がるほどビックリした。アンコールもしない、孤高のピアニスト、また自分の演奏に厳しく、キャンセル魔とも恐れられていたリヒテルの姿は・・・
「鉄のカーテン」に閉ざされたリヒテルはソ連と東欧だけコンサートを許された状態だった。
そのリヒテルが1970年、初来日した。人々はティケットを買うために徹夜も辞さない状態だった。
作家・評論家「奥山篤信」氏のリヒテルの実像とその名演奏を連載します。
◎スヴィヤストラフ・リヒテルに見せられて(1)ムソルグスキーの展覧会の絵

ハンマー・クラヴィア:ピアノとは鉄線を金槌で叩く打楽器だ!その通り そしてピアノの達人とはそのピアノの極限の叩く音が本物の愛の極限かか他愛のない愛撫かによってその力量が異なるのだ!

僕が1970年欧州への初めての旅の帰り当時最も安い欧州往復のナホトカ路線において同じ船に乗り合わせたリヒテル夫妻の部屋のドアを叩きモスコーで買ってきた当時ロシア製のLPに署名を求め気軽に二枚に署名してくれたお宝を未だに大事にしている。友人によればリヒテルの署名などあり得ないと感心されているが・・生来のど厚かましもそんなお宝を自分で作り上げたことをその後の50年強の人生を振り返ると微笑んでくる次第だ!
さて彼が日本で展覧会の絵を演奏したという。その時クラシックを人生の目的と真面目にチケットを得るべく徹夜したという当時美少女(今は年配のおばさま)が言うにはこの展覧会の絵のリヒテルの演奏に何か神の啓示を感じたような感動を僕に伝えていただき、早速数年前爆買いで買ったリヒテルのCDの中に日本の公開ではないが展覧会の絵が見つかって早速聞いてみた。

あのウクライナの歴史的古都オデッサ生まれの土の匂いがする彼と握手した時感じた僕の指の2倍とは言わないが分厚い頑丈な10本の指 それが鍵盤を叩くとピアノを奏でる本物の音を引き出す能力に感動するのと同時に、そんな分厚い指だからこそ人間の心に刺さる優しい音色の変化をデリケートさに感動する最高の叩きの芸術を満喫させてくれるのだ!
僕の持論として弱い音を強くそしてそれがメロディを泣かせるように奏でられるものこそが本物だという・・展覧会の絵はあの独特誰でも一度聞いたらこれって言うメロディがある。そして最後の15曲めのキエフの大きな門 リヒテルのこのダイナミックな演奏 友人が未だにあの耳から得た感動を忘れないと言うてくれた この演奏 こんな演奏をじっくりと聞いて再認識して感動した今日という日に感謝したい。

★ なんと奥山氏は「友人」という私まで書いてくださっている。恐縮です。

焦点:中国、中東緊迫でも動けず 外交的野心の限界露呈か

James Pomfret Joe Cash Chen Lin ロイター

[香港/北京/シンガポール 10日 ロイター] - 中国が今年3月、意表を突いてサウジアラビアとイランの外交関係正常化を仲介したことは、中東外交の重鎮として振る舞いたい中国の意欲を示すものだった。しかし、イスラエルとイスラム組織ハマスによる紛争発生のよって、その野心の限界が露呈しかねない状況となっている。

サウジとイランの合意後、中国メディアは、米国が長年支配していた中東外交において、中国の存在感が高まったと自画自賛した。

外交トップである王毅共産党政治局員兼外相は、世界的な「ホットスポット問題」の処理において、中国が建設的な役割を果たし続けると述べた。

だが、ハマスによるイスラエルへの組織的攻撃後、中国の反応は鈍かった。

外務省の報道官は、何度もハマスへの非難を避けた。代わりに呼びかけたのは、エスカレートを抑え、イスラエルとパレスチナがパレスチナ独立のための「2国家解決」を追求することだった。習近平国家主席は、この問題について沈黙を守っている。

オランダのフローニンゲン大学の助教授で、中国と中東関係の専門家であるビル・フィゲロア氏は、中国の対応について「中国がこの種の中東問題における巨大な立役者である、というプロパガンダに穴を開けるのは間違いない」と述べた。

中国が中立を保っていることを、アメリカやイスラエルの政府関係者は批判している。中東における公平な和平の仲介者だ、という北京の主張が揺らいだとの声もある。

アナリストによると、中国の対応は驚くに当たらない。中国の外交政策は長年、リスク回避的であり、イスラエルとハマスの対立激化は中国の外交担当者らを窮地に追い込んでいる。中国は歴史的にパレスチナ、そしてパレスチナの米国に対する敵対姿勢を支援してきたからだ。

中国外務省の汪文斌報道官は10日に「中国は、パレスチナとイスラエルの紛争がエスカレートし続けていることに強い懸念を抱いており、すべての関係当事者に即時停戦、戦闘中止を強く求めている。中国はすべての当事者と意思疎通を保ち、中東の平和と安定のために絶え間なく努力するつもりだ」と述べた。

<不干渉政策の制約>

中国が3年近く続けたゼロコロナ政策を終了して以来、習近平氏は米国とその同盟国に対抗すべく外交攻勢をかけた。

新興5カ国(BRICS)などの非欧米主導の多国間グループと連携を深める一方、ウクライナに侵攻したロシアとの関係を緊密にし、中東やグローバルサウス諸国との関係を強化している。

しかし、中国が現在の危機に深く関与する可能性は低い。

一つの理由は、長年の不干渉政策にある。この政策は時に、世界の舞台で大国として振る舞うという中国の目標と衝突することがある。

SOAS中国研究所(ロンドン)のディレクター、スティーブ・ツァン氏は「習近平政権下の中国は、中東を含むあらゆる場所で尊敬され、賞賛されることを望んでいるが、結局のところ、本当に難しい地域安全保障問題を解決するのに必要な行動を起こす気はない」と語る。「中国は手っ取り早い成果だけを欲しがっており、基本的にそこ止まりなのだ」とも指摘した。

中国がイスラエル・パレスチナ問題に取り組んだ前例はある。だが、中国はパレスチナとの関係を含めた長年にわたる中東諸国との関係によって、選択肢が限られている。

一方、一部の中国の学者は最近、パレスチナ人の疎外と、米国主導によるサウジとイスラエルの関係正常化の合意が危機をあおっている根本的な原因だと批判した。

上海国際問題研究院中東研究所のLiu Zhongmin教授は、中国メディアのインタビューに対して「イスラエルとパレスチナの紛争の背後にある最も重要な外的要因は、米国がアブラハム合意(イスラエルとアラブ諸国の国交正常化合意)の履行を試みていることだ」と指摘。「中東地域の和平とパレスチナ問題の公正な解決は不可分だ」と主張した。

<取れるリスクに限界>

中国がハマスを非難すれば、同国はロシアやイランと対立してしまう可能性もある。

スティムソン・センター(ワシントン)の中国プログラム担当ディレクター、ユン・サン氏は「ハマスの背後にだれがいるのかは不明だが、中国のパートナーである可能性は高い」と指摘。「ロシアはアメリカの注意をそらすという意味で得をするし、イランも候補国に挙がりそうだ。中国にとって、今回の攻撃を非難するということは、『犯人』が特定された場合に行動を起こす義務があることも意味する」と解説した。

一方で、中国は今後数十年間で4000億ドル近い対イラン投資を計画しており、同国に対して影響力を持つ数少ない国の一つだ。だが、イスラエルでは、中国はこれ以上危機に踏み込まないのではないか、との見方がある。

イスラエル国家安全保障研究所の中国研究者、トゥービア・ゲーリング氏は「中国は国際舞台で発言力や影響力を行使し、物事を良い方向に変えようとはしない」と断言した。

中国は中東から石油を輸入し「一帯一路」構想の一環として中東の通信やインフラに投資しているだけに、中東和平は中国の望みだ。しかし、習近平氏のリスクテーク意欲には明確な限界がある。

シンガポール国立大学・中東研究所のシニア研究フェロー、ジーンループ・サマーン氏は、中東の環境が安定していたため、中国がサウジ・イランの関係正常化を仲介することが可能だったと説明。「ところが、紛争の管理となると、状況は大きく異なる。中国がその役割を果たしたがっているとは到底考えられない」と語った。
焦点:中国、中東緊迫でも動けず 外交的野心の限界露呈か (msn.com)

 気になっている中国ドラマ「伝家」、11日の放送。
中国ドラマの「近代もの」はだいたい1910~1930,または1940年代の設定で、日清戦争前後のことが多い。
このような近代ドラマは実力のある役者が魅力あるが、清王朝が終わり、残った清王朝の王族や貴族、日本とつながる中国の政治家や経済人などが絡み、非武装地域に爆撃を加えたのが1937年としている、そして「自分の国で他国が好き勝手していいのか!!」と立ち上がろうとする若い人々など。

ただ不思議に思うのはどの「近代ドラマ」も中国共産党の出現にはノータッチであることだ。
これを描けば「天安門事件」「文化大革命」、何百万人の中国人の餓死を中国共産党政府が何もしなかったこと、反省すらない・・・彼らにとっては今、分裂のきざしのある中国共産党のことを描くと自分だけでなく親類縁者や友人たちをも犠牲にすることがわかっているから、であろう。・・・ちょっと昔から気になっていたのが作家の永井荷風が書いた「断腸亭日常」で
日本兵が中国の上品な階級にいる家庭を脅し、令嬢を乱暴しようとして両親は泣いてやめてほしいとお願いし、それでも娘はレイプされ、井戸に放り込まれた、とある。・・・私は永井荷風がこれをどこで聴いて書いたのか、よくわからなかった。
中国に行った松井大将は「大の中国好き」であり「中国文化」に敬意を払っていたという。
松井大将については優れた人、という評判だったが、戦争の怖さは多くの人の精神状態を狂わせること。
たとえばレイテで戦った私の父は「戦場ではいつも勇ましいことを言ったりしていた人や兵士に暴力を加えていた連中が
敵前では、気が狂って意識を失ったように前へ飛び出し、撃たれて亡くなった・・・という。
父はレイテで指を撃たれてボールのように膨れ上がって害虫などが山のようにたかり、汚れた川の水で洗った。
病院どころか薬も包帯もない。そして大きな夕日に誘われるようにしてジャングルの奥に逃れた、ということだ。

ボリス・ゴドゥノフ~日本人歌手による初演(1954年) - チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ・・・戦前戦中のメッゾソプラノ、永井智子先生、
長女は作家の永井路子氏。荷風も「永井」だが親戚でもなんでもない。



永井荷風「断腸亭日常」
>晩年まで読書を怠らず、江戸後期の版本とフランス語原書の文学作品を読んだ記述が多数ある。対人関係(佐藤春夫平井呈一など)に潤色があるとされるが、太平洋戦争末期の破滅的な生活風俗と荒み行く人心の記録は、『後車の戒』(『後世への戒め』)としても読みうる。『断腸亭日乗の頂点は、1945年3月9日、自宅の偏奇館焼亡の記述』とする論者が多い。

東京大空襲後の罹災の逃避行でも、日記原稿を携え記述を続けた。1949年頃までは、読者を引き込ませる中身があるが、以降(とりわけ後半の数年間)は、没する前日まで、ほぼ一日一行の記述のみになっている。(WIKI)

 ブログ主・・・この「東京大空襲」の逃避行では、ローマで巡り合った声楽家の永井智子先生ご夫妻が一緒だった。私は直接永井先生にお伺いした。イタリアの作曲家レスピーギやマリピエロ、ピゼッティなどの作品を日本初演され、レスピーギ夫人やマリオ・デル・モナコと親交があって手紙のやりとりもされていた。
永井先生には東京のご自宅にもお誘いを受け、ほとんど夜中までイタリアオペラのお話をし、私の歌唱でもアドヴァイスを受けた。荷風は「美貌と美声を兼ね備えたプリマドンナ」と断腸亭日常に書いている。
気性の激しいプリマの永井先生は荷風と大喧嘩をしてお互いに譲らずだったときく。
マリオ・デル・モナコは永井先生にイタリアの音楽院でレッスンをしてほしいと手紙で懇願された。
ベルカントを究めたプリマドンナとして、日本では稀有な存在だった。
東京芸大からも指導を依頼されたが「私を頼むなんて無礼にも程がある」と・・・いやはや・・・
なぜか私は可愛がってもらった・・・これは謎だ、もったいないことである。


ブログのティールーム


スビャトスラフ・リヒテルの演奏 ムソルグスキー「展覧会の絵」フィナーレ
・・キエフ(キーフ)の大きな門・・・大中小の鐘が鳴り響く圧倒的な演奏

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」より キエフの大門



キエフの大門 ムソルグスキー「展覧会の絵」ナニコレ珍百景


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