杉田水脈議員の断固たる決意と新党結成の困難さ、安倍元総理の遺言に涙が止まらない(注・この安倍元総理の遺言に涙が・・・というのは皮肉)カッパえんちょーのyoutube
「次世代の党」の頃の杉田水脈議員
杉田議員はずっと攻撃されているが(特に特定の活動家により広められた。杉田氏は表現が上手とはいえず、誤解もされるが彼女の本当の想いを正しいかたちでもう一度伝える必要があると思う。)しかし悪意を込め強調して被害者面でわざと叩きにくる集団がいる。そしてわざとひどい顔の写真を使う。
彼女の写真はその点、面白い。表情が多彩なのだ。「わざとひどい写真を使われるのだけど、どの写真も私の顔写真なのですよ」と本人も笑いと困惑で私もつい笑ってしまう。
私でも大笑いの写真
私の知っている美しい杉田さんの写真
杉田議員が自民党に行くずっと前に「次世代の党」で三宅博・中山恭子氏らと共に頑張ってきた時に何度もお会いしている。(ブログ主)
カッパえんちょー氏の話
しかし今、自民党は彼女を護る気はない。「かかわると面倒だなあ」という雰囲気だ。
・・・私は彼女のことをずっと昔から知っているので、何度か東京に行って彼女の身の安全を確保したいと願っていた。
杉田氏は「自民党にいること」について「安倍元首相のお言葉ですが自民党を割って出てみんな潰されているんだ」ということを述べている。(この動画のカッパえんちょーも言っている)
潰されるから自民党を出るわけにはいかない、というのは正当な意見とは思えないのだ。
この動画では仏壇・壺自民党といわれて自民党に居続けるとして、議員で残るにしても自民党で何を思っているのか、「それ利権ですよね、裏金ですよね」と指摘して良くなることがあったか?
このまま「仏壇・壺政権」で反日売国政権・反日売国社会で何ができるのか?
自分たちで何とかしたいと願って選挙で一票でつなぐ、しかし実際はプラスになったことがあるのか。
どれほどいいことを言っても「言っているだけ」だったら現状維持にもならない後退するだけ・・・いつか達成されることがあるのか?けしからんことをする議員を止めることもできない。
これではバッジつけた国会議員を続けることになる。
そんなことが現実にあるのか?
「守る会」ってどうなんですか?実際に機能しているんですか?
党として自民党が日本国民に背を向けていることにすぎない、誰も味方がいない中でどうするのか・・・
(以上がカッパえんちょーの意見)
私は彼女がカッパえんちょー氏の言うように「安倍氏」の力に寄りかかっても、議員を続けたいという気持ちを責めることができない。しかしそれで自民党で何ができるのか・・・ここまで言うのは酷いと思い、また彼女が自民党に入るずっと前、ジュネーブに行き、「国連」で英語とフランス語で日本の名誉を護るために演説、「次世代の党」の時もその後の落選中も一貫して頑張ったのを知っているから護りたいと思った。
その後、三宅先生は常に仰っていた。「〇〇省が悪い、安倍さんは被害者だ、というのはおかしい。どこの会社に部長が悪いから会社がうまくいかない、という社長がいるか?」と仰っていたのを思い出す。
三宅先生は一本気なお方だった。
それから自民党議員になった杉田さんが、多数のデモに囲まれてたったひとりで耐え、銃口を向けられるポスターで責められ、娘さんや家族を脅す悪質な連中や杉田氏自身の殺害予告にどれほど恐ろしい思いをしただろうか。(そのころは三宅先生は亡くなっていた)
寄ってたかってひとりを家族も含めて殺人予告まで正当化して脅すなど私は黙っていられない。異なった意見を述べた人に対してこのような暴力をも辞さないやり方は何をもって許されるとでも?
そんな時も自民党の誰がみんなの前でかばったのか?
これを語る私は心の痛みを強く感じる。
「右や左より何が正しいか、それが大切だ」と言った三宅先生の話を先日東京でお伝えすると「その通りですね」と仰り、また私が心配していることも伝えた。
東京での杉田議員の講演会に出席した人の中には私にはどうかと思える「頑迷なホシュ」がいて、「はやく徴兵制度になればいい」と豪語?する年配の男性もいて、私はこうした人たちが「保守」というのは危険だと思った。杉田議員が迷惑する。
徴兵制度になればいいという出席者について私は烈火のごとく怒った。仮にそうなったとしても、戦争の形は無人機やミサイル、あげくのはてには核など、人類滅亡にしか行かない。日本に核が10あっても何千という核保有国にはかなわず日本列島は消えるのだ。またイスラエルが誇る「鉄壁の防御」アイアンドームも鉄壁どころか崩れ、防御に鉄壁などないことを明らかにした。戦争も昔とは大きく変わりより残酷になっている。何が「徴兵制」だ!!
「徴兵制度」などと軽々しくいう人たちに私は怒鳴りつけたくなった。しかしやっとのことで我慢した。
ここで杉田氏にご迷惑をかけることはできない・・・と。
私は後で「頑迷なホシュ」についてどれほど軽率かお話した。
私が大嫌いな政治家にN村という政治家(今は引退?)がいる。
「戦死者は全員、天皇陛下万歳と言って死んだ」「皇室に側室制度を」とFBや時事通信に書いているので私はSNSで激しく抗議をしたら「お母さん、と言って死んだのは病院で亡くなった者だ」と平気で書くのだ。
あの大戦で外地に「病院」なんてあったのか?わが父もレイテでジャングルで戦傷を癒した。
薬もなく、汚れた小川の水で洗ったら負傷した手がボールのように膨らみ、たくさん害虫が傷に吸い付いたという。
指を敵の銃撃で落としていた。
実際に読んだ軍医の悲しみ・・・
私のブログによくいらっしゃっていたイタリアで活躍している声楽家のご祖父で軍医だった方の書かれた本を読んだ。
「海軍陸戦隊、ジャングルに消ゆ」(今は絶版)
この本を読んだ私の感想をブログに書いていた。
>1917年生まれ 昭和17年1月、海軍軍医中尉任官、
水雷艇「鵯(ひよどり)」乗組その他経歴があった。
そしてふと目についたのが、15ページ「17年の暮、ラバウル出航。帰りの船団を護衛してフィリピン東方のパラオに向かう。大晦日の夜、コロール島上陸。
雨がパラパラ降ってきた。
突如、兵隊の列から歌声があがった。
当時は軟弱な歌として禁止されていた淡谷のり子の『雨のブルース』であった。
一緒に上陸した兵科、機関科の士官も、そのうち合唱に加わった。
今にしてこの歌を歌う、これこそが小さな「鵯(ひよどり)」の強さではないかと、私はしみじみ感じたものである。
帝国海軍にはあるまじき堕落であると海軍のお偉方はにがい顔をするかもしれない。
また、軍医として日本軍兵士に薬もなく、脈をみるだけでなすすべもない苦しさもお書きになっている。
まだ若い兵士が「家族に会いたい」と瀕死の状態で涙を流すところなど・・・。
>昭和十九年の年明け早々に連合軍がグンビ岬へ上陸する。潜水艦補給基地の整備どころかガリに留(とど)まることすらかなわず、第八十二警備隊を含む海軍部隊は陸軍部隊と同様フィニステル山系縦走へと追い込まれる。
その開始に先だって渡辺氏は重患の枕元に手榴(りゅう)弾を置かねばならなかった。覚えた心痛が次のように表現されている。
――これが軍医のすることか。(著作より)重患の枕元に手榴弾 軍医が記す「海軍陸戦隊ジャングルに消ゆ」|【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp)
杉田議員はいろいろ気をつかうお方だ。これ以上彼女に何か言って負担になってはいけないので、昔のよしみで少しばかり「以心伝心」が私との間で伝わればいいと思っている。
一番情けないのは「御用呼び掛け隊」のyoutube, 提灯政治評論家の金もうけ用の記事、おかしな月刊誌、などだ。
それに呼応する「口だけ勇ましい」ネトウヨ、
今、ウクライナやゴザの実態など推し量れば言えないことばかりだ。
私が尊敬してやまない政治家である三宅先生は「安倍さんは10年後には評価が変わる」と述べていた。
中山恭子先生も国会で安倍氏に厳しい質疑をなさっていた。
・・・杉田水脈氏と中山恭子氏
「安倍ちゃんのいうことだから、何か理由があるのだろう」という一神教信者的構想の人たちは、今も岸田氏を叩くのに必死でコクソ―のお方を擁護し続ける。岸田氏を批判することが悪いと言っているのではない。
もっと本来批判する人物がいるはずだ。何を避けている!!
(特に安倍絶賛記事を書いてきた文筆家は商売だからね。)
ニュースを見ていたら涙を浮かべながら宮澤防衛副大臣が副大臣となるまでの苦労と、上から「記載するな」といわれた、と言っていた。・・・気持ちはわからないでもないが、こんな涙を見せるはめになるならなぜキチッとしなかった?
「しゃべるな しゃべるな」揺れる安倍派 議員暴露に幹部は? 本格捜査へ【スーパーJチャンネル】(2023年12月14日)
ブログのティールーム
雨のブルース 歌は淡谷のり子(若いころの録音)