夏目漱石 - 私の個人主義 2/6 [16:52]
夏目漱石 - 私の個人主義 3/6 [12:04]
夏目漱石 - 私の個人主義 6/6 [17:04]
・・・5分過ぎから「国家」について
高校時代に愛読していたのは漱石のエッセイだった。
その中でも『私の個人主義』は何度も読んでいた。
これは学習院で漱石が講演した内容である。
今日は動画を探した。
その中でも最も印象的な場面を選んでUPした。
漱石先生って私のように不勉強な者でも、優しく教えてくださる。
謙虚であり、内容は深くわかりやすく心に染み入る。
明治時代の漱石のお話が今も新しい。そして「賢人」だ。
こんなにわかりやすく、あけっぴろげに話される。
「個人主義」というのは、今よくいわれるものではなく、自己確立であり、
西欧文化に対して「西欧のではない」と、日本人の立ち位置を誇り高く気づく漱石、
私はこのところが一番好きだった。
もちろん今もそうである。
漱石のライヴァルとされた森鴎外は裕福な家庭に育ち、軍医としてドイツ留学、
そして貧しい漱石とは比較にならない留学生活をし、ワーグナーの長大な楽劇を
歌えるほど慣れ親しむ。
しかし、帰国への途中で、白人がインド人ら有色人種にする仕打ちなど、憤慨し、
祖国日本への思いを深めるところなど、漱石と同じような境地でもあると思う。
鴎外の翻訳でアンデルセンの『即興詩人』、これなど翻訳ということをはるかに超えて
美しい言葉でつづられている。
オペラを愛した鴎外ならではの「翻訳」であろう。
ソプラノ歌手、アヌンチャータはその美声で一世を風靡する。
しかし、年月を経て再びアヌンチャータの歌を聴き、その美声の凋落に、
何よりもあれほど素晴らしかった名歌手の落ちぶれた姿に唖然とする・・・
ソプラノ歌手、アヌンチャータの全盛のころを鴎外は、このように訳した。
鴎外の訳は「幕は下りぬ。喝采の声は暴風の如くなりき。歌女(うため)はその色と声とを以て満場の客を狂せしめたるなり。
観棚(さじき)よりも土間よりも、アヌンチャタ、アヌンチャタと呼ぶ声頻なり」
大畑末吉の訳は「あらしのような拍手のうちに幕がおりました。わたくしたちはみな、このすぐれた女優の美しさに、その名状しがたい美しい声に、われをわすれて感激しました。『アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!』とよぶ声が、平土間からもさじきからもわきおこりました」
当時小学生だった私は、まるで名ソプラノの美声を聴くような感動を得た、しかしその凋落のみじめさもその全盛期が華やかなだけに
その落差は子どもながら涙して読んだことを覚えている。
軍医を目指す勉強の合間にオペラを堪能した鴎外は、じかに音楽に接していたからこそ、書けたのでしょう。
もし、漱石が裕福でよくオペラを聴きに行くことができていたら・・・いいえ、漱石は神がそのようなことはしなくていい、別の見地から
書き給えといったのであろうか。
なぜ、今、漱石を書いているのに鴎外を書くのか・・・それはまた・・・別の日に。
夏目漱石 - 私の個人主義 3/6 [12:04]
夏目漱石 - 私の個人主義 6/6 [17:04]
・・・5分過ぎから「国家」について
高校時代に愛読していたのは漱石のエッセイだった。
その中でも『私の個人主義』は何度も読んでいた。
これは学習院で漱石が講演した内容である。
今日は動画を探した。
その中でも最も印象的な場面を選んでUPした。
漱石先生って私のように不勉強な者でも、優しく教えてくださる。
謙虚であり、内容は深くわかりやすく心に染み入る。
明治時代の漱石のお話が今も新しい。そして「賢人」だ。
こんなにわかりやすく、あけっぴろげに話される。
「個人主義」というのは、今よくいわれるものではなく、自己確立であり、
西欧文化に対して「西欧のではない」と、日本人の立ち位置を誇り高く気づく漱石、
私はこのところが一番好きだった。
もちろん今もそうである。
漱石のライヴァルとされた森鴎外は裕福な家庭に育ち、軍医としてドイツ留学、
そして貧しい漱石とは比較にならない留学生活をし、ワーグナーの長大な楽劇を
歌えるほど慣れ親しむ。
しかし、帰国への途中で、白人がインド人ら有色人種にする仕打ちなど、憤慨し、
祖国日本への思いを深めるところなど、漱石と同じような境地でもあると思う。
鴎外の翻訳でアンデルセンの『即興詩人』、これなど翻訳ということをはるかに超えて
美しい言葉でつづられている。
オペラを愛した鴎外ならではの「翻訳」であろう。
ソプラノ歌手、アヌンチャータはその美声で一世を風靡する。
しかし、年月を経て再びアヌンチャータの歌を聴き、その美声の凋落に、
何よりもあれほど素晴らしかった名歌手の落ちぶれた姿に唖然とする・・・
ソプラノ歌手、アヌンチャータの全盛のころを鴎外は、このように訳した。
鴎外の訳は「幕は下りぬ。喝采の声は暴風の如くなりき。歌女(うため)はその色と声とを以て満場の客を狂せしめたるなり。
観棚(さじき)よりも土間よりも、アヌンチャタ、アヌンチャタと呼ぶ声頻なり」
大畑末吉の訳は「あらしのような拍手のうちに幕がおりました。わたくしたちはみな、このすぐれた女優の美しさに、その名状しがたい美しい声に、われをわすれて感激しました。『アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!』とよぶ声が、平土間からもさじきからもわきおこりました」
当時小学生だった私は、まるで名ソプラノの美声を聴くような感動を得た、しかしその凋落のみじめさもその全盛期が華やかなだけに
その落差は子どもながら涙して読んだことを覚えている。
軍医を目指す勉強の合間にオペラを堪能した鴎外は、じかに音楽に接していたからこそ、書けたのでしょう。
もし、漱石が裕福でよくオペラを聴きに行くことができていたら・・・いいえ、漱石は神がそのようなことはしなくていい、別の見地から
書き給えといったのであろうか。
なぜ、今、漱石を書いているのに鴎外を書くのか・・・それはまた・・・別の日に。