Karita Mattila sings "Der Nu�・baum" by Robert Schumann
シューマンの歌曲「くるみの木」・・・大好きな歌だ。
ソプラノはカリタ・マッティラ、北欧の歌手でワーグナーからヴェルディまで歌う。
ドイツリート(ドイツ芸術歌曲)を歌うとあっさりしすぎていて、拍子抜けかも知れないが
曲の美しさはあますところなく伝えている。
このところ、ずっと病院通いしている。検査のため・・・。
ブログにも書いたがうまく書けなくて削除してしまった。
母の世話、そして父の介護などで長年演奏活動ができなかったが、親のほうが大切だった。
介護の時はそれで充実もしていたし、老親を世話することで私も生き生きしていた。
それは「私はいつでも歌える」という気持ちの余裕もあったから。
でも、首のところがはれていたのがわかったのが数年前、もしかしたら甲状腺かも知れない、と
親友のパンダ夫人に相談し、病院に行ったら「甲状腺ではなく、良性の腫瘍」といわれた。
ところが先日、定期検査に行ったら「内側に1㎝大きくなっているので手術したほうがよい」と言われた。
「私は声楽家でソプラノなんです。声帯には影響ないでしょうか」と伺うと
「リスクはありますね。手術では神経を触るので高い声が出なくなります。」
それからショックだった。
私は15歳からイタリア歌曲を歌い、そのころも3オクターブの声域があったし、声量もオーケストラ
をバックにしてもそれを超えるだけの響きがあった。
だから介護の時も「いつでも歌える」と余裕の気持ちがあった。
器楽奏者と違って声楽家は自分の喉が楽器である。
手術は急がないでいいと言われているが、腫瘍が大きくなると喉にはいいはずがない。
だから手術しなくてもやがて声に影響は出るだろう・・・。
母が亡くなった時、悲しくて私のライヴ録音したものは捨てた。
もっと歌えるから、この程度のものは捨ててもいいと、悲しみのどさくさに紛れて捨てた。
CDは日本のクラシック界では9割以上は「自己出版」である。
費用は驚くほど高いので私は作っていない。
自己出版の必要のない世界的な指揮の小澤征爾やピアノの内田光子・中村紘子氏ら日本では10人もいないと思うし、
それでもポピュラーなどのCD売上などに比べるととんでもないほど低い。
器楽奏者だって、弾けなくなるときがある。
指を怪我したとか、病気になったなど。
でも、気持ちの切り替えが必要だ。
いづれかは誰にも歌えなくなる日がくる。
自分にとって大切な歌が歌えなくなっても人間をやめるわけにいかない。
その時はピアノも弾けるし(もちろんピアニストではないので適当だが)読書もある。
ブログもある。
両親の世話が終わったので「声楽」に戻ろうとすることが、こんなことで許されないなんて、
確かに悲しいが、命を長らえることも必要だ。
シューマンの歌曲『くるみの木』・・・今のうちに歌っておこう。
そうそう、大切なヴェルディも。
かつて東京でヴェルディ『トロヴァトーレ』『ドン・カルロ』などのアリアや、ヴェルディ、ベッリーニ、ドニゼッティの歌曲、他にボイートやチレーア、プッチーニなどのアリアも歌った。
あの時は見知らぬファンが楽屋を訪れ、「あなたの歌をもっと聴きたい、次はどこで演奏会をするのか」と問われた・・・でもその時、私は夜行列車で帰るためいそいでいた。あまり話をする時間がなかった。
親の世話があったから。(その時は父は認知症ではなかったが老齢だったので)
私の演奏活動は両親に喜んでもらう時期はなかった・・・。
でもイタリアのB先生は「あなたの声は神様からの贈り物」とおっしゃり、
イタリアで教えを受けたフェッラーロ先生にはご自身が主任教授をされていたミラノのヴェルディ音楽院に来ることを勧められたが、それも「親の世話があります」と断った。
何ということを断念したのか、と思ったが・・・。
私にとって何よりも大切だったのは老いた両親だった。
N女史は「それを捨てることのできる人とできない人がいるのよ」と。
N女史は歌をとったことで、ご自身をマグダラのマリアだと仰った。
「十字架を背負って歌ってきたの」・・・これも辛いな・・・
「でも、あなたとは前世で姉妹だったかも知れないわ」
・・・あのう、年齢が孫以上に離れていたのですが・・・なんて思うと笑いがこみあげてきた。
「あなたはイタリアでいつもひとりで楽譜やレコードを探したり、他の人とバカ騒ぎの付き合いは一切しなかった。
音楽のことばかり考えていたのね。
だからずっとあなたと話をしたいと思っていた。」
そして私はN女史に「私淑」したのだった・・・もう昔の話で、N女史はとっくに亡くなられている。
今、私はN先生と面影の似た娘さんである作家のお書きになった日本の王朝文学を時々読んでいる。
シューマン『くるみの木』
Karita Mattila, soprano
Ilmo Ranta, piano
家の前には、青々と葉をつけたくるみの木がある。
良い香りを漂わせ、
たおやかに、
大きな枝を伸ばしている。
木には愛らしい花がたくさん咲いている。
おだやかな
そよ風が、
その花を優しく包み込む。
花は二つづつ対になって、ささやきあったり、
傾けたり、
曲げたりする
その小さな頭をキスをするために
花は、ささやきあっているのだ
昼も夜も夢見ている
乙女のことを。何を考えているのか、
乙女自身もわからない。
花はささやく、
こんなかすかな調べを
一体、誰が聞き取れるのだろう
花はささやく、花婿や来るべき年のことを
乙女は耳を澄ませ、木はさやさやと音を立てる。
憧れたり、
あれこれ想像して、
乙女は、微笑みながら、眠りと夢の中に落ちる。
Es grünet ein Nußbaum vor dem Haus,
Duftig,
Luftig
Breitet er blättrig die Blätter aus.
Viel liebliche Blüten stehen dran;
Linde
Winde
Kommen,sie herzlich zu umfahn.
Es flüstern je zwei zu zwei gepaart,
Neigend,
Beugend
Zierlich zum Kusse die Häuptchen zart.
Sie flüstern von einem Mägdlein,
Das dächte
die Nächte,
und Tagelang,wusste,ach! selber nicht was.
Sie flüstern - wer mag verstehn so gar
Leise
Weis? -
Flüstern von Bräut'gam und nächstem Jahr.
Das Mägdlein horchet,es rauscht im Baum;
Sehnend,
Wähnend
Sinkt es lächelnd in Schlaf und Traum.
・・・お友達だワン・・・
シューマンの歌曲「くるみの木」・・・大好きな歌だ。
ソプラノはカリタ・マッティラ、北欧の歌手でワーグナーからヴェルディまで歌う。
ドイツリート(ドイツ芸術歌曲)を歌うとあっさりしすぎていて、拍子抜けかも知れないが
曲の美しさはあますところなく伝えている。
このところ、ずっと病院通いしている。検査のため・・・。
ブログにも書いたがうまく書けなくて削除してしまった。
母の世話、そして父の介護などで長年演奏活動ができなかったが、親のほうが大切だった。
介護の時はそれで充実もしていたし、老親を世話することで私も生き生きしていた。
それは「私はいつでも歌える」という気持ちの余裕もあったから。
でも、首のところがはれていたのがわかったのが数年前、もしかしたら甲状腺かも知れない、と
親友のパンダ夫人に相談し、病院に行ったら「甲状腺ではなく、良性の腫瘍」といわれた。
ところが先日、定期検査に行ったら「内側に1㎝大きくなっているので手術したほうがよい」と言われた。
「私は声楽家でソプラノなんです。声帯には影響ないでしょうか」と伺うと
「リスクはありますね。手術では神経を触るので高い声が出なくなります。」
それからショックだった。
私は15歳からイタリア歌曲を歌い、そのころも3オクターブの声域があったし、声量もオーケストラ
をバックにしてもそれを超えるだけの響きがあった。
だから介護の時も「いつでも歌える」と余裕の気持ちがあった。
器楽奏者と違って声楽家は自分の喉が楽器である。
手術は急がないでいいと言われているが、腫瘍が大きくなると喉にはいいはずがない。
だから手術しなくてもやがて声に影響は出るだろう・・・。
母が亡くなった時、悲しくて私のライヴ録音したものは捨てた。
もっと歌えるから、この程度のものは捨ててもいいと、悲しみのどさくさに紛れて捨てた。
CDは日本のクラシック界では9割以上は「自己出版」である。
費用は驚くほど高いので私は作っていない。
自己出版の必要のない世界的な指揮の小澤征爾やピアノの内田光子・中村紘子氏ら日本では10人もいないと思うし、
それでもポピュラーなどのCD売上などに比べるととんでもないほど低い。
器楽奏者だって、弾けなくなるときがある。
指を怪我したとか、病気になったなど。
でも、気持ちの切り替えが必要だ。
いづれかは誰にも歌えなくなる日がくる。
自分にとって大切な歌が歌えなくなっても人間をやめるわけにいかない。
その時はピアノも弾けるし(もちろんピアニストではないので適当だが)読書もある。
ブログもある。
両親の世話が終わったので「声楽」に戻ろうとすることが、こんなことで許されないなんて、
確かに悲しいが、命を長らえることも必要だ。
シューマンの歌曲『くるみの木』・・・今のうちに歌っておこう。
そうそう、大切なヴェルディも。
かつて東京でヴェルディ『トロヴァトーレ』『ドン・カルロ』などのアリアや、ヴェルディ、ベッリーニ、ドニゼッティの歌曲、他にボイートやチレーア、プッチーニなどのアリアも歌った。
あの時は見知らぬファンが楽屋を訪れ、「あなたの歌をもっと聴きたい、次はどこで演奏会をするのか」と問われた・・・でもその時、私は夜行列車で帰るためいそいでいた。あまり話をする時間がなかった。
親の世話があったから。(その時は父は認知症ではなかったが老齢だったので)
私の演奏活動は両親に喜んでもらう時期はなかった・・・。
でもイタリアのB先生は「あなたの声は神様からの贈り物」とおっしゃり、
イタリアで教えを受けたフェッラーロ先生にはご自身が主任教授をされていたミラノのヴェルディ音楽院に来ることを勧められたが、それも「親の世話があります」と断った。
何ということを断念したのか、と思ったが・・・。
私にとって何よりも大切だったのは老いた両親だった。
N女史は「それを捨てることのできる人とできない人がいるのよ」と。
N女史は歌をとったことで、ご自身をマグダラのマリアだと仰った。
「十字架を背負って歌ってきたの」・・・これも辛いな・・・
「でも、あなたとは前世で姉妹だったかも知れないわ」
・・・あのう、年齢が孫以上に離れていたのですが・・・なんて思うと笑いがこみあげてきた。
「あなたはイタリアでいつもひとりで楽譜やレコードを探したり、他の人とバカ騒ぎの付き合いは一切しなかった。
音楽のことばかり考えていたのね。
だからずっとあなたと話をしたいと思っていた。」
そして私はN女史に「私淑」したのだった・・・もう昔の話で、N女史はとっくに亡くなられている。
今、私はN先生と面影の似た娘さんである作家のお書きになった日本の王朝文学を時々読んでいる。
シューマン『くるみの木』
Karita Mattila, soprano
Ilmo Ranta, piano
家の前には、青々と葉をつけたくるみの木がある。
良い香りを漂わせ、
たおやかに、
大きな枝を伸ばしている。
木には愛らしい花がたくさん咲いている。
おだやかな
そよ風が、
その花を優しく包み込む。
花は二つづつ対になって、ささやきあったり、
傾けたり、
曲げたりする
その小さな頭をキスをするために
花は、ささやきあっているのだ
昼も夜も夢見ている
乙女のことを。何を考えているのか、
乙女自身もわからない。
花はささやく、
こんなかすかな調べを
一体、誰が聞き取れるのだろう
花はささやく、花婿や来るべき年のことを
乙女は耳を澄ませ、木はさやさやと音を立てる。
憧れたり、
あれこれ想像して、
乙女は、微笑みながら、眠りと夢の中に落ちる。
Es grünet ein Nußbaum vor dem Haus,
Duftig,
Luftig
Breitet er blättrig die Blätter aus.
Viel liebliche Blüten stehen dran;
Linde
Winde
Kommen,sie herzlich zu umfahn.
Es flüstern je zwei zu zwei gepaart,
Neigend,
Beugend
Zierlich zum Kusse die Häuptchen zart.
Sie flüstern von einem Mägdlein,
Das dächte
die Nächte,
und Tagelang,wusste,ach! selber nicht was.
Sie flüstern - wer mag verstehn so gar
Leise
Weis? -
Flüstern von Bräut'gam und nächstem Jahr.
Das Mägdlein horchet,es rauscht im Baum;
Sehnend,
Wähnend
Sinkt es lächelnd in Schlaf und Traum.
・・・お友達だワン・・・
直感なんですが、この曲、どちらかというと、酸いも甘いもかみ分けた、ベテランの方が歌うと、いい味が出るような気がする。ベッラさんが歌うのをぜひ聴いてみたいと思ったりするが…難しいでしょうね。
すごい直感です!
マッティラはこの時40代の後半ですが、声が若い。
オペラではいいことなのですが、ドイツリートでは
物足りないものもあります。
北欧の歌手なのでドイツリートはあっさりしているところも感じられます。
私がはじめてこの曲を聴いたのはエリーザベト・シュワルツコップの60代の独唱会でした。
でも、もう声が・・・。さすが歌いまわしは素晴らしかったですが。
私もこの曲をよく歌いました。
ドイツリートの中で最も好きな曲でした。