ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

元衆議院議員、渡部篤氏のサイトにKenさまのエッセイを発見!!

2015年10月01日 | 歌曲

★ これはわがブログにも時々コメントでいらっしゃる若きバリトン歌手、Kenさまの20代後半の時のエッセイである。
政治家渡部篤氏がブログにKenさまのエッセイを全文そのまま貼り付けている、というのはよくわからないが、
なつかしいエッセイなので「共有」ボタンを押してここに転載した。

私は、このKenさまのエッセイを以前何度も拝読していたので間違いない。
なお、世界で活躍中のKenさまの実演を横浜日帰りで直接聴いたことがあるが、その歌の気品・音楽性と声において、きわめてすぐれた歌い手と直感した。特にチャイコフスキーの「あこがれを知る人だけが」はロシア語で歌われ、ホロストフスキーすら側にも寄れない名唱だった。

私のブログへのコメントにはダヌンツィオやバイロンなど熱く語られたのが印象深く、文学・歴史と音楽を常に結びつけ、その解釈には常に一流の芸術家の魂を感じさせるものであった。


http://blogs.yahoo.co.jp/atunao2002/65372330.html



「三島由紀夫はダヌンツィオを生涯にわたって愛したが。」 

トスティのダヌンツィオの詩による「4つのアマランタの歌曲」から第二曲目、「暁は光から」。歌うのはテノールのダニエーレ・バリオーニ。わたし自身もコンセルヴァトワールの記念演奏会で歌った歌曲集である。3曲目の「虚しき祈りInvan oreghi」などはイタリア歌曲の名歌ではあるまいか。
また彼女のもうひとりのマエストラ、Gabriera Besanzoniはダヌンツィオからその歌声を愛され、「ガブリエーレからガブリエーラ」へ、という指輪を贈られたという。
ダヌンツィオの歌曲で終えることができたことは感無量である。そしてその後もわたしはこの歌曲集を歌い継ぎ続けるであろう。
この第二曲目はもっとも有名であるとともにトスティのエッセンスであり、同時にダヌンツィオのエッセンスでもある。
この曲はイタリアが誇れる作曲家と詩人との偉大なる交差点であり、いわば二人の最高の愛児であり、また二人の魂の眠る十字架である。

この詩はいっけん情熱的だがなかなか内容は深くまた多様な解釈を含んだ魅力的な詩だ。
詩人ダヌンツィオの血潮から夜をも照らす芸術の太陽が生まれてほしいという理想的な願い。
これは音楽なき世は錯誤であるという、ダヌンツィオの尊敬するニーチェのことばを思わせるではないか。(わたしがこれを訳すとき、最後にニーチェ的に、倒置法で訳してみた。)
だがそれだけの詩ではない。
これは同時にダヌンツィオによるヴァーグナーへのオマージュでもある。
ダヌンツィオが愛した「トリスタン」がところどころにちりばめられる。

O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.

このくだりは即座に、トリスタンを彷彿とさせるだろう。
「おお、降り来よ、愛の夜を、
我が生きることを忘れさせよ。
汝のふところに我を抱き上げ、
現世から解放せしめよ」
(トリスタンとイゾルデ 第二幕)
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
Per amor del mio sogno e della notte.
わたしも死ねばよい、昼など見たくはないのだから
わが愛の夢、愛の夜がために。
このくだりはやはり有名なトリスタンのこの歌へと直結していく。
「こうして私たちは死ねばよい、
離れずに、永遠にひとつとなり、
果てなく、目覚めず、不安なく、名もなく、
愛に包まれ、我らかたみに与えつつ、
愛にのみ生きるために!」
(トリスタンとイゾルデ 第ニ幕)
が、この詩とトリスタンの違いは、この詩には恋人は出てこないということだ。
この詩は、詩人の一方的な愛であり、一方的な願いなのだ。
詩人はトリスタンの語り口は借りたが、かれが語りたいのは耽美的で閉鎖的な恋人たちの共同体のことではないのだ。
とりあえずここではそうではない、、、。


三島由紀夫はダヌンツィオを生涯にわたって愛したが、かれの存在は同時にダヌンツィオという詩人を解き明かす鍵でもあるとわたしは思ってきた。
この詩における太陽、それは「豊穣の海」の勲が最期にみた太陽と重なるのはわたしだけであろうか。
「正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」(豊穣の海 第二巻 奔馬より)
憂国の士である勲のまぶたに昇った太陽は天皇陛下の象徴であり、日本そのものの姿であった。それは崇高な太陽だった。
ダヌンツィオもまた憂国の士であった。
だから、
O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.
このくだりの神聖なる愛とは、ただのことば遊びではないはずだ。
この太陽はダヌンツィオにとってはイタリアそのものであり祖国であった、と考えることもじゅうぶんに出来るのだ。
そうすると、母なる胸、青ざめた(荒廃した祖国の)大地、ということばが急に、憂国的なものに思えてくる。
この詩における夜が、ある時代を覆う''夜''であると思えてくる。


まあ、もっとも詩を解釈しようなどという愚かなことはこの辺でやめよう。
一週間後、わたしはイタリアに二週間研修し、さいごは完全な休暇として、ふたたびガルダ湖で過ごそうと思う。
湖のほとり、朝まだき、わたしはこの詩をつぶやき歌うだろう。

この歌曲ほど名演に恵まれたイタリア歌曲もない。
とくにテノールが覇を争い、さいごのアクートは、ほとんどプッチーニの最高音を聴くかのようだ。
ティート・スキーパのまさにローマのダヌンツィオの時代を感じる演奏、
このバリオーニによるドラマティックな演奏(いちばんわたしのダヌンツィオのイメージに近い)、
クラウスによる詩人のデリケートさが出た演奏、
さいきんではファン・ディエゴ・フローレスのパリでの演奏が素晴らしく感じた。
リクエストしてみたいひとはヨナス・カウフマン。
バリトンは、、、バリトンが歌うときは最後のアクートはソ、音域も広く、難しい。
でも、やっぱりわたしは歌いたい。
バスティアニーニが歌ったものがあったらよかったけど。。。
''L'alba separa dalla luce l'ombra'' Gabriere D'Annunzio
L'alba sepàra dalla luce l'ombra,
E la mia voluttà dal mio desire.
O dolce stelle,è l'ora di morire.
Un più divino amor dal ciel vi sgombra.

Pupille ardenti,O voi senza ritorno
Stelle tristi,spegnetevi incorrotte!
Morir debbo. Veder non voglio il giorno,
Per amor del mio sogno e della notte.

Chiudimi,O Notte,nel tuo sen materno,
Mentre la terra pallida s'irrora.
Ma che dal sangue mio nasca l'aurora
E dal sogno mio breve il sole eterno!
''暁は光から'' ガブリエーレ・ダヌンツィオ
暁は光から闇を分かち、
わが欲求から快楽を分かつ。
おお、愛しき星たちよ、滅び行く時は来た。
さらに崇高な愛が 夜空からお前たちを退かせるのだ。

燃ゆる瞳よ、おお、もはや戻らぬお前たち、
哀しみの星たちよ、けがれなきまま輝きを消すがいい!
わたしも死ねばよい、昼など見たくはないのだから、
わが愛の夢、愛の夜がために。

わたしを包んでほしい、おお夜よ、お前の母なる胸に、
青白い大地が露に濡れるあいだに。
ねがわくば、わが血からは暁が、
わが儚き夢からは生まれてほしい。
永遠の太陽が!
訳 Ken WATANABE  (以上・・・文中、太字にしたのはベッラです。






★ ではベッラが選んだのはこの演奏、まだ電気録音ではありませんが、1917年録音のエンリーコ・カルーソの歴史的録音を。
後世のすべての名歌手がカルーソの歌にあこがれ、勉強しました。
トスティは偉大な歌手カルーソの声を頭に置いてこの曲を捧げたのでした。それがこうして実現したわけです。
バリトンのバスティアニー二やカップッチッリが歌うと「憂国」の思いとゆるぎない自分の信念が確かなものになったと思うのです。
ヴェルディのオペラのように・・・。

Enrico Caruso, Tosti: L'alba separa dalla luce l'ombra (Victor, 1917)



★ それでは往年の名テノーレ、バリオーニの歌唱をお聴きください。

曲は違いますが「マリウ、愛の言葉を」をどうぞ。

かってマリオ・デル・モナコがこのバリオーニのドラマティックな声に驚愕したと言っていましたが、
この曲は録音が良好なので往時の偉大な声を再現しています。

Daniele Barioni - Parlami d'amore Mari�・ - RAI 1966




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4 コメント

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Unknown (Ichigo)
2015-10-01 18:42:34
三島由紀夫の豊穣の海の中の「日輪は瞼の裏に赫奕と昇った」の日輪とイタリアの詩人の書かれた太陽との共通点についての、渡辺さんの解釈を興味深く読ませていただきました。
返信する
理由があってリンクをUPできませんでした。 (Ichigoさまへ)
2015-10-01 18:49:48
私のサイトに変なのが来たりして、Kenさまにご迷惑になってはいけないので、リンクのお写真とお名前をUP
できずに申し訳ありません。
Kenさまは東郷平八郎元帥の子孫でもあります。
今頃はリトアニアにて演奏旅行をされていると思います。

「ホロストフスキー」よりチャイコフスキーの歌曲が素晴らしかったと書いたのは「必ずしも有名な歌い手が常にトップではない」ということです。
音楽的な解釈、間の取り方など、稽古だけではできない本能的なものがあり、それが発揮された時でした。

今年の冬も横浜に聴きにいきたかったのですが、
私の入院などがあって(今は元気凛凛)実現できず
残念です。
返信する
Unknown (ichigo)
2015-10-01 19:13:35
公人ではない方に対し、大変失礼いたしました。
三島の小説の解釈・・・なるほどお血筋を知るとさらに納得いたしました。
ken様のさらなるご活躍をお祈りいたします。

御無礼しました。

返信する
こちらこそ失礼いたしました。 (Ichigoさまへ)
2015-10-01 21:08:51
Ichigoさま、私こそ失礼をしました。
若きバリトン歌手としてどうぞご期待頂ければと
思います。
「尖閣」事件の時もパリのコンサートにおいて、
「尖閣」への募金をしてくださったり、その為に
美術関係の日本人から文句を言われたりだったそうですが、そのころ、在仏の中国人団体がパリで尖閣の所有に関して大勢でデモ・集会をしていたようです。

私はロシアのホロストフスキーとの音楽的対決と思い
「音楽日露決戦」と大喜びしていました。
Ichigoさま、ご声援をありがとうございます。

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