★ 九州大学准教授の施光恒氏からのメルマガが届きました。アメリカの気になる実態が書かれています。
「分断社会: 米国中間選挙 南部ジョージア州に新市 富裕地区が「独立」「納税と恩恵、釣り合わぬ」」(毎日新聞 2014年09月28日)
http://mainichi.jp/shimen/news/20140928ddm007030059000c.html(★これは有料記事なので読めませんでした)
アメリカでは近頃、富裕層の多く住む地域が、貧しい周辺地域を切り離し、新しい自治体を作る例が増えているそうです。
この記事では、アメリカ南部のジョージア州のフルトン郡ミルトン市の例があげられています。
フルトン郡は、北部は裕福な人々が多く暮らし、南部は貧しい地域です。2005~2006年に、フルトン郡では、ミルトン市を含む三つの市がいわば「分離独立」し、新しく成立したそうです。
北部の豊かな人々は、自分たちの税金が貧しい郡南部の地域に多く使われることが不満でした。また、支払う税金に比べ、自分たちが受けることのできる公共サービスの水準が低いことにも我慢がならなかったようです。
それで富裕層の多い北部は、新しい市を自分たちで作り、貧しい地域を切り離しました。それによって、南部地域の人々と公共サービスを共有するのをやめました。相互扶助の関係を断ち切ったわけです。
豊かな層が新しい市を作り、貧困地域との関係を断ち切っていく「分離独立」の事例については、NHKも4月に番組で特集していました。こちらでは、やはりフルトン郡の三つの市のうちの一つサンディ・スプリング市が取り上げられていました。
「“独立“する富裕層──アメリカ 深まる社会の分断──」(NHK『クローズアップ現代』2014年4月22日放送)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3488_1.html
このような自治体の「分離独立」の事例は、アメリカ人相互の連帯意識(仲間意識)が希薄になり、アメリカ社会の統合力が落ちてきていることの現れでしょう。
ミルトン市やサンディ・スプリング市のような富裕地区が分離した結果、フルトン郡では様々な問題が生じています。残された地域は、富裕地区から得ていた税収が減り、公共サービスのレベルが格段に低下しました。記事にあるように、「公共図書館の開館時間が短くなる」、「公立病院の予算が削減される」、「ゴミ収集の頻度が減る」、「道路などのインフラの維持・整備がおろそかになる」といった弊害が出ています。
格差社会だから連帯意識が薄くなるのか、それとも連帯意識が薄いから格差社会化が進むのか、どちらが先かはよくわかりませんが、格差社会化も国民相互の連帯意識の希薄化も、どちらも深刻化しているのが現在のアメリカです。(以上、メルマガを抜粋)
★ アメリカもグローバル新自由主義の失敗から学んでいるといえば、あまりにも不幸である。
イタリアではオペラ作曲家ヴェルディが高らかに響かせた名作オペラの数々は、「国家統一運動」で、
それまで「都市国家」に分かれていたイタリアは外国から侵略の連続であったことから、当然のごとくわきあがった熱い思いであった。
しかしそのイタリアも、税金の払いがよくない南部を切り離そうと北部は以前の「都市国家」に思いをはせ、独立を叫ぶ「北部同盟」が
脚光をあびているが、防衛となると疑問もある。
先のスコットランドのニュースの記事に添えられて、このような経済的「独立」志向がイタリアでは話題になったと書かれていた。
日本はそのような経済が理由で独立など、今はないと思うが、新自由主義に傾きすぎ、貧富の差が歴然と拡大するにしたがって、
富裕層がこのようなことを言い出すことになるかもしれない。
公共サービスの低下に我慢できない、という考えも、国家が崩れる要素である。
中間層が多い経済、国民が潤う経済をすすめてほしいと願うばかりである。
・・・この子猫ちゃん、かわいらしすぎます。おやつは大丈夫よ、安心して。ところでハロウィーンって私は苦手。
アメリカは、同じ郡の中で分離独立だから更に細分化した地域分けになるんですね。
おそらくそこには、表に出ていないが人種差別的な要素もあるのではと思います。
1960年代から自由民権運動が、盛んになり半世紀になりますが、そうすんなり差別がなくなるとは、思えません。
日本でさえ日本人と在日の問題が顕在化しており、左翼の活動の原動力である。
在日が、おとなしく他の外人のようにしていれば問題は、日本に感化されて犯罪も少ないとは思うが、国民でもないのに又義務も果たしていないのに日本人と同じ権利をほしがるから差別対象にされる。
現に特権を他の外人から見れば享受している。
アメリカと事情は、異なるが、日本では、税金でも逆差別が実際に行われている。
そのような民族を排斥するのは、自然である。
人権の見直しが、必要なくらいだ。
人権を振りかざして強引に権利を勝ち取っても道理を外せば矛盾が噴出するのは、当たり前だ。
朝日が、よい例だ。強引な嘘が、バレテこのざまだ。
憎んでいるのに、日本にいるのか、
居直っていて日本を小ばかにしている。
日本人はいつまでも温厚ではない、
その証拠に書店では嫌中韓の本が山積みされ
売れ行きも良い。
今、国会中継で辻元議員が「河野談話」で言いたい放題、
精神状態かなり悪いです。
「人権」と連呼するのに限って「人権」を認めない。
道州制は危ないと思います。
そして貧富の差を広げるグローバル新自由主義は
アメリカでも最近否定されつつあり、日本が見習う
ことはないし、日本ははっきり言うべきことは
言わなければよけいに誤解されてしまいます。
辻元議員のあの野太い声で、まだ「河野談話」
の話、もう耐えられない。