ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

気になるネットでの攻防

2008年06月13日 | 政治
 橋下大阪府知事が府職員の朝礼で「知事を尊敬できない」などの言葉に激怒し、「私のやりかたが気に入らないなら職を変えてくれ」というやりとりで、私もあるブログに書き込みました。

橋下さんを少しでも批判したらそれこそヒステリックな反撃があるだろう、とは知っていました。
ネットに書き込むのはほとんど「橋下支持」の熱狂的な人達、自由に意見など言えないようですが・・・すぐに反論?がありました。

「知事がキレルのは何度目ですか、見るたびに不快です」と書くと「キレさすこというのどっちや。キレンほうが不快じゃ。どんだけなめられたトップか、とがっかりするわ」というオコトバ。

「まともな言葉遣いできない人は答えないで下さい。もう退場しますのでご安心下さい。
ごきげんよう」と終りました。

最初からキク耳をもたないのです。そしてこの汚い言葉遣い、ヤフーでよく見る「みんなの政治」もそうです。政治家を批判したりするのに、傍若無人の言葉遣い、・・・どうしてこんなことをいうのでしょう。「みんなの政治」もイヤーな感じです。

橋下さんの件ですが、ある人が「こんな(橋下さんのような)発言、民間だったら普通だと援護する人もいるかも知れませんが、それは日本企業が<異常な雇用状態>であり、社員を<家畜同然>と扱っているだけで、正常な雇用関係ではありません。・・・感情が発言をコントロールできない、またはコントロールしてくれる腹心がいない、・・・トップとしての資質が問われる」というようなご意見を述べられました。
理路整然とした言葉に、なるほど!そうですね、といいたいです。

トップの資質とは?
これはまた次回に考えたいと思います。
「のだめ」では指揮者としてスタートした千秋真一が、オーケストラとの関係で多くのことを学んでいます。
また、中国の古典からも、たくさん学べますし・・・それから「知事として尊敬できない」と言った職員は「勇気」ではなく、「良識」を問われることでしょう。

お互いに大勢の中で言う言葉ではなかったのではないでしょうか。
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孟子って・・・

2008年06月11日 | 中国文化・歴史
 よく聞くのが「孟母」、エリート教育の鑑と伝えられているけれど、「母の教え」というのは子供の心にじっくりと育ち、良き芽をはぐくむようです。
「こうしたらトクやで」と言ってしまいたいのを、もっと高い次元で言っていることもあるでしょうけれど、後世の私たちをも導いているのがスゴイことです。

「孟母」に育てられた孟子の言葉に『春秋無義戦』というのがあります。
春秋戦国時代は群雄割拠、やがて最強の秦によって中国は統一するのですが・・・。

『春秋に義戦なし』300年を越える春秋戦国の世に「正しい戦い」はなかった、ということで、あの劇的な管仲・楽毅をはじめ、すべて「正しい戦い」はなかった、孫子も然り、でしょうか。

これを孟子は言っているのです。孟子さま、その通りですね。
イラク戦争の「ジハード」なんていうのも「正義」ではないし、アメリカの主張も「正義」からは程遠い、古くはシーザーだって十字軍だって、そしてナポレオンだってそう。

名チェリスト、パブロ・カサルスの母も、「戦争に行ってはなりません。あなたになんのうらみもない人を殺してはなりません。相手も家族がいます。あなたが殺されてもなりません。殺す相手もあなたになんのうらみもないはず。これが戦争です。お逃げなさい」と言ったこと・・・平和を求め、国連で「鳥の歌」を弾いたカサルスの姿に世界中は感動しました。「鳥はピース、ピースと鳴いています」と。

カサルストリオというと「チェロのカサルス、ヴァイオリンのティボー、そしてピアノのコルトー」という天下無敵の演奏を思います。しかし、コルトーは天使のような美しいピアノを聴かせながら、ナチスに肩入れしたのです。

コルトーの音楽を聴くとあまりにも美しく、純粋です。
音楽を聴いていてコルトーを嫌いになることは難しいです。
ファシズムに走る人々に「孟子」や「カサルスの母」の叡智をきかせていれば、踏みとどまっていたかも知れません。

これからの日本もそんな危うさを感じていた時、「孟子」を味わったり、カサルスの弾く「鳥の歌」でも聴いていたいです。
もうひとつ、ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」名歌手カップッチルリの歌うシモンの<平民よ、貴族よ>も。


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老子って・・・

2008年06月09日 | 中国文化・歴史
 老子って「弱者」の立場から説いているのですって!
 それじゃ読まなきゃ。

『曲則全』・・・曲なれば即ち全し。屈しているから大きく伸びることができる、の意。
『敢えて天下の先たらず』・・・正しくは「一にいわく、慈。二にいわく、倹。
 三にいわく、敢えて天下の先たらず」これも素敵な教えだ、人を慈しんで控えめにし、人の先頭にたったりして目立ったことをしない、無理のない余裕のある生き方。

ニュースでも、社会が悪い・教育が悪い、・家庭が悪い、と何かと他者のせいにすることが目立ちます。
また、将来は無限の可能性があるなどと、無責任な「応援」も多いですね。

『足るを知れば辱められず、とどまるを知ればあやうからず』・・・よくある「私が、私が」を諌めているのでしょうか。


若い時にこそ、このような「古典」を学ぶべき、と思います。
秋葉原での通り魔事件、あまりにも悲惨で憤りを感じますが、こんな時、「おえらいかたがた」は[このように挫折させていく社会に問題がある。政治が悪い〕なんて<分析>して下さるけれど、被害者はたまったものじゃない。

今、プロレタリア文学の「蟹工船」(小林多喜二著)がベストセラーであるとききます。
若い人たちが厳しい仕事に耐えながら生活苦に悩み、ワーキングプアの苦しみと重なるものがある、といわれています。

日本が少しづつ変わっていく・・・金銭に置き換え、人の苦しみを同情どころか「もっと働け!もっと自立せよ。財源がないんだ!」とギスギスした世の中になっていきそう。

「老子」は弱者の味方か・・・そしてなぜか「シモン・ボッカネグラ」の旋律が浮かんできます。
アドルノとフィエスコの祈りの二重唱、そしてシモンとフィエスコの気高くも傷ついた心を癒す二重唱・・・。音楽と古典、これぞ貴重な心の糧なのでしょう。 
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ヴェルディの最高峰作品「シモン・ボッカネグラ」

2008年06月08日 | オペラ
 数あるヴェルディのオペラのなかでもマイナーなイメージの「シモン・ボッカネグラ」だけれど、このオペラは最高の作品と思います。

他にも「ドン・カルロ」「アイーダ」「仮面舞踏会」など名作がありますが、このオペラはヴェルディバリトンを二人も使い、さらに優れたバス歌手が必要、そして声で圧倒するだけでなく、表面的な演奏では太刀打ちできない「歌手の全技量」をかけて歌うオペラと思います。

NHKのDVD「伝説のイタリア・オペラ」シリーズの中でも、息をのむような名演であり、長らく待たれたものです。

カップッチッリの長いブレスで、しかも大変美しいイタリア語で切々と歌われたら、しかも人情あつい表現で。さらに名バスのギャウロフの深く美しい声で「名歌手の対決」をたっぷり聴かされると、もう感動の「無我の境地」です。

実在したイタリアのジェノバの総督(ドージェと呼ばれる)シモン・ボッカネグラは海賊出身でありながら激動の世に請われて総督となり、争う平民と貴族をまとめ、民衆の尊敬を受けるが、暗殺される・・・その間際に宿敵フィエスコと涙なしではきけない和解をし、その場面はヴェルディが晩年まで書き直したという渾身の名曲。

ここでストーリーや音楽のかたちを解説しても、この稀有な名演による名作を語るに比すべき言葉はありません。
平和への祈り、親子の情や若者の恋も織り交ぜて最上の歴史絵巻物です。

オペラの中での「春秋戦国」的な感動でした。大切なものがいっぱい、詰め込まれているように思います。

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政治家・マスコミの品格・・・

2008年06月07日 | 政治
 橋下大阪府知事の発言、という昨日の文で、訂正加筆をします。

「天心の意見をとりあげた伊藤博文でした」というところを「天心の意見をとりあげた伊藤博文のおかげでした」に直したいと思います。

眼がチラチラして集中力に欠けており、さらに読み直しが不十分でした。
他にも沢山ミスがあると思いますが、平にご容赦を・・・。

若さは爽やかさを感じさせますが、中には若さはバカさ、っていう人もいます。
こういう私など、年輪だけ重ねてただのバウムクーヘン状態、ですが、政治家はそうでは困ります。

橋下さんは支持率が高い、といわれていますが、ヒトラーだって支持率高かったのですよ。彼の頭の中は自分の考えの為には少数意見など意に介さず、無礼千万な態度でつっぱしることを善しと思っているのではないでしょうか。

異なった意見を言うとネットや電話で非難の嵐、これは橋下さんが持っている負の面でもあります。
かつて「買春もODA」と発言したその神経と彼の文化の低さ、卑劣さを忘れません。
このことは、彼の口癖である「文の前後を」と言ったところでいいのがれなどできません。また、「そんなおとなにさせたくない」ですよね。

みのもんたは激しい口調で「大阪府、橋下さんが知事じゃなかったら大変なことでしたよ」と言い、他の政治家をけなしたりしていますが、みのもんたの威圧的、時には威嚇的な態度と口調は良くないと反省し、もっと冷静に、公平に、話していくべきと思います。
ほかにも、たかじん、ざこば、宮根、など「とんでもタレント」が幅をきかせています。
彼らは確かにいいところも沢山あるのですが、「とんでもタレント」の部分には辟易します。

日本人の良識を信じたいですが、マスコミが言わせているところもあるのではないでしょうか。
また、お笑いでも裸に近い姿で奇声を発するタレント、イイトシをして恥知らずな、今ブームのあの女芸人、「日本の民度」が疑われます。

政治家やマスコミ、また視聴率が高いことに思いあがって、いくらトシを重ねてもバカの溢れ出るタレントさん、いいかげんにして下さい、そしてあおるようなものの言い方や威圧的な断定口調はいつか飽きられることを知っていて下さい。
マスコミという立場の重要さを熟知し、最低限の品位を持ってご活躍なさいますことを祈ります。
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