その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

高知/土佐と言えば龍馬!:2024年夏 高知の旅(4)

2024-08-29 07:21:08 | 旅行 日本

【桂浜 龍馬像】

午後は車を借りて、高知市郊外の桂浜へ。太平洋に向かって立つ坂本龍馬の銅像で有名だ。熱狂的ファンとは言えないが、中高校生の時に小説『竜馬が行く』や伝記を読み、数々の大河ドラマでも視聴してきた。そのスケール大きく、柔軟な思考と、驚くべき行動力は、憧れでもあったし、好きな歴史上の人物の中でも特異な存在である。龍馬の像=桂浜の像というぐらいのアイコンであり、昔から一度は訪れたい地であった。

銅像はてっきり桂浜の浜辺にあるもんだと思いこんでいたのだが、到着してみると浜にあるのではなく、浜にせり出した小山に立っていた。駐車場に車を置いて、階段と坂道を上って数分で着く。想像よりもずっと高く、大きい。桂浜も含めて、太平洋を見渡し、更にその視線・思考の先は海の向こうの世界に伸びているように見える。銅像そのものから感じる力強さ、エネルギーは何だろう。その迫力に打たれた。


(階段上って龍馬像へ向かう)


(これが、あの龍馬像か~)

銅像の前に広がる太平洋の大海原、白く長く続く浜辺の景観も素晴らしい。天気に恵まれたので、海の青緑、空の青さ、浜辺の白のコントラストが美しく輝き、目を奪われる。まさに文字通り「観光」。光を観る様だ。

 

【高知県立坂本龍馬記念館】

桂浜一帯は公園として、綺麗に整備されている。食事処や土産物屋も、モダンで綺麗なショップがあって、昭和の萎びた観光地の土産物街とは一線を画していた。しばし、そこで土産の買い物や高知名物のアイスクリンを食べた後に、近くの高知県立坂本龍馬記念館へ。

ここは、文字通り坂本龍馬をテーマにした博物館。新館にある常設展には龍馬関連の史料が展示してある。手紙類が多いのだが、この記念館の素晴らしいところは手紙等の史料に現代語訳がついていること。近代以前の史料は古語・古文で書かれていて、たいていの博物館の展示は現代人にはほとんど解読困難で、何が書いてあるかわからず残念である。だが、ここの展示は、現代語訳がついているので、コンテンツが分かるのだ。特に手紙類は、その本人の性格や気持ちが直接現れるので、訳があると本人にぐーっと近づいた気になる。これは有難かった。


(常設展)


(龍馬から姉への手紙(原本))

史料は原本が他の国立博物館所蔵でその複製ものが多いが、中には真筆(原本)もある。展示ケースに入った史料を見ても、素人には複製でも違いは大して分からないと思うのだが、真筆として見ると、がぜん質感、肌触りが違うような気がするから不思議だ。

龍馬と並んで、別室に中浜万次郎(ジョン万次郎)関連の展示室もある。改めて、その人生に触れると、土佐の最下層身分(博物館の記載から)であった漁師の家に生まれ、嵐で遭難し、アメリカ船に拾われて、米国で教育を受け、日本に戻り通訳として活躍するというその人生のダイナミックさに驚嘆する。人は、やっぱり努力・環境・能力の賜物であり、そしてそうした機会を与えられ、活かせる今の社会の有難さを痛感する。


(ジョン・万次郎展示室)


(『漂巽紀略』写本・・・聴き取りによる万次郎の漂流記)

この記念館、龍馬や幕末に興味がある人には強くお勧めしたい。一方で、この分野に興味が無い人には向かないかも。本館には幕末の動きを楽しみながら、分かりやすく解説する展示になっていて初学者の学びには良いと思ったが、日本史にはあまり興味ない相方には、新館・本館とも「ふ~ん」で終わっていた(悲)


(本館の中2階から桂浜を望む)

【土佐ジロー】

時間があれば、清流で知られる仁淀川中上流も訪れようかとも考えたが、思いのほか桂浜で時間を費やしたので、下流部分を少しドライブするに留めて、高知市街に戻った。そして、いよいよ2日目の夕食。前夜の龍馬屋はかなりサプライズだったが、この日訪れた「こうじ家」は、地元の会社帰りの人が立ち寄りそうな落ち着いた雰囲気のスタンダードな料理屋/居酒屋だった。

前夜に鰹を沢山頂いたので、この日は鰹よりもブランド地鶏である土佐ジローを中心に注文。非常に身がしっかりしていて、脂身少なく食べ応えがある。鳥の味も味付けもとっても美味しい。盛り付けやお皿も美しい。お酒は地酒の利き酒セットを頂く。カウンター席だったが、板前さんと距離がやや離れていたこともあって、板さんと会話を楽しむということは叶わなかったが、その分、料理やお酒をじっくり味わった。美味い高知はまだまだ続く~。

(2日目午後)

 

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これはホンモノ 高知城!:2024年夏 高知の旅(3)

2024-08-28 07:30:48 | 旅行 日本

今回の旅行ではホテルの朝食はつけなかった。一つには費用抑制だが、もう一つは、夕食をたくさん頂いた翌朝は、ホテルの朝食ブッフェは食べきれないからだ(ブッフェで少種少量しか食べられないは逆に欲求不満が溜まる)。ホテル近くのドトールの朝食セットで、2日目を始動させた。この日は市内の主要観光スポットを巡るつもりで、午前中は高知城へ。

【高知城】
高知城は、山内一豊により1603年に築城され、今でも江戸時代の天守が現存する十二城の内の一つ(重要文化財)。天守と御殿がそのまま残っているのは、高知城だけとのことだ。

城は小山の上に建っており、朝から30度を優に超える気温の中で本丸に上るのは汗に汗。階段の作りや、石垣などを見ながら、本丸まで辿り着く。柱の太さや壁の作りから本物感がひしひしと伝わってくる。

御殿のエリアでボランティアガイドの方から、城の歴史や概要について話を伺う。現在、姫路城など国宝指定されている五城への追加登録運動中とのことで、築城(改築?)当時の祈祷札など建築の証跡となる札が発見できれば、国宝指定も可能なよう。ただ、どうもそれが見つからないらしく、500万円の懸賞金がかかっているとか。神保町の古本屋や古物店で見かけたら教えて欲しいとのこと。「土佐の男がせこいと思われたくないですが、10%中間マージンはくださいね」って(笑)。

(御殿)

天守めざして階段を上がっていく。途中、江戸時代当時のお城と城下のジオラマ展示もあり、これらも楽しい。上がるにつれて狭くなる階段を昇り、天守へ上がる。




天守から市内の眺望はすばらしかった。あまり気が付かなかったが、高知市街は山に囲まれた盆地なのだ。北側の四国山地は気づいていたが、西側も南側も山に囲まれている。かろうじて、室戸方面になる東側に平地が広がっているぐらいだ。最近はどの街に行っても見かけるタワマンが見当たらないので懐かしい風景のような感じがする。

国宝の彦根城や犬山城も然りだが、この城は、天守や各層はさほど広くないので、兵を置くにも数は限られるだろう。戦闘用の要塞としては厳しい気がする。統治のシンボルであり、接待用の施設に見えた。

(きっと)高知市街では一番高い位置にある建築物だろうから風通しが良く、気持ちいい。汗も少しずつ引いていく。

 

【高知城歴史博物館】

天守の展望を楽しんだ後は、山を下りて、追手門の対面にある高知城歴史博物館を訪問。「涼し〜い博物館へようこそ」とのキャッチフレーズに吸い込まれるように中に入る。確かに涼しい〜。

涼しさだけでなく、「土佐藩主山内家伝来の貴重な資料を中心に、土佐藩・高知県ゆかりの歴史資料の数々を収蔵・展示する本格的な博物館」(高知市HP)で、見どころたっぷりであった。

常設展示で目を引いたのは、展示室入り口直ぐに観た「長宗我部地検帳のうち土佐郡大高坂郷地検帳」(天正 16 年)。なるほど、検地ってこうやって帳面に記録したのね。時間を超えてリアルに触れるのは、歴史が立体感をもって迫ってくる。

土佐藩の歴史のエリアでは、200年を超える幕藩体制の中での土佐藩の政治・経済・社会情勢のパネルや史料が展示してある。お家の相続危機や財政難等あったようだが、取潰し、改易・転封を免れて続いたのも、様々な藩士たちの苦労の賜物であることがわかる。そうした継続性も高知独自の文化を育ててきたのだろう。

また企画展では「武家の服飾~山内家伝来装束の世界~」が開催中で、羽織、袴から能の装束など山内家に伝わる衣装類が展示されていた。時間の関係でここは軽くで済ませた。

※高知城では、城と「高知城歴史博物館」の入場料がセットになった共通入場券も販売されていて200円ほど安くなるのでお勧めです。

 

【昼食】

午後からレンタカーを予約していたので、倒れるような灼熱の太陽の下、レンタカーオフィスのある高知駅近くまで移動したものの、昼食を食べるようなところが見当たらない。何とか、駅チカの昭和の喫茶店風のお店「駅前キッチンKAMEI」へ飛び込んだ。ここで、親子丼とうどんのセットを頼む。ローカルフードでは無いけど、家庭的な心温まる味でとっても美味しかった。高知の食に外れなしは、継続中。

(2日目 午前)

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旅ランで高知名所巡り:2024年夏 高知の旅(その2)

2024-08-27 07:31:02 | 旅行 日本

毎度のことだが、旅先では朝はランニング。 高知は初訪問地でもあり、市内の名所巡りも兼ねてホテルを5時50分スタート。東京より西に位置するためか、陽の上がり方は東京より遅い感じ。

まずは高知のランドマーク高知城を目指す。 この日は天守へ登城予定なので、三の丸跡まで。 ようやく上り始めた朝日が城を照らし、青空のもと神々しいまでの美しさ。


(大手門から)


(追手門近くには、城を築いた山内一豊や自由民権運動の板垣退助の像があります)


(板垣退助)


(三の丸跡から)

続いて、坂本龍馬の生誕の地へ。 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだのは高校生の時だが、その視野の広さ、開放的な性格に強く魅かれた。 石碑があるだけだが、歴史的偉人がリアリティを持って迫ってくる。近くには資料館である「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」もある。 


(坂本龍馬生誕の地の碑)


(高知市立龍馬の生まれたまち記念館。今回の見学の時間はなさそう)


次は、幕末に建てられた山内家の足軽屋敷である旧山内家下屋敷長屋資料館(重要文化財)を経由して、龍馬がよく泳いで遊んだという鏡川へ出る。川沿いに走る。


(旧山内家下屋敷長屋資料館)


(鏡川土手沿い)

続いて、日本三大がっかり観光名所の一つという不名誉なニックネームを持つ「はりまや橋」。私個人としては、このはりまや橋訪問で、 三大がっかり制覇となったが、三つのスポットのなかでもひときわがっかり度は高い。苦笑いである。


(旧はりまや橋の再現)


(こちらは今のはりまや橋)

はりまや橋の交差点から、まっすぐ北上しJR高知駅へ。高知駅は高架になっていて、なかなか見栄えも良い。今回は列車に乗る機会が無いのは残念だが、いつか四国の鉄道も経験してみたい。駅前に幕末の土佐三志士の像が立つ。像の作りはやや大雑把な印象。


(左から、武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎)

高知と言えば、大規模な日曜市が有名だが、規模は違えど、日曜以外にも市内の様々な場所で曜日ごとに市がたっているようだ(ここでは木曜市、あそこで金曜市と言った具合)。高知駅近くの、土讃線の高架下でも小規模ながら金曜市をやっているという情報を得たので、ホテルに戻りがてら覗いてみた。朝6時からということで、7時前には10をちょっと超える程度のお店が出ていた。多くは、(きっと)その日の朝に取れた野菜が中心のようで、観光客というより地元の人がその日の食材を調達するという感じ。


(こんなテントが10ちょっと並ぶ)

ホテルに戻ったのは、7時過ぎ。写真撮ったりしてちんたら走ってるから、1時間ちょっとで走行距離は約7キロの朝ラン。写真では気温が全く伝わらないのが残念だが、これでも戻った時には汗だらだら。


(途中、ストップウオッチを止めたまま走っている区間あるが、大体のコースはこんな感じ)

 

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龍馬屋で料理とお酒と会話を楽しむ:2024年夏 高知の旅(1)

2024-08-26 07:33:03 | 旅行 日本

今年の夏休みは、お盆明けに未踏の地の高知を3泊4日の旅程で訪れた。鰹の最盛期だし、何と言っても坂本龍馬の出身地、そして以前コロナで準備万端だった高知訪問をキャンセルしたリベンジ旅行でもある。南海トラフ注意報が解除にはなったものの気がかりではあったが、勇気を出して決行。

羽田からはたったの1時間20分。機体が着陸態勢に入るころ、窓から外を覗くと、青い海と険しい山々、そしてその間に挟まれて肩をすぼめるように田畑や家々が並んでいる風景が目に入る。

東京に劣らず高知も暑く、日差しがさらに強い印象。市街には空港バスで30分ほどで到着し、夕刻16時過ぎにチェックイン。部屋で暫しリラックスした後、夕刻、陽が傾いた時間に中心部の散策に出る。

未知の土地を訪れた時は、地元スーパーと図書館を訪れるのが相方のポリシーなので、お付き合い。確かに、地元スーパーは、品ぞろえが違うし、ローカルブランドを知るのも面白い。図書館は県立図書館と市立図書館が合同されてできたという新しい図書館で愛称はオーテピア。館内も蔵書、閲覧机、グループルームそれぞれ充実し、米国の大学図書館を思い起こさせる。


(旅行者用の棚。ミレーってこんなに種類があるんだ)


(高知の図書館。建物も素敵)

そして、いよいよ高知での初・夕食へ。「高知はどこで何食べても旨いですよ~」と以前、職場の同僚が言っていたのだが、夕食難民になるのは避けたかったので初日、2日目は予約しておいた。(食べログの百名店に名を連ねるようなお店は数週間前でも予約で一杯だった)。ガイドブックやネット等を参考に、最後は直感でホテルからも近い「竜馬屋」さんへ。結果、これが後々の語り草になるような楽しい経験となった。

お店の引き戸を開けた瞬間、想像以上に狭く、壁には古めの写真や資料が雑多に張り付けてある。カウンターが3~4席ほど、その背後に2~4名掛けの小さなテーブル席が3つ程。まだ客は誰も入ってない。高知新参者には難易度高そうな、変化球一杯の店内にやや怯んだ。が、笑顔のお姉さんに引っ張られるように、奥のテーブル席に案内された。


〔店内)

メニューは紙一枚。季節柄、殆どが鰹のメニュー。感じの良いお姉さんが料理を丁寧に説明してくれるが、どれをどの程度頼んで良いか分からない。結局、大将の「おまかせ、量は軽目で」という注文に落ち着いた(お腹一杯になったらストップかけてね、という仕組み)。高知と言えば、日本酒なのだが、酔鯨ぐらいしか知らないから、こちらもお姉さんおまかせ。私らの来店で、おもむろに厨房に現れる大将。ただ者でない雰囲気を漂わせている。

スタートの儀式は、いきなり鰹の刺身が鉄(?)皿に載って大将がバナーで炙るところから始まった。「30秒以内に食べてね」と言われたが、これが口の中でとろける上手さ。この後、(順番が逆だが)付け出しの鰹の切り身と酢漬け、地鶏(土佐ジロー)の手羽先、鰹と新子(メジカの新子ではないとのことだったが、何だかは忘れてしまった)の刺身と青さの天ぷら。月並みな表現だが、どれも頬が落ちるような旨さである。とりわけ、新子の刺し身は絶妙の甘みがあって印象的。


(いきなり大将が目の前で炙ってくれる)


(付き出しもとっても旨い)


(土佐ジローという地鶏)


(鰹と新子の刺身)

お酒もお姉さんが、次々と風味、辛さが違うものを出してくれる。どれも個性豊かで、違いが明確。料理との相性も抜群だ。

このお店が美味しいだけでなく、楽しいのは大将やお姉さんとの会話。店は200年続いていて、今の大将は7代目だという(7代目継承の口上も壁に貼ってある)。話題は、お店や料理、そしてマスターの一身上のいろんなお話、壁に掲示してある謎の特許証明(登録?)書などなどについて。私も観劇した内野聖陽さん主演の「ハムレット」のポスターがサインや落書き入りで掲示。内野さんからのお手紙とかも壁に貼ってあって、エピソードを伺った。お姉さんも上手く会話を引き出す。ホスピタリティ抜群だ。帰り間際まで、私らの他には出張者のソロ飲みの方1名だったので、ほぼ会話を独占して、まるでお友達の家に来たようだった。


(高知公演のポスター。皆さんで来店されたとのこと)

1時間半経過したぐらいで、相方がお腹一杯でストップ。次回、高知にいつ来られるのかも分からないが、来たら必ず寄りたいと思わせてくれるお店だった。心から「ごちそうさまでした」。高知初日は楽しく、美味しい最高のスタートを切る。

(初日)

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釧路の食:2024年夏 道東旅行(5)

2024-08-08 07:32:47 | 旅行 日本

だらだらと書き綴ってきましたが、個人的なメインイベントの釧路湿原マラソンの前にもう1つエントリー。

テーマは釧路の食。ソロ旅行者なので、いろいろと楽しむことはできないのですが、旅先ならではの食を堪能しましたので、ご紹介します。

初日のお昼。お腹すきすぎて、飛び込んだ釧路駅前のお蕎麦屋さん<東家>。お昼時間を過ぎて客は私だけでした。80を超えていると思われるお婆さんが一人で注文とって、作って、配膳、会計対応。お蕎麦は更科風の白いソバ。程よく腰あって食べごたえ在り。以前、新得町を訪れた際も感じましたが、北海道のソバは美味しいです。


(大盛り蕎麦)


(店内)

蕎麦だけでは満足できず、近くの和商市場へ。和商市場と言えば客が具をそれぞれ選ぶ「勝手丼」が有名ですが、これ結構高くつくので、市場内のお好み食堂「邦紀」がお惣菜として売っていた中トロ握りと釧路名物ザンギ(鶏のから揚げ)を。寿司も良かったですが、このお店オリジナルというザンギの甘醤油風のタレが美味しいです。


(邦紀)


(和商市場内 14時半過ぎなので人出は少な目)

初日の夜は、友人にお勧めされた居酒屋さん<番小屋>を訪れました。素朴な田舎作りの店内、愛想のよいおかみさんやマスターの暖かい雰囲気と美味しい料理が旅情を掻き立ててくれる居酒屋さんです。

2日目の夜。根室帰りで、土曜日の19時過ぎということもあってか、ホテル近くの狙ったお店は2店とも満員。とりあえず入った居酒屋「釧路食堂」。十分美味しかったです。特に、白身魚の刺身(名前を板前さんに聞いたのですが、忘れてしまった)が口の中でとろけるような甘さ。

3日目のお昼。釧路出身の友人が「釧路のソウルフード」と言っていた泉屋のスパかつ。スパゲティの上にぶ厚いとんかつが乗って、その上にったっぷりとミートソース。皿からこぼれんばかりの凄い量です。味は懐かしの昭和の味。けっこう癖になりそうです。食べきるのに20分を要しました。




(昭和チックな店内も懐かしい雰囲気)


(ディスプレイも懐かしい)

復路便は7時40分発。空港のレストランはどこも一杯で、食欲もさほどなかったので、搭乗口ゲート前で売店で買ったチーズかまぼことビールうで済ませました。思いのほか、このかまぼこが美味しかった。ビールとの相性も抜群。

 

【おまけ】

2日目の朝、港沿いをジョグ。巨大な自衛隊の補給艦摩周が停泊していました。








3日目には漁船も何隻か停泊。

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納沙布岬だけじゃない根室観光: 2024年夏 道東旅行(4)

2024-08-06 07:37:49 | 旅行 日本

納沙布岬、チャシ跡のあとも根室半島のドライブツアーは続きます。

【北方原生花園】

75ヘクタールの広さで 6 月下旬~9 月上旬にかけて約100種類の花々が咲き誇る日本最東端の原生花園です(「根室十景 北方原生花園 見どころマップ」より)。北海道の原生花園は、小清水原生花園やサロマ湖ワッカ原生花園を訪れたことがありますが、広大な原野の風景は北海道らしさを感じることができる風景で私はどこも好きです。この北方原生花園も雰囲気は似たものがありますが、日本最東端の原生花園と言われると、特別感があります。

広いわ~。「ポニーが出て行かないようにゲートはしっかり閉めてくれ」と注意書きはあったものの、ポニーが見当たらないのは残念でした。帰り間際に花園の端っこに居るのを発見。

この辺りには、牧場も多く、乳牛らもいました。ポニーにしろ、牛にしろ、羊にしろ、動物たちがいると、ゆったりとした気持ちになれるのが不思議です。

市内中心部に戻って来ました。根室港に立ち寄りましたが、時期的なものか、時間的なものかよく分かりませんが、漁船が入港しているわけでもなく、人影もほとんどなく、殺風景であったので、直ぐに出発。

 

【電信陸揚げ局】

個人的な興味を引いたのは、根室と北方領土の各島と結ぶ起点となる、根室国後間海底電信線陸揚施設。1929年に旧逓信省により設営され、択捉島まで繋いでいたとのこと。終戦直後に情報漏洩防止のためケーブルは切断され、今は遺構となっていますが、当時の姿を思い起こせます。

 

【碓氷勝三郎商店】

釧路の居酒屋に行くと必ず置いてある地酒が、釧路の「福司(ふくつかさ)」と根室の「北の勝(きたのかつ)」。根室に来たからには北の勝の醸造所を観てみたいということでマップを基に尋ねました。碓氷勝三郎商店という個人商店のようなのですが、どんな佇まいの醸造所なのか、見学とかできるのか、興味津々です。

確かに、市街中心部に位置する同社は、創業1887年(明治20年)であるというだけあって、歴史を感じる建物です。ただ、この日は肩透かし。敷地の中の駐車場に車を止めてみたものの、全く人の気配を感じない開店休業状態。この会社大丈夫なのだろうか?とちょっと不安になるぐらいです。何か見逃している所があるに違いないと、暫しうろうろしましたが、まるで人気無し。挙動不審者扱いされるのも嫌なので、退散しました。その夜、釧路の居酒屋でその話をしたら、この時期は仕込みでもないし、出荷も終わっていて、操業停止状態なのだろうとのことでした。ホントかしら?

 

【タイエー やきとり弁当】

エスカロップを勧めてくれた釧路出身の友人が、もう一つお勧めしたのが、タイエー(根室の地のスーパーマーケット)の焼き鳥弁当(名前は鳥だが、豚らしい)。以前、NHKの「ドキュメント72時間」でも取材されたスーパーとのことで、そこの名物弁当とのこと。「是非、買って、釧路に戻る列車の中で食べて。」とのお勧めです。

復路の列車が16時8分発で、レンタカー返却の時間も考えると、ほとんど時間が無くなっている中で、店に飛び込みました。東京のコンビニの倍くらいの大きさのお店の中は、中央にレジと、焼き鳥丼をはじめとするお店で売っている焼き物を作るキッチンになっているのを見て、この店の重要度がわかります。

「焼き鳥弁当はここで頼めばいいんでしょうか?」とレジのお姉さんに訊いたところ、「はい。この注文票に書いてください。焼き鳥弁当はご注文いただいてから作りますので、10分から15分お時間頂きます」とのこと。ガーン、10分かかったら、汽車に間に合わない。「汽車の時間がもうすぐなので、優先的にお願い出来ませんか?」と我が儘かまそうかと思ったけど、確かに3人ほどの先客さんがお待ちの様子なので、それはマナーに反するということで自重。

この汽車逃すと最終の汽車で、釧路到着が21時過ぎ。翌日の釧路湿原マラソンに合わせて、体調を整えなくてはならない中、どっちを優先すべきか?5秒の思考の後、泣く泣く焼き鳥べんとうは諦めました。時間が無く、お店の写真も焼き鳥べんとうのメニュー写真も取らず仕舞。次回の根室訪問の宿題ですね。観光ガイドにひっそり掲載されていた広告を共有します。

根室、まだまだ見どころあるようです。観光ポイントだけでも根室十景と言われているポイントを今回は2ヶ所(納沙布岬、北方原生花園)を廻っただけ。加えて、花咲ガニもさんまも棹前昆布も食べてない。後ろ髪惹かれる思いで、根室を後にしました。


(根室駅待合室)

 

2024年7月28日

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日本最東端 納沙布岬へ:2024年夏 道東旅行(3)

2024-08-04 09:05:46 | 旅行 日本

根室駅を降りて、その閑散とした駅前には驚きは隠せませんでしたが、まずは腹ごしらえ。

釧路出身の友人から「根室行ったらエスカロップを食べてみてください」とお勧めされたので、紹介された駅前の昭和の喫茶店風のニューモンブランという店に入りました。店内もソファや照明器具など昭和のレトロな雰囲気が満載です。さっそくエスカロップを頼みます。

名前の由来を初め、エスカロップが根室の名物なのかは全く分からないのですが(その友人によると、根室は漁港として栄えたので寄港する外国人が多く西洋料理が盛んになったとのこと)、出てきた一品は、昭和のデパートの最上階のお好み食堂を思い出させる一皿料理。日の丸の旗を立ててもいいかも。バターライスの上にポークカツが乗っかり、さらにデミグラスソースがかかっています。さてさて、どんなお味かと食してみたら、バターの香りが漂いつつ、思いのほかさっぱりしていて、ポークカツやソースとの相性も良く、とっても美味しい。「根室と言えば漁港だから海鮮料理だろ」という私の思い込みを完全払しょくしてくれるものでした。

【納沙布岬】

お腹一杯になったところで、車を借りて、4時間の根室観光をスタート。まずは、日本最東端の岬、納沙布岬を目指します。根室駅から約20キロ。20分程度で到着。朝出た釧路の曇り、雨の天気が信じられない様な青天でのドライブは爽快そのものです。

天気が良いので、持参した双眼鏡を覗くと、北方領土の歯舞群島が良く見えます。3.7km先に貝殻灯台という灯台が海上に立っているのが見えますが、そこはロシアの経済水域とのこと。更に奥に見える島(貝殻島?)にはロシアの建物・設備もはっきりと見えます。領土問題のまさにフロントであることを実感し、長閑な天気や環境とは真逆の緊張感も感じざるをえません。

岬には、北方領土返還を求める多くの碑が設置されています。また、独立行政法人北方領土問題対策協会が運営している「北方館」・「望郷の家」や「根室市北方領土資料館」などがあり、資料を通じて北方領土の歴史的経緯が学べるようになっています。ちょっと政治色が強いところもあり、苦手な人はいるかもしれませんが。


(根室市北方領土資料館では「最東端出発・訪問・到達証明書」が貰えます)

 

【チャシ跡(アイヌ民族の砦跡)群】

1時間ほど、滞在した後は、続いて根室半島チャシ跡群へ。海岸の見通しの良い場所にアイヌの城跡で根室市内には32ヶ所現存していているとのこと。根室市内のチャシ跡が築かれた正確な年代は不明なものの、16~18世紀頃とされてるようです(根室市観光協会HP)。国指定史跡でもあり、日本百名城の一つです。

ヲンネモトチャシ跡とノツカマフ1・2号チャシ跡を見学。跡そのものは大きなものでないですが、ここに砦を築いたアイヌの人たちの社会や生活を自由に想像するのは何とも楽しいです。


(ヲンネモトチャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)

(ノツカマフ1・2号チャシ跡)


(ノツカマフ1・2号チャシ跡)

目前に青い海が広がり、抜けるような青空、そして風になびく草原。まさに場所は違えど、

「夏草や兵どもが夢の跡」

(つづく)

 

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憧れの花咲線に乗る:2024年夏 道東旅行(2)

2024-08-02 07:32:24 | 旅行 日本

いよいよ、今回の主要目的のひとつ花咲線の鉄旅です。

日本最東路線のこの列車に乗るのは、鉄道好きの私(いわゆる「鉄」には程遠いですが)には憧れの一つ。この日の釧路~根室の片道2時間半、往復5時間の乗車体験を楽しみにしてきました。胸躍らせて、8時21分発に乗るべく釧路駅へ。

なんと1両編成。しかも、列車の側面には「ルパン三世」のキャラクターたちがプリントされています。どうやら、路線途中の浜中駅が「ルパン三世」の原作者モンキーパンチの故郷と言うことで、ルパンを使った村おこしの一環のようです。いいじゃないですか~。

 

【往路:釧路~根室】

社内の座席は8割ほど一杯で、ぱっと見、観光客が7割弱といったところでしょうか。本格的なビデオ器具とマイク一式を持った若者もいます。北海道旅行中とお見受けするシニアご夫婦やアジアからの若者旅行者など、いろんな取り合わせ。私のようなソロ旅行者の方が多いですね。

海側となる進行方向右サイドの席はすでに埋まっていたので、左サイドの窓側席を確保。有難かったのは、シートが思いのほか大きくてクッションもよく効いていること。中央本線の各駅停車のボックス席シートよりも格段に心地よいです。

釧路の市街地を抜けると林の中を走ります。時折、昨夕の列車と同様、汽笛が鳴りスピードが急に落ちるので、鹿がウロウロしているようです。窓側座席は確保しているものの、運転手さんの斜め背後から、どこまでも続く線路と前方景色を見ながら乗っているのが楽しく、童心に返って景色を追いました。この日、朝から小雨模様なのが残念です。

厚岸(あっけし)に近づくと、いよいよ海が右手に見えてきました。浜辺では多くの人が出て、昆布干しのため昆布を広げる作業をしていました。潮の香りと昆布の匂いが車内にも強烈に入り込んできます。

厚岸駅で団体旅行と思しきシニア層のグループが乗車。どうも観光バスと鉄道旅行を組み合わせた道東周遊プランの様子。駅を発って彼らが乗ってきた理由が分かりました。右手に海と別寒辺牛湿原が見渡せる絶景ポイントに入るのです。運転手さんもここが見せ場とばかりに列車のスピードを落として、お客さんサービス。小雨の暗めの空なのでいささか残念ですが、湿原の脇を走る鉄道に乗っているのは、さながら湿原の上を走っているような感覚です。

東へ東へと向かいながら、段々と雲が薄くなり、薄日も差すようになってきました。陽の光を受け始めると、風景の表情が瞬く間に変わって、輝きを増していくのが驚きです。落石海岸沿いでは、風力発電用の大きな風車が所々立っていているのは、単に旅行目的の観点からすると、ちょっと周囲の風景と不釣り合いでやや興ざめなところはありますが、これは我儘と言うものでしょう。。




根室に近づくにつれて、人や家の気配がしてきます。そして、2時間半の鉄旅もあっという間に終了し、終点。到着は10時53分。フォームに降りて、駅を見渡します。この先は線路無し、本当の意味でのターミナル駅に何とも風情を感じるのは私だけでしょうか。「日本最東端有人の駅」とあるプレートを見て首を傾げていたのですが、最東端の駅は手前の東根室ということを知りました。

さあ、戻りの列車を16時8分発に定め、5時間の根室観光にでます。

(根室観光については次エントリーで)

 

【復路:根室~釧路】

復路は往路のリベンジで海側シートをゲット。この晴天なら午前中よりも更に良い車窓が期待できます。レンタカーを返却したので、もう車に乗ることも無いので復路は呑み鉄です。



さあ、復路のスタート。まずは、隣駅の東釧路で最東端の印を確認。

駅名は忘れましたが、根室駅の近隣の駅でも駅周辺に蝦夷鹿が普通にいます。奈良のようです。

快晴だった根室でしたが、復路も西に向かうにつれ、雲が暑さを増し、厚岸では小雨となりました。まあ、それでもビールをちびちびやりながら車窓を追うのは最高です。ホテルから鞄に文庫本を2冊忍ばせてましたが、結局1冊も触ることすらありませんでした。




復路でのアクシデントと言えば、厚岸付近と上尾幌近辺で列車が鹿と2回衝突したこと。都度、運転手さんが車両を止め、衝突した鹿の除去、車両確認をしたうえで、出発となります。各回10分は止まっていますので、必然的に列車の運行も遅れます。幸運にも、私は衝突の現場には立ち会わずに済みましたが、車両の直前を横切る鹿を何頭か目撃しましたので、動きの予測がつきにくく、集団で異動している鹿を避けるのがいかに難しいかが実感として理解できました。鹿も可哀そうですが、運転手さんの技術もメンタルも本当に大変なことで、頭が下がります。

20分近く遅れて、釧路には19時前に到着。最後、若い運転手さんに「おつかれさまでした」と一声かけてましたが、やはり同じことを思ったご婦人も「大変ですね。ありがとうございました」と声をかけていらっしゃいました。


(19時前の釧路川)

林、海岸、湿原、平原と次々に表情を変える車窓、ディーゼル車独特の乗車感覚、のんびりとした空間。これらを味わえる花咲線の鉄旅は強くお勧めできます。

(2日目)

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釧網本線に乗って夕刻の釧路湿原を楽しむ:2024年夏 道東旅行(1)

2024-07-30 07:30:07 | 旅行 日本


(北海道上空)

今年の夏は長期休みは取らず、週末に1,2日の休みをくっつけて、短い連休をいくつか楽しむつもりです。第1弾は釧路湿原マラソンへの参加とJR花咲線の鉄旅をメインにした道東旅行を敢行。

初日は、お昼過ぎに釧路たんちょう空港に着陸したので、ウォーミングアップがてら夕刻の釧網本線釧路湿原の巡りを計画しました。

空港を出て最初の感想は、「涼しい。いや、寒い」。35℃前後の灼熱地獄の首都圏と20℃前後の釧路とは別世界。首都圏にいると、気温の感覚が麻痺していて、「釧路20℃」と天気予報サイトにあっても、その情報を解釈できなくなってました。涼しいとか寒いというのがどういうものか分からなくて、今回持参した長袖衣類はシャツは1枚。これから大丈夫か少々不安に。

空港バスで市内に向かい、遅い昼食を取って、ホテルにチェックイン。釧路湿原の列車観光と言えば、観光列車ノロッコ号が有名ですが、日に2便しかないので、この日は間に合いませんでしたので、ローカル線に乗っての湿原巡りです。

 

【釧路駅から塘路駅へ】

16時29分の網走行きに乗車。2両編成です。ノロッコ号ではありませんが、ノロッコ号の終点が塘路駅なので、そこまで約30分の短い汽車旅としました。


(昭和を感じる駅舎)

釧路の街を抜け、次の東釧路駅では下校したての高校生たちが乗ってきます。車両は満席で、床に座ったり、立ってスマフォ弄ったり。座っている生徒たちは、単語帳開いて勉強したり、あっという間に完睡してたり。この生徒達の家はどこにあるのだろう?1日に4本しかない電車での通学なんて 大変だ。

まもなく、列車は釧路湿原の林を走ります。夕刻になるにつれて曇りから薄日が差し込み、湿原や林の緑が美しく反射していました。夕陽なのに、朝日のような瑞々しい光です。

塘路駅で折り返しのため下車。逆方向の釧路行き列車まで1時間あるので近くを散策することにしました 若干湿り気はあるものの気温は23°c。東京の暑さとは桁違いの別世界です。そよ風が気持ちいい。車窓からも何匹か見ましたが、蝦夷鹿が普通にうろうろしてます。塘路は湿原のカヌーツアーの基地になっているようですが、そのカヌー業者さん以外のお店類は何もないですが、こういう何もないところに、特段あてもなくうろうろしているというのも、非日常で楽しい。


(塘路駅出た左手にある簡易展望台からの眺め)


(鹿がそこらにウロウロしてます)


(塘路湖)

 

【塘路駅から釧路湿原駅へ 細岡展望所】

塘路駅18:11発の釧路行きに乗り、釧路湿原駅に向かいます。列車に乗っていて一つ気が付きました。運転手が汽笛を鳴らす時や スピードを急に落とした時は大抵、運転手が鹿を検知した時なのです。列車先頭から前方をを見ていると、何度も線路の上や脇にいる鹿を見かけます。急にスピードを抑えますが、運転手さんもヒヤヒヤものでしょう。線路を横切ってそのまま、前(列車の横)に逃げればいいものをなぜか 線路に沿って逃げる鹿もいて、これでは追いかけっこになってしまいます。こういうのは大抵、小鹿で、列車に慣れてないのか、危なっかしい。いつかは衝突間違いないので、とても見てられなくなり 先頭で車窓を追うのは諦め、自席から車窓を追った方が良い。衝突した鹿は運転手さんが線路や脇から運び出す作業がある。運転手さんは大変だ。


(車両後方から 線路右側に鹿)

釧路高原駅で途中下車し、日没が見られるのではというかすかな希望をもって、細岡展望台に行きます。 だが、残念ながら、夕日が沈む西方面は完全に雲がかかっていました。北方向は雲が切れていますうが、夕陽を見るとか夕焼けになるには雲が厚く、少々がっかり。

それにしても釧路湿原は広いです。日本ではなかなかお目にかかれない。ロンドンの郊外のリッチモンドヒルからの景色や南イングランドにも似たような景色は無いことは無いですが、このスケール感には及ぼないかな。日没の鑑賞はできませんでしたが、夕暮れ時の湿原見学をたっぷり楽しみました。30分ほどで私以外に訪れたのは小さいお子さん2人を連れた4人家族1組と若いカップル1組だけ。ほぼ独り占めでした。

前回、この展望台を訪れた3年前、蚊の集団に襲われ、その傷の治療に1月以上かかったので、今回は蚊対策(露出肌を最小化し、虫よけスプレーをかけるぐらいだが)を万全にして出かけました。何とか凌ぎましたが、それでも後でホテルに戻ったら数か所刺されてました。 

釧路湿原駅に戻り、釧路駅行き最終列車(19時41分)を待ちます。小さな山小屋のような狭い駅舎は、うす暗い白熱灯がついていますが、本を読めないほどの暗さ。フォームに出ても外は真っ暗。聞こえる音は水が流れる音と虫の鳴き声だけ。こんな完全な静寂は久しぶりです。たまにはこういう時間もいいものです。(ただ女性の一人旅にはこの時間帯のお移動は全くお勧めできません)


(これ逃がすと明日迄で列車無し)

 

(道東旅編 つづく)

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札幌もろもろ スナップ

2024-07-04 07:40:46 | 旅行 日本

今回の札幌出張のスナップ。写真だけだと、何しに行ってるのかと怒られそうですが、もちろん、しっかり仕事はしてきました。

【飛行機】

今回コスト抑制のためLCC利用。羽田ー新千歳が11000円と青や赤の飛行機の半値以下。サービスも運航も全く不満なしでした。この値段で行けるんだったら、プライベートでも北海道ってもっと手近なのかも。

朝7時の首都圏上空。

8時過ぎには北の大地上空ㇸ。

【車窓から】

空港から札幌市内までの列車からの風景も、東京のそれと大きく異なり、広い大地におおらかな空気を感じさせ、北海道道を実感します。

 

【お食事】

ご紹介済のラーメン以外のスナップ。

夜のビジネス宴会の刺身盛り合わせ。とにかく見た目、超豪華なのですが、仕事飲みでは話に集中するので、とても味わって食べる余裕なく、味については全く記憶に残らず。

お昼に、営業所のスタッフが出張者に気を遣ってジンギスカンランチに連れて行ってくれました。とっても美味しいんですが、ビール飲めないのは拷問。

【その他】

これまたスタッフが気を遣っておつまみにご賞味くださいと、頂いた北海道おつまみセット(左上のトウキビアイスだけホテル横のコンビニで自己購入)

上のおつまみは帰りの便でSAPPORO CLASSIC と一緒にいただきました。ドンピシャです。

やっぱり北海道、プライベートでゆっくり廻りたい。

 

2024年6月4−5日

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よさこいソーラン祭・前夜祭チラ見 @札幌

2024-07-02 18:00:50 | 旅行 日本

訪問先のオフィスの直ぐ近くの大通り公園で、よさこいソーラン祭の前夜祭をやっていると聞き及び、札幌駅に戻りがてら立ち寄ってみた。

子供が小学生の頃、地元のよさこいチームに入っていて、地元のイベントはもちろん、原宿やお台場のよさこい祭りにも時折参加していたので、とっても懐かしいイベント。しかも札幌のよさこいと言えば、よさこいブームの走りであったはず。できれば本祭を見物したかったが、前夜祭をチラ見できるだけでもラッキー。

数時間前まで冷たい雨が降っていたのだが、開演時には雨は止んだ。学生さん主催で始まったイベントに相応しく、前夜祭の踊りは学生さんたち総出の演舞だ。ステージいっぱいに広がる躍り手の威容と若さがほとばしるエネルギーに見ている私たちも圧倒される。能登半島沖地震被災者へのエールも交え、雨上がりの肌寒い空気を一気に熱く化学反応が起こっているような感覚だった。

30分ほどの短い鑑賞体験だったが、出張おまけとしては最高。

(まだ時間早いので人はまばらだが、ご当地グルメ屋台コーナーあり)

2024年6月5日

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「札幌ラーメン」ではない美味しい札幌駅横のラーメン屋さん:らぁ麺 月輪

2024-07-01 17:45:48 | 旅行 日本

先月、年度初めのパートナー会社との気合合わせや自社営業所のメンバーとの業務課題議論で1泊2日の札幌出張。札幌駅近のビジネスホテルに泊まったのですが、ホテルのロビーに置いてあった自家製の周辺地図に紹介されてたラーメン屋さんに飛び込み。

なんか外見はどう見てもガード下の飲み屋さん。中に入っても、一升瓶が並んでたり、壁に貼ってあるお品書きもおつまみばかりで、「あれ、店間違えたかな?」。まだ時間も18時前後で客は誰もおらず、カウンター内で仕込みをしている女将さんに、「この店、ラーメンやってますよね?」とおそるおそる確認。「やってますよ、ハイ」と言われて、手渡されたメニューには5種類ほどのラーメンがあったので、鶏玉醤油ラーメンなるものを注文。

こんな時間帯に、ラーメン単品注文は迷惑だったかな?と多少罪悪感を感じつつ、店内を見回す余裕もできてきた。席はカウンダ―だけの10席程度のこじんまりしたお店。山小屋風に木目調の内装なので、とっても気分が落ち着く。こんな空間があると知っていれば、ラーメンも良いが、むしろウイスキーや日本酒をちびちびやりたくなる気分。

ラーメンは思いのほか早く5分ぐらいで出てきた。いわゆる東京人が勝手に想像する札幌ラーメン(豚骨と野菜の出汁スープ、やや太めのちぢれ麵)とはかなり様子が違っていて、東京にありそうな鶏ガラをベースにしたちぢれ細麺。透き通るようなスープ。それが、実に美味かつ私好み。とっても丁寧に作られているのが食べていてよく分かる。

スープ含めて完食して、お箸を置いて、心の底から「おいしゅうございました。ごちそうさまでした」。

らぁ麺 月輪 - さっぽろ(札幌市営)/ラーメン | 食べログ (tabelog.com)

2024年6月5日

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週末奈良・京都弾丸旅行(最終回):東寺

2024-06-03 07:30:42 | 旅行 日本

時系列が逆転しますが、前日は東京から京都で途中下車し、2.5時間の東寺観光一本勝負。「空海展」を訪れる前のウオーミングアップです。東寺には15:15到着。訪問は2018年以来。

(南大門)

まずは、東寺の本丸とも言える講堂の立体曼荼羅や金堂の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩達とゆっくり対話。オーバーツーリズム影響を心配しましたが、思いのほか参拝者は少なく、落ち着いて対話できました。




今回、ラッキーだったのは、春の特別公開ということで、五重塔の初層(1階)に入室できたこと。入ってみると、55メートルもある塔の1階部分としては、意外に狭い。その密空間は、色落ちこそしているものの壁には彩色の跡が残り、中央には高さ60センチ程の大日如来を正面に四体の如来、八体の菩薩が囲んでいます。密教世界の特別な「気」に溢れています。




閉門時間まで1時間を切り、慌てて宝物館を訪問。こちらも年間通じて開館しているわけではなく、今回は春の特別公開期間と言うことで私は初めて。「南北朝時代の東寺」というテーマで展示がありました。南北朝時代の東寺は、天皇の御座所や足利氏の陣所として使われたことから、争乱の舞台になった」(パンフレット)とか。

南北朝争乱期に足利尊氏が本拠とした食堂(じきどう)の本尊であったという千手観音立像(重要文化財)を鑑賞。5メートル84.6センチの立派で威厳あるお姿です。興味深かったのは、光厳上皇の院宣の展示。高校時代に「太平記」を結構一生懸命読んだので、当時の世相に思いを馳せます。

最後の残り時間20分は観智院を訪問。「鎌倉時代、後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画され、南北朝時代の延文4年、1359年頃に杲宝が創建しました。杲宝の弟子、賢宝は、本尊の五大虚空蔵菩薩を安置しました。」(東寺HP)という場所です。落ち着いた家屋は駆け足で訪問するにはちょっと勿体ないぐらい。国宝の客殿内部には、宮本武蔵筆の「竹林の図」が描かれている上段の間があります。



16:30を過ぎると順番に東寺の周囲の門が次々と閉まっていくので、名残惜しいですが境内から退去。無数の名所がある京都ですが、意外と当時は灯台下暗しかもしれません。お見逃しなく。

(5月24日)

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週末奈良・京都弾丸旅行(4):奈良で真昼間の飲んだくれ

2024-05-31 08:01:11 | 旅行 日本

「空海展」で2時間弱ほど過ごした後は、ならまち方面へ足を向けます。メインイベントは終わったので、裏メインの呑みへ。

向かった先は、奈良の日本酒専門店で立ち飲みで試飲(有料)提供してくれる<なら泉勇斎>。5年ぶりの再訪です。まだお昼前だというのに、8名ほどで一杯になる試飲カウンターはほぼ満員状態。無理やり割り込むように詰めて頂き、日本酒発祥の地である奈良の地酒を3杯ほど頂きました。

外国人観光客の来店も多いです。アメリカのボストンから来たというアメリカ人カップル、「日本酒旅」をテーマに何度も日本に来ているという台湾人、そして北欧系っぽく見える西洋人夫婦など、入れ替わり立ち代わりに来店し、数杯頂いていきました。店主さんによると、「外国人のお客さんで多くなったよね~。毎日盛況で、午後になれば一杯で並ばないと入れないよ」とのこと。日本でもファンの多い油長酒造の「風の森」とかは、海外でも相当に有名らしいです。「日本酒旅」の台湾人男性は、お店にあった5種類の「風の森」を一気に全部頼んで、呑んでました。少しお話ししましたが、奈良を始めとして、長野や山形のお酒が好きだそうです。「風の森」は台湾ではなかなか手に入らないとか。日本酒の知識は明らかに私以上でした。

あんまり長居するのは回転率さげてお店に迷惑なので、3杯飲んだ後は、「風の森」を一本お土産に買って退散。

  

飲み足りないので、酔いが廻り始めた体でふらふらと街を徘徊。どこも観光客で溢れてます。最高のビール日和なので、次は、地元のクラフトビールを提供してくれるビール屋さんへ突入。ここもお客さんの7割は外国人観光客でした。店で醸造してますので、フレッシュな生まれたてのビールを味わいました。うま~い。


(観光客で一杯の蓬餅実演販売のお店)


(YAMATO Craft Beer Table 近鉄奈良駅前店)

 

真昼間から良い気分。旅行は良いなあ~。

1時間ちょっとゆっくりして、ホテルで荷物ピックし、帰路に。実質、奈良観光は半日ですが、それでも満足感はたっぷり。

2024年5月25日

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週末弾丸奈良・京都旅(3):圧巻の「空海展」@奈良国立博物館

2024-05-30 08:49:42 | 旅行 日本

奈良は9時を境に表情が大きく変わる。

外国人観光客・修学旅行生・一般観光客などなど、様々な人々が寺社をバックに写真を撮り、鹿と戯れ、一大観光地の本領が発揮され始める。これはこれで、(オーバーツーリズムにならない限り)悪いことではないし、有名観光地を楽しむ観光客を眺めるのも私はとっても好きだ。昔の話になるが、ロンドン駐在時に通勤路で毎日タワーブリッジを渡っていたのだが、訪れる観光客の顔がすべからく本当に楽しそうなのを見て、自分まで嬉しくなった。橋と言う建造物一つに、こんなに人々を明るい笑顔にする力があるなんて、なんて素晴らしい事だろう。と心から思った。奈良公園を闊歩する観光客も嬉しい顔であふれている。

本題からずれたが、いよいよ今旅行のハイライトである「空海展」である。開館が9時半なので10分前に到着したら、既に長蛇の列ができていて焦った。X(旧ツイッター)には「空いている」というポストが多かったからだ。入場券を持っている列と持ってない列に分かれ、夫々が50m近い長さになっていたので、あわててスマフォで入場券を購入し列に並ぶ。幸い、開館時間になると順次入場となり、10分程度で会場入りできた。

噂には聞いていたが、素晴らしい量と質の展示である。曼荼羅の世界、空海の生涯、空海ゆかりの寺社について、これでもかというばかりにお宝のオンパレードだ。開館とともに、多数の訪問者が一気に入場したので、落ち着いて鑑賞どころではなくなるのを恐れたが、会場広く、導線も緩く設計されていたので、思いのほか人の多さは気にならない。

圧倒されっ放しの展示だったのだが、私が特に印象的だったのは、曼荼羅の世界が詳しく、最大限わかりやすく説明されていたことだった。空海は、「密教は奥深く文筆で表し尽くすことが難しい。そこで図や絵を使って悟らない者に開き示すのだ」と述べたと解説されていたが、それでも難しい。今回、訪問に当たって、空海の『三教指帰』も読んでみたが、文章そのものは平易な物語調であるが、どこまで理解できたかは全く自信なかった。そんな空海の思想や教えを、展示は少しでも鑑賞者がこの世界を近づけられる工夫がされている。

特に感心したのは、曼荼羅の「絵解き」図。曼荼羅の夫々の絵のパートが何を書いているのかが解説してある。この「絵解き図」とリアル曼荼羅図を比べながら、まじまじと見つめた。今まで、さほど気に留めてなかったが、実にいろんな仏様達が描かれているのだ。


(曼荼羅の解説図。「空海」展のWebより転載)

京都・安祥寺の五智如来坐像(国宝)が堂々と第1会場の中央に座して、立体曼荼羅を形成していたのも存在感抜群だった。大日如来を中心に4人の仏さまが周りを固める。私になじみがある阿弥陀如来さまは大日如来の真後ろが定位置であることを確認。


(上の写真のパネルに映っているのが、京都・安祥寺の五智如来坐像)

もう一つ、本展で良かったのは、人間・空海により近づけた気になれたこと。以前、司馬遼太郎の『空海の風景』を読んで、小説ではあるが、空海の生涯について知った。今回、様々な空海ゆかりの品々はよりリアリティをもって、空海と私との距離を縮めてくれるものだった。例えば、遣唐使の一員として唐に渡った空海の帰朝報告である「弘法大師請来目録」。経典の数々を始めとして、唐から持ち帰ったものとかが自筆で記されている。当時の遣唐使は現代人が月に行くよりも危険度高いと思われるが、当地での師・恵果との出会いを通じて、密教の教えを持ち帰った空海が、今そこにいるような気になる。


(一級文物 文殊菩薩坐像 中国・唐(8世紀)中国・西安碑林博物館。なぜか、本品だけ撮影可)

展示の最後に空海像が展示してある。多くの訪問者がそこで手を合わせて祈りを捧げているのも印象的だった。空海は密教の難しい教えを世界を曼荼羅を通じて人々に紹介し、国家権力との関係もしっかり築きつつ、影響力を拡大したことに加えて、弘法大師として死後も多くの人から慕われていた。非常に不思議な魅力を持った人物だ。

奈良まで来た甲斐あったと十分に思わせてくれる、重量級の特別展であった。


〈構成〉
第1章 密教とは ― 空海の伝えたマンダラ世界
第2章 密教の源流 ― 陸と海のシルクロード
第3章 空海入唐 ― 恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合
第4章 神護寺と東寺 ― 密教流布と護国
第5章 金剛峯寺と弘法大師信仰

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