その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ミュージカル 『ビリー・エリオット』 @赤坂ACTシアター (その2:多少、辛口も含めた感想)

2017-08-11 08:00:00 | ミュージカル、演劇



 今回の「ビリー・エリオット」日本公演について、少し冷静に振り返ってみた。

 まずは、サッチャーイズムが吹き荒れたイギリス80年代中期のイングランド北東部の炭鉱町を描くという、きわめてローカルなドラマ設定を、日本語にして日本人が演じるという、きわまて難易度が高いと思われる日本公演のスタートに漕ぎ着けた、スタッフ、キャストの皆さんのプロフェッショナリズムに基づいた並々ならぬ気合と努力に、(商業公演とはいえ)大いなる賞賛を送りたい。日本で日本人による日本人のための「ビリー・エリオット」が観られるなんて、まるで夢のようだった。

 とりわけ、キャストの熱演が光ってた。私が見たビリー君は、木村拓哉くんという小学5年生。バレエシーンは多少安定感に欠け、息子の舞台を見るようにどきどきハラハラさせられたが、アクロバティックな体操が入ったダンスになると自信一杯の演技だった。現状と将来への不安と未来への挑戦の狭間に立つ少年を立派に演じていた。

 ビリーの親友マイケル役の山口れんくんは、ダンスと歌がすばらしい。正直、あの踊りながらの歌というのは相当負担がかかると思うのだが、れんくんは殆ど息が乱れず歌いきり、はじめは「彼は口パク?」と疑ったほど。ビリーは、マイケルがいてこそ光るところが多分にあるので、十二分な助演ぶりだった。

 大人陣は、特にウイルキソン先生の柚希礼音のダンスと歌が群抜いてた。踊りのキレが尋常でなく、さすが宝塚トップスターというのはすごいんだなと思い知った。歌と踊りは、ロンドンで十分通用する。

 一方で、正直、気にならなかったところが無かったわけではない。やっぱり、言葉の難しさは残った。このミュージカル、北東部の訛りと労働者階級のアクセントがかけ合わさって言葉の強さ、激しさが、相当なのだが、本日本語公演では、九州訛りを用いて雰囲気を出す努力は十分に感じられたものの、言葉の迫力はとても及ばなかった。日本語になっても意外と聞き取りにくい部分も多く、「ソリダリティ」の前半部分や「メリークリスマス・マギー・サッチャー」の歌詞などは、このミュージカルの本質の一部なのだが、あの日本語を聞き取れた聴衆がどれだけいるだろうか。

 また、言葉の故か、文化的・社会的・歴史的背景の相違か、全体的に階級闘争の激しさが、表現し切れていない気がした。とにかく、炭鉱夫たち発せられる炭鉱夫の匂いが弱い。きっと、階級闘争や炭鉱夫というものに対するイギリスと日本の歴史的経験値の差が現れているのだと思う。

 最後に、これはどうしようもないのだが、「ビリー・エリオット」をやる舞台として、赤坂ACTシアターは立派で綺麗過ぎる。今回、ビクトリア・パレス・シアター以外で始めてこの作品を見たが、いつ床が抜け、天井が落ちてきてもおかしくなかったビクトリア・パレス・シアターそのものが、あの炭鉱町をあらわす舞台の一部であったことに気がついた(多分にこじつけ感は自覚)。きっと舞台もロンドンの劇場より広いのか、冒頭の福祉会館(?)のシーンでも、向き合って座っている炭鉱夫関係者の距離感が妙に遠く(これも気のせいかも)、間延びした感じがした。劇場の外がどうしようもなく暑いせいでもあるが、北東部のいてつく寒さも演出不足。多少、ロンドン版とは違っても、ご当地感や季節感を表す工夫があってよい。

 まあ、本当に好きなファンであるが故に、注文も多くなるのだが、いずれにしても日本語版の意義は大きいし、きっとまだこれから公演期間中ビリー君たちはどんどん成長していくだろう。う~ん、行くか行かないかを迷っていた本公演であるが、焦点はあと何回行くかに移ってきてしまっている自分がいる。



2017年8月6日 17:00~

ビリー:木村咲哉
お父さん:吉田鋼太郎
ウィルキンソン先生:柚希礼音
おばあちゃん:根岸季衣
トニー:藤岡正明
オールダ―・ビリー:栗山 廉
マイケル:山口れん
デビー:夏川あさひ
バレエガールズ:チーム アッシントン
トールボーイ:小溝 凪
スモールボーイ:岡野凛音

コメント
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