タイトルを見て、中国の監視国家ぶりをレポートする本かと思いきや、内容は想像よりずっと深く、議論の射程も広かった。
筆者は、中国の事例を紹介しつつ、「人々のより幸福な状態を求める欲望が、結果として監視と管理を強める方向に働いているという点で、現代中国で生じている現象と先進国とで生じている現象の間に本質的な違いはない」(p28)との立場を取る。全世界で急速に進みつつある新しいタイプの「監視社会化」の流れの中に現代中国で起こっている現象を位置づける。
私自身、中国の先進IT国化を共産党独裁の下での特殊なテクノロジー社会の発展と捉えていたので、そのステレオタイプ的な見方が大きく修正され、気づきの多い一冊だった。
事象を見る一つの切り口は「道具的合意性」(あらかじめ決められた目的を達成しようとする場合に発揮される合理性)の暴走という視点である(例えば「治安体制の強化」という目的で新疆ウイグル地区で行われている監視体制)。
長くなるが、部分的に引用する。
「道具的合理性の暴走は私たちの社会とも無関係ではない。第一に、より便利に快適に過ごしたいという人々の欲望を吸い上げる形で、人々が好みや属性に従ってセグメント化・階層化されること、階層の固定化も社会の安定化のために仕方がないという現状追認的なイデオロギーで正当化することは、功利主義を主要価値として内在化させている社会、資本主義社会であれば、どこでも起こりうる。
第2にテクノロジーの進展は、私たちの社会でも一般の市民がその仕組みを理解することを困難にしている。市民の側が巨大民間企業や政府による管理・監視の動きを、適切に監視するハードルが上がっている。
第3に、監視技術を含むテクノロジーを社会の統治にどう役立て、どのように公共性を実現していけばよいのかという問題は、すぐに答えが出るような問題ではない。(pp..239-239)
「私達はどうすればよいのか。月並みだが、重要なのは、テクノロジーの導入による社会の変化の方向性が望ましいことなのかどうかを、絶えず問い続ける姿勢をいかに維持するかということにつきる。」(p.239)
私自身、道具的合理性に捉われて、テクノロジーを利用することで監視・管理を受け入れている部分が多分にあることに気づかされる。「どうすればよいのか」は筆者が認める通り月並みなのであるが、これを超える解決があるのだろうか。「利便性や安全性の向上」をスルーできるだろうか。
また、未来小説の読み方も大いに首肯する部分だった。テクノロジーの普及に伴う管理・監視によるディストピアは、オーウエルの『1984』が何かと代表的な著作として参照されるが、筆者はむしろ技術で人間が社会規範を逸脱した欲望を抱かないように「条件づけ」されて、人々が享楽的に欲望のままに振舞えるハクスリーの『すばらしい新世界』が描くユートピア的世界の方が、我々の未来像に近いと主張する。確かにその通りで、幸せ、便利、安全に飼いならされた人間や人間社会の行く末はどうなるのか。考えごたえのあるテーマだ。
学者である梶谷氏、ジャーナリストの高口氏の共著であるため、理論と現場のバランスが取れている。梶谷氏の議論は、「市民社会」「功利主義」、儒教などの「中国思想」に触れながら、内外の研究者や文学者の研究・作品を引用して展開するので、奥行きが深いともに、正確に理解するには結構な精読が必要だ。軽い気持ちで手に取った一冊だったが、新書の見かけによらず、かなり骨が折れる一冊である。
目次
第1章 中国はユートピアか、ディストピアか
間違いだらけの報道/専門家すら理解できていない
「分散処理」と「集中処理」/テクノロジーへの信頼と「多幸感」
未来像と現実のギャップがもたらす「認知的不協和」
幸福を求め、監視を受け入れる人々
中国の「監視社会化」をどう捉えるべきか
第2章 中国IT企業はいかにデータを支配したか
「新・四大発明」とは何か/アリババはなぜアマゾンに勝てたのか
中国型「EC」の特徴/ライブコマース、共同購入、社区EC
スーパーアプリの破壊力/ギグエコノミーをめぐる賛否両論
中国のギグエコノミー/「働き方」までも支配する巨大IT企業
プライバシーと利便性/なぜ喜んでデータを差し出すのか
第3章 中国に出現した「お行儀のいい社会」
急進する行政の電子化/質・量ともに進化する監視カメラ
統治テクノロジーの輝かしい成果/監視カメラと香港デモ
「社会信用システム」とは何か/取り組みが早かった「金融」分野
「金融」分野に関する政府の思惑/トークンエコノミーと信用スコア
「失信被執行人リスト」に載るとどうなるか
「ハエの数は2匹を超えてはならない」
「厳しい処罰」ではなく「緩やかな処罰」/紙の上だけのディストピアか
道徳的信用スコアの実態/現時点ではメリットゼロ
統治テクノロジーと監視社会をめぐる議論
アーキテクチャによる行動の制限/「ナッジ」に導かれる市民たち
幸福と自由のトレードオフ/中国の現状とその背景
第4章 民主化の熱はなぜ消えたのか
中国の「検閲」とはどのようなものか/「ネット掲示板」から「微博」へ
宜黄事件、烏坎事件から見た独裁政権の逆説
習近平が放った「3本の矢」/検閲の存在を気づかせない「不可視化」
摘発された側が摘発する側に/ネット世論監視システムとは
第5章 現代中国における「公」と「私」
「監視社会化」する中国と市民社会/第三領域としての「市民社会」
現代中国の「市民社会」に関する議論/投げかけられた未解決の問題
「アジア」社会と市民社会論/「アジア社会」特有の問題
「公論としての法」と「ルールとしての法」/公権力と社会の関係性
2つの「民主」概念/「生民」による生存権の要求
「監視社会」における「公」と「私」
第6章 幸福な監視国家のゆくえ
功利主義と監視社会/心の二重過程理論と道徳的ジレンマ
人類の進化と倫理観/人工知能に道徳的判断ができるか
道具的合理性とメタ合理性/アルゴリズムにもとづく「もう1つの公共性」
「アルゴリズム的公共性」とGDPR
人権保護の観点から検討すべき問題
儒教的道徳と「社会信用システム」/「徳」による社会秩序の形成
可視化される「人民の意思」/テクノロジーの進歩と近代的価値観の揺らぎ
中国化する世界?
第7章 道具的合理性が暴走するとき
新疆ウイグル自治区と再教育キャンプ/問題の背景
脅かされる民族のアイデンティティ/低賃金での単純労働
パターナリズムと監視体制/道具的合理性の暴走
テクノロジーによる独裁は続くのか
士大夫たちのハイパー・パノプティコン
日本でも起きうる可能性/意味を与えるのは人間であり社会
おわりに