★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

アメリカン・ホーム・ドラマ

2015年05月21日 22時24分22秒 | 徒然(つれづれ)
 1960年代の初頭、私が小学1年か2年の時、家にテレビがやって来た。
 何の前触れもなく、日曜の午後、電気屋のオヤジが軽トラで運び込んで、床の間に備え付け、屋根にアンテナを取り付けて、時間をかけて調整していた。

 当時は学校とか病院、一部の金持ちの家にしかなかったテレビだ。
 安月給の小学校の教師の親父が、何をトチ狂ったか、大枚はたいて月賦で買ったようだ。

 家族全員が注視する中、画面に現れたのは大相撲中継だった。
 それまでラジオで聴いていた大相撲を、初めてビジュアルとして見た私たちは狂喜した。
 大鵬や柏戸、佐田の山や栃ノ海、明武谷や若秩父など、雑誌でしか見たことのなかった力士が、土俵で熱戦を繰り広げているのは圧巻だった。

 夕方になると、噂を聞きつけた近所の老若男女が大挙して押しかけてきた。
 狭い座敷は屋内街頭テレビ状態だった。
 チャンネル権は親父にあったので、親父の好みが最優先されたが、どんな番組でも、テレビを観ているというだけで大満足だった。

 その頃私が好きになったのが、アメリカのホームドラマだ。
「パパ大好き」「うちのママは世界一」「名犬ラッシー」「ミスター・エド」「チビッコ大将」などなど。
 豪華なインテリアや電化製品に囲まれ、お洒落なファッションを身に纏ったライフスタイルは、当時の私には憧れの世界だった。
 物量豊富な先進国のアメリカは、それに追いつき追い越せの当時の日本とは、子供心にも比べものにならないくらい雲の上の存在だった。
 大人になったら、絶対にあんな生活をするぞと心に誓ったものだ。

 そんなアメリカが、金にまかせた大量消費資本主義とベトナム戦争参戦で、次第に病んでいったのは、それから10年も経たないうちだった。
 能天気なホームドラマはなくなり、希望なき明日を暗示するようなドラマや映画ばかりが入ってくるようになった。
 それが私の青春の入口とシンクロする。
コメント
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