★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

後悔、後を絶たず

2015年05月26日 23時11分37秒 | 徒然(つれづれ)
 人は臨終において、人生の幸せや不幸の足し算引き算の合計で、自分の人生は幸せだったなあ、あるいは不幸せだったなあと思ったりするのだろうか。
 あれをやっていれば、あるいは、やらなかったらと、後悔したりするのだろうか。

 たら、れば、は、ナンセンス。
 やったこと、やらなかったこと、すべてが人生の結果だ。
 結果はひとつだけだ。後に戻ってやり直すなんてできないんだから。

 どんな悩みも時間が解決してくれるということは、人は経験で学んでいるはずだ。
 過去にあんなに悩んだことが、今や笑い話や酒の肴になっている、というのはよくある話。

 後悔、後を絶たずだから、いちいち落ち込んだり、くよくよするのは時間の浪費だ。
 後悔は教訓として記憶の引き出しにしまっておけばいい。
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雑貨屋

2015年05月26日 19時41分21秒 | 徒然(つれづれ)
 今時の雑貨屋といえば、可愛い食器や洒落たインテリア小物が並ぶ、小奇麗なショップのイメージだが、私が子供の頃は家庭雑貨から生活用品、文具や玩具、お菓子まで雑然と溢れんばかりに並べられた、それこそ、田舎の情報ステーションだった。

 私たちの行きつけの雑貨屋は、観音様の門前にあり、保育園時代から小学校低学年まで、放課後はその店に入り浸っていた。10円玉を握りしめて、ハエ取り紙がぶら下がる店内で、お菓子やオモチャや当て物を吟味しながら、友達と雑談にふけったものだ。
 店の奥の真空管ラジオからは、大相撲中継が流れていた。
 近所のおばちゃんが調味料や乾物を買いに来たり、中学生のお兄ちゃんが模型飛行機を買いに来たりしていた。
 私たちは店の前の空き地で、メンコやビー玉遊びに明け暮れた。女の子はゴム跳びや手まり遊びをしていた。
 
 そうこうするうちに、紙芝居のおっちゃんが現れ、私たちは雑貨屋のお釣りで買った水飴や昆布をしゃぶりながら、観音様の階段に座って、真剣に紙芝居を見ていた。
 紙芝居が終わると、おっちゃんが店じまいして、どこへともなく帰って行くのを見送りながら、私たちは家路についた。
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