★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

単なる一過性の出会い

2017年01月22日 17時05分55秒 | 徒然(つれづれ)
 人との出会いとか付き合いというのは、何も劇的なものでもない。
 行きつけの飲み屋での出会い、それから始まる付き合いなどは、人生の単なる一過性のものかもしれない。
 ひとり酒の徒然に、たまたま気が合い、それ以降なんとなく、会話を交わすようになり、いつの間にか知り合いという程度に親しくなったりするものだ。

 当然、深入りはしないし、店以外で会うことも稀だ。
 飲み屋というのは、ある意味、バーチャルな空間だ。
 ひとりで来る客は、なにかしら、考えたり思うところがあって、人を伴わないのだ。
 
 そんな同好の主が、付かず離れずの距離を保ったまま、バーチャルな空間の中で、仲良くなる。
 何かを核に結合し、同じささやかな目標を設定する。
 しかし、そんなものは長続きしない。
 だが、それでいいのかもしれない。
 それが人生なのかもしれない。

 そんな人生の一過性のエピソードを、ひとつのストーリーに仕上げました。
 

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ワクドキ感、羞恥心はどこへ

2017年01月22日 11時09分14秒 | 徒然(つれづれ)
 歳を取ると、体力はもちろん、視覚、聴覚、味覚の衰えを実感すると、以前にも書いたが、そういったフィジカル面だけでなく、メンタル面でも衰えというか、喪失感を感じることがある。

 その顕著なものが、ワクワク、ドキドキ感、恥じらいや照れ感の減退だ。
 昔は好きな子と会う時にはワクワク、ドキドキ、胸キュンしたものだし、大勢の前で喋る時はアガルというか、恥ずかしさや照れが込み上げてきた。

 最近はそんなものを感じることは滅多にない。
 喜怒哀楽にしても、そんな感情が発露するシーンもない。
 いろいろ経験して、見慣れ、場慣れしたこともあるだろう。

 しかし、もっと大きな要因は、自分から動いて、そんなシーンに飛び込んでいく情熱が枯れてきたからだろう。
 
 これを老成というべきか、老衰というべきか。
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